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第2話 一杯目(2)

 受付のところにある壁時計は九時半を指している。この時間になると、もう出勤のピークは一段落している。しかし、それでも人の流れは止まらない。 「おはようございます。どちらに行かれますか」 「あー、これに場所と名前、書いてください」  昼間の勤務の先輩たちが、これから出勤の人たちの入館手続きをしている様子を見ながら、俺は退勤の準備をし始める。ここのバイトを始める前、昼間のほうが、いろんな店や中で勤務してる人たちと出会えたり、お客様の対応やらで忙しいと教えられた。クレームの対応なんかもあったりと、けっこう難しいこともあるらしい。夜間の勤務には、それが少ない分、俺なんかでもなんとかなってるのかもしれない。  制服から普段着に着替え終え、「お先に失礼しまーす」と防災センターを出た。従業員出入り口は出勤の人たちでごった返していたが、俺同様に退勤する人の流れもある。俺はその流れにのって出入り口を出た。ちょうど出入り口に朝日が差し込んできて、眩しくて目を瞑る。  従業員の自転車置き場は、この出入り口のそばにある。俺の自転車も目の前に置いてあるけれど、俺はここをスルーして、開店間もないショッピングモールの方へと向かう。自動ドアを抜けると、軒並み、挨拶をしてくる店員さんたち。この時ばかりは、警備員の制服から普段着になっているから、誰も俺を警備員だとは気づかない。そもそも、夜間勤務の警備員の俺なんていうものを認識してる人なんて、皆無に等しい。  まだお客さんの数がそれほどでもない今、俺が向かう場所は、夜勤明けの俺の癒しの場所。エスカレーターで二階に上がって、建物の中ほどにある、カフェ・ボニータ。所謂、大きなカフェのチェーン店に比べると、まだまだ新興のカフェで、こんな大きなショッピングモールに入ってたのには驚いた。  このチェーン店を知ったのは、まだ父さんが生きていて、俺が大学に行っていた頃。大学のそばにあって、よくその店に通っていたせいだ。家の近所にはなかったから、ここに出店してたのを知って、すごく嬉しかったのを覚えている。  父さんが亡くなったのは、約一年前。帰宅途中、新年会の帰りの酔っ払い運転の車に引っ掛けられて、事故死したのだ。俺は大学三年の終りで、あと一年で大学も卒業、というところだった。父さんの保険金はおりたけれど、家のローンや、私立の高校に通っている弟の学費とか、金はいくらあっても足りない。母さんも、もともと働いてはいたけれど、それだけで生活できる余裕なんてなかった。  だから、俺は大学も中退しようと思ったのだけど、母さんが「それだけは止めて」と泣いて止めるので、休学、という形をとっている。だけど、いつまでも、このままでいいわけない。 「おはようございます」  気が付けば店のカウンターの前に立っていた俺。ほぼ毎日のように、同じ時間に行くせいか、すっかりお店のスタッフの人には、顔を覚えられてしまっている。特に、声をかけてきてくれるのは、店長さんらしい、ハーフのイケメンさん。見上げてしまうくらい背が高くて、 シルバーブロンドの長い髪を一つに縛ってる。男の長髪ってどうなんだろう、って思うけど、この店長さんだったら、アリだ。今日も、眩しいくらいのイケメンに、ニッコリ微笑まれて、俺の方がクラッとしそうになる。男でも、この人くらい綺麗なら、俺じゃなくたって、そうなるに決まってる。

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