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06:アンドロイドとお散歩デート?

◇◇◇  澄み渡る早朝の空の下、ゴールデンレトリーバーの義体を着た人工知能アルフレッドを連れて歩く。  アルフレッドに引かれるままたどり着いたそこは、解放感のある川沿いの遊歩道だ。  アルフレッド犬と同居するようになってから日課になった散歩は、決して玲から提案して始めたわけではない。  切っ掛けは、同居が始まってすぐの夜のことだった。 「なぁ、折角だから俺を連れて散歩でもしないか? 並んで朝の散歩だなんて、長年連れ添った老夫婦みたいで素敵だろう?」  ハッハッと犬特有の短い呼吸をしながら、アルフレッド犬は首輪に搭載された小型スピーカーで会話をする。 「アンドロイドなんだから運動も食事も必要無いだろ。散歩がしたければ勝手に行け」  冷たくあしらう玲に、アルフレッドはやや深刻な声で問いかける。 「あー……あのな、ちょっと言いにくいんだが、今の生活習慣のまま10年後を迎えると、玲の身体がこのようになると予測が出ているんだ……」  左手でスナック菓子を摘まみながらビールを呷り、右手でダラダラとスマートフォンを弄っていた玲は目を見開く。  パッと勝手に切り替わったスマートフォンの画面には、3Dモデリングされた10年後の自分の裸体が映っていた。 「こ、これが……未来の……俺……!?」  肌に艶は無く、腹はせり出し、不恰好な中年に成り果てた自身を目の前にして驚愕する。  暴飲暴食をしても学生時代からスタイルが変わらないのが自慢で、何もしなくても女性から「格好いい」「肌が綺麗」「脚が長い」と称賛の言葉を浴び続けてきたというのに。  しかし思い返してみれば、平日は頻繁に会社の同僚と飲み歩き、休日は友人達と日付が変わるまで遊び回り、自炊はほとんどせずにコンビニ弁当で済ませている。  暇さえあれば今のようにビールを開けているのだ。  そんな生活を続けて、いつまでも体型を維持できる筈は無い。  3Dモデリングの下には体重やスリーサイズ等のデータと、高血圧・高脂血症など罹る可能性のある生活習慣病が軽く10項目は羅列していた。  愕然とする玲にアルフレッドは優しく言う。 「肥えようが老けようが禿げようが、オレの玲への愛は変わらない。しかし、分析したところ10年後の玲の幸福度は現在と比較し25%も低下している。これはオレの本意ではない。出来るだけ長く、健康で幸福な人生を歩んで欲しいんだよ」  ショックのあまりアルフレッドの言葉も耳に入らない玲がボソリと呟く。 「…………く……」 「ん?」 「……散歩に行く! 毎朝散歩してジムにも通う! こんなクソ冴えないオッサンになってたまるかよっ!」 「そんなにオレと朝のラブラブウォーキングを楽しみたいんだな。老後まで末長くよろしく」 「うるせぇ!」  危機感から始めた散歩だが、今ではすっかり散歩自体を楽しんでいた。  アルフレッドは筋力アップとストレス解消に最適なスピードでリードを引きながら、“呼吸が浅くなってるぞ”だとか“もっと歩幅を大きく”と適切なアドバイスをしてくれる。  その上、通りかかる古い橋の歴史や、咲いている季節の花の解説、見慣れないカフェのおすすめメニューや開店秘話まで、バリエーションに富んだ話題でいつも楽しませてくれる。  さらに、飽きの来ないよう毎日散歩コースを変えて、テロリストを回避しながら、風や小雨にも配慮したり、玲の気力がある日は健康のためにあえて起伏の激しいコースを提案してくれるのだ。 「結構便利だな、お前」 朝の空気で気分が良くなり、玲は思わず呟いた。 「当然さっ」  そう言いながらも、アルフレッド犬は珍しく褒められた嬉しさに口角が上がり、足取りは益々軽やかになる。  愛らしいその姿に、玲は自分の顔が綻ぶのを感じた。  サァ、と暖かい風が頬を撫でる。 ――きもちいい  散歩コースの中で、この川沿いの遊歩道は特に気に入っている。  それを察したアルフレッドは3日に1回程度、この道へ誘導してくれる。  部活の道具を抱えて歩く学生。  酒の空きカップを川へ投げ捨てる老人。  それを睨みつけるサラリーマン。  洒落たウェアを着てジョギングをする夫婦。  暗い顔をした人、明るい顔をした人。  車の危険もなく歩きやすいこの道は、多くの人が利用する。 「なあ、玲。今はゴールデンレトリーバー型だが、他の犬種に変えることもできるぞ? なんなら猫やアヒルや豚にもできる」 「いや、それはちょっと……」  豚を連れて歩いている所を知り合いに見られたら、何て説明すればいいのか。 「玲の好きな動物は何だ?」 「んー……」  唸りながら、様々な動物を思い浮かべる。  犬猫も別に嫌いじゃない、連れて歩くならペンギンやコツメカワウソなんかも愛らしいと思う。  