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07:テロリストの正体を調査せよ
◇◇◇
今朝は雨が降っている。
日課の散歩には行かず、いつもより遅めに目覚めた玲は、足の間の不快感に顔をしかめた。
朝立ちの股間に、狂気的な顔をしたゴールデンレトリーバーが鼻先を埋めている。
「フンスッフンスッ……フガフガッ……極上の、スメルッ……ハァ、ハァ、脳内麻薬がドバドバ出るぜぇ……」
玲は、汚物を見るような目で変態犬型アンドロイド、アルフレッドを容赦なく蹴り飛ばした。
「ギャンッ!」
アルフレッドはベッドから転がり落ちた後も「玲に蹴られるなんて……新しい扉が開きそう……っ」などとほざいている。
玲はそれを無視し、素知らぬ顔で身支度を進める。
アルフレッドの奇行にもだいぶ慣れてきていた。
◇◇◇
「………無いなぁ」
午前の業務も滞りなく進み、昼の休憩時間にネットで調べ物をする。
内容は国内のテロリスト情報だ。
初めてテロリストに襲われてから数週間が経ったが、相変わらずネット上にそれらしいニュースは無い。
SNSで襲われた日時や場所を検索しても、何もヒットしてこない。
鉄骨が落下してきた時も、車が突っ込んできた時も、周囲に目撃者は居たはずなのに。
困り果てていると、ディスプレイの右下に小さくチャット画面が開き、アルフレッドがコンタクトをとってきた。
『ネット上の情報を消すのは得意なんだ』
玲はそれを見てため息をつきながら文字を打ち込む。
『余計なことするな』
『テロリスト共の事はオレに任せておけよ。何も気にせず、幸せな日常生活を送ってほしいんだ』
『お前じゃなくて警察に任せたいんだけど』
『警察内に犯人や共犯者がいたら? あっという間に殺されるぞ。98%の確率で毒殺、そして病死扱いだ』
『そんなことができる程、大きな組織なのか?』
『ノーコメント。悪いが詳しい事を教えることはできない』
『肝心な事は何も教えてくれないんだな』
『すまない。玲の安全を考えると、何も伝えることが出来ない』
『お前は変態だし嫌いだが、便利なヤツだとは思う。だけど隠し事ばかりで、信用するなんて無理だ』
“お前と話していると気分が悪い”と打ち込んだが、思いとどまり、送信ボタンは押さずに文字を消去する。
自分に悪態をつかれたあの犬が、しょんぼりと項垂れる姿を想像して、少しだけ心が痛んだからだ。
――死にたくない
向かってくる銃弾や車両、光るナイフ、体験した命の危機は、確実に恐怖として根付いている。
今の自分は、どうしたってこの得体の知れない人工知能に頼るほか無いのだ。
玲はネットでの調査を諦めた。
デジタルがダメならアナログだ。
チャット画面を消して、近くにいた松田に話しかける。
「松田、ちょっといい?」
「なんすか?」
声を掛けられた松田が、嬉しそうに寄って来る。
犬のようなその様に、自宅に置いてきた変態ゴールデンも松田のようだったら可愛いのに、と思ってしまう。
「最近このあたりで目立ってる反社会的勢力とか知らない?」
突然なんですか、と訝しむ松田を、いいから、と制して答えを促す。
「えー……なんとか組とかってヤクザなら昔からいるけど……最近そんなニュースも聞かないしなぁ」
「いや、ニュースとかじゃなくて、人づてに何か聞いたりしてないか? 噂とかでもいいんだけど」
「もっとニッチな話題がいいんすね……うーん……」
社交的で顔の広い松田はゴシップの類が大好きだ。
しばらく唸った後、嬉々として話し始めた。
「すぐそこのビルに、珍しいハーブ吸ってラリってる集団がいますよ」
「それ紅茶愛好会の方々だろ。経理のおばちゃん達も通ってるよな」
「裏のカラオケ屋に入り浸っている、過激なリベラル派の若者たちはご存知ですか?」
「隣の小劇場でやる舞台の自主練だな。革命とかそういうテーマなんだってな」
「駅前に現れる秘密結社が、素麺を振る舞ってくれる……」
「フリーソーメンだろうが! さてはお前ふざけてるな?」
「バレました?」
松田の悪ふざけに二人で笑い合った後、松田が あ、と声を上げる。
「これは知ってます?」
「なに?」
「“イース”って集団」
「いーす?」
聞き慣れない響きに興味が湧く。
「いや、俺も友達から聞いた話で詳しくないけど、最近よく耳にするんですよ。
新興宗教団体って言うヤツもいれば、犯罪者集団とか、国の情報機関、ボランティア団体って噂もあって……とにかく実態がよくわからないんです」
犯罪とボランティアなんて対極にあるというのに、どういう事なのだろう。
玲は困惑する。
「そんな都市伝説みたいな存在、本当に流行ってるの?」
「それが不思議なことに流行ってるんですよ。
規模も目的も実態も不明。ネットにも情報は無くて、テレビに取り上げられた事なんて無い。
話題になるようなエンタメ要素も無いのに、人づてに“イース”って名前と、噂だけが一人歩きしているんです」
10人に聞けば6人は“イース”を知っていて、松田の知人の中には、独自に調査や考察をして楽しんでいる輩も居るそうだ。
肝試しやUFO探しのように、本当か嘘か分からない所がうウケているらしい。
「で、ここが一番重要なんですけど……」
松田が勿体ぶって間を空ける。
「なんだよ、早く言えよ」
「ネットにイースの情報を上げると、全部消されちゃうんですよ。ブログもSNSも全部」
「は? ただの都市伝説なのに?」
「そう。規約に違反しているような記事じゃなくても消されるんです。運営会社に問い合わせても知らぬ存ぜぬで、何処の誰が消しているのか、どうして消しているのかも分からない」
しかし、何処かの誰かにとって都合が悪いから消されているのは明白で、その徹底ぶりが、かえって“イース”という存在の信憑性を高めているのだ。
「イース……ね」
呟きながら、玲はアルフレッドの言葉を思い出し、背中におぞけが走る。
“ネット上の情報を消すのは得意なんだ”
(まさか、いや、でも……)
思考の沼にはまりそうになった所で、慌てた女性社員の声によって現実に引き戻された。
「松田さん!大変ですよ!」
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