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第33話 六杯目(2)

 もう桜の便りも聞く季節になったとはいえ、相変わらず、夜は寒い。自転車を漕ぎながら暗い道をショッピングモールへと向かう。天気予報では天気が不安定なことを言っていたけれど、今はまだ、雨が降っていない。明日の朝、雨じゃなければいいなぁ、と、思いながら、従業員用の自転車置き場へと向かった。 「お、お疲れ~」  バイク置き場のほうから現れたのは、昼から夜の勤務に変わった木村さんだった。最初は、小松原さんと二人で交代で入る話だったのが、いつの間にか木村さんだけになった。あんなに女性たちに人気だったのに、夜の勤務じゃ物足りないんじゃないか、と俺は思ってしまう。 「お疲れ様です」 「今日も寒いな」  そう言う木村さんは黒の革のジャンパーに細身の黒のジーンズ。首元には赤っぽいネックウォーマーをしている。ホワイトさんもモデルっぽいけど、木村さんもモデルっぽい。どちらかといえば、ホワイトさんはファッションショーとかでウォーキングしてそうだけど、木村さんだったら、メンズ雑誌とかに載ってる感じだな。 「もう『ほほえみパーク』のほうの桜並木の桜は、蕾が膨らんでるみたいですけどね」 「マジか」  俺たちはしゃべりながら、従業員出入口を抜けると、すぐに防災センターへと向かう。今日は西山さんが最後の出勤の日だ。中にはすでに警備員の制服に着替えている西山さんがいた。 「お疲れ様です」 「おー」  いつもと変わらないニカッとした笑顔で俺たちを迎えてくれた。  俺も木村さんも急いで着替えると、高田さんの前に並ぶ。今日の伝達事項は、新店の準備ということで業者が入っているということくらいで、いつもと変わらない。 「じゃ、西山と上原、いってこい」 「はい」 「いってきますっ」  俺たちは普段通りに防災センターを出たはずだった。しかし、それもフロアに出る従業員出入口まで。 「……上原、決めたか」  先に立っていた西山さんが、ドアを開けずに立ち止まった。 「え、あ……就職の件……ですか」  あれから、何度か一緒になることはあったが、特に西山さんからは何も言われなかった。だからって、まったく考えていなかったわけではない。母さんにも相談したかったけど、なかなか顔を合わせる時間がなくて、一言も話せていない。  警備員の仕事は嫌いではないのだ。この職場だって、高田さんを始め、いい人たちばかりだ。でも、それは俺がバイト、っていう身分だからであって、西山さんたちみたいに社員になったら、同じってわけにもいかない気がする。それに、万が一、転職するとなったとして、大学中退っていうのもネックになるんじゃないか、っていうことも考えてしまうのだ。 「お前さえよければ、高田さんから人事の方に話してもらってもいいんだぞ」 「西山さん……」  たかだか一年くらいしか勤務してない俺に、そこまで気にかけてもらえてるなんて思いもしなかった。それなのに、今の俺は、まだ迷ってる。 「まぁ、無理にとは言わないが……俺がいるうちに話ができたらいいと思っただけなんだがな」  苦笑いをしながら、顎をぽりぽりとかく西山さん。心配をかけて申し訳ないという気がしてくる。 「まぁ、なんだ。決めたら高田さんにでも相談してみろ。一応、俺からもちょっと話をしておくから」 「……すみません」  西山さんは俺の背中を軽く叩くと、ドアを開けてフロアを出ていく。  後ろをついて歩きながら、俺は目の前にある大きな背中を見つめ、悶々と悩み続けた。

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