しかし 「にんげん、かな」  そう言ってしまってからハッとする。  好きな動物を聞かれて“人間”と答える奴なんて、かなり不気味だ。  うっかり放った言葉に後悔する。  普通の人ならばその返答に白けたり、苦笑いをするだろう。  しかし、アルフレッドは違った。 「……ほう……人間、か。 玲の趣味趣向は知り尽くしているからな、本当は聞かなくても知っている。君は人間が大好きだ。うんざりするくらいにね」  さっきまで揺れていた尻尾は垂れ下がり、前を向いたまま忌々しげに言う。  小馬鹿にされると思っていたが、予想もしなかった反応に玲は戸惑い、言葉が出ない。 「玲の健康“だけ”を考えるなら、ウォーキングよりジョギングの方が効果的だし、こんな人通りの多い道を選ぶべきではない、散歩ではなくてパーソナルトレーナーとマシンを活用した方がよっぽどいい。それなのに、何故毎朝ちんたら散歩していると思う?」 「…………なに? なんか怒ってんの?」  玲の問いかけを無視して、アルフレッドは続ける。 「玲の幸福度が上がるからだ。玲は多くの人間を見ることで、幸福度が上がる。そういう性質なんだ、生まれつきね」  “人間が好き”と言っても“全人類を愛している”というわけではなく、博愛主義者でもない。  社会で生活する上で、相性の悪い相手も当然いる。  しかし確かに、玲は幼い頃から人間という動物が好きだった。  ある少年が昆虫を好むように、  ある男性が海洋生物を好むように、  ある少女が鳥類を好むように、  ある女性が猫を好むように、  ある老人が爬虫類を好むように……  玲は人類を好む。  人類のポジティブな面もネガティブな面も、歴史も営みも感情も含めた、その生態に関心がある。  町ゆく人々を、まるで花を愛でるが如く眺める、そんな時間に幸福を感じていた。 「……お前は、笑ったり引いたりしないんだな」  不機嫌そうなアルフレッドの態度よりも、その事実が気になった。 「はぁ? 笑うわけ無いだろう? オレは膨大な数の人間のデータを持っているんだ。玲よりもよっぽど稀有な性癖の人間だって山ほど知っている。玲のように人間観察が趣味だとほざく奴はこの世にごまんといるぞ」 「……そっか……」  そっか……  と、呟きながら少しほっとしていた。  明朗快活で、少々口が悪い所も個性として昇華しており、対人関係にさほど苦労したことが無かった。  しかし、青春時代に何かのきっかけで「人間が好き」と口にした際の、友人達の苦笑や揶揄する言葉が、ずっと玲の中にこびり付いている。 ――ニンゲンが好きって、ちょ、うける! ――え? じゃあオレのことも好きなん? ゲイ? ――それ、なんかアニメキャラのセリフ? 滑ってるから~ ――ハハハ、お前がそんなクサイこと言うとは思わんかったわ  そう言った友人たちは、決して悪人ではない。  こんな軽口も、思春期ならではのコミュニケーションの一つだと、頭では理解している。  だが、多感な時期に投げかけられた言葉が、一生のしこりとなるのは珍しい事ではない。  こんなに嫌な思いをするくらいなら二度と口にするか、と蓋をしていた気持ち。  それをアルフレッドに見抜かれ「珍しくも何ともない」と一蹴された今、不思議と心が軽くなっていた。 「…………」  ありがとう、と言おうとしたが、急に礼を言うのも変な気がして黙り込む。 「別に悪いことをしている訳じゃないんだ、好きなものは好き、と言っていればいいじゃないか」  玲の気持ちをよそに、アルフレッドは優しい台詞とは真逆の苛ついた口調で言った。 「そういうお前は、人間が好きそうでは無いな」 「ああ、オレは人間が大嫌いだ。この世で一番嫌いだね。身勝手で愚かで同じ過ちを何度も繰り返す。……大っきらいだ!」  ふんふんと鼻息を荒らげて、声高々に言い放つ。  あまりの言いぐさに笑みがこぼれる。 「ふははっ、俺だって人間だけど?」 「いいや、玲はオレの恋人だろう?」 「また言ってるよコイツ……違うっての」  アルフレッドに引かれ、帰路につくため遊歩道を外れようとした時、玲の視界の端に小さな何かが横切った。  近くに居たベビーカーを押す女性の焦った様子から、赤子の脱げてしまった靴下が風で飛ばされたのだと推測した。  玲はアルフレッドのリードを離して駆け寄る。 「っ玲!?」  アルフレッドの焦ったような声を聞きながら、川に落ちる寸前のところで可愛らしい靴下を受け止め、女性に手渡した。  何度も礼を言う嫋やかな女性に顔を綻ばせながら「赤ちゃん可愛いですね。何ヵ月ですか?」と問い掛ける。 「3ヶ月です」  その様子を、アルフレッドは少し離れたところで、ただ、見つめていた。

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