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第36話 六杯目(5)
十九時過ぎ。夕飯の準備をしていると、玄関のドアが開く音がした。
「ただいまぁ」
疲れたような声は、母さんだ。ここのところ、ずっと遅かったのに比べると、かなり早くに帰ってきた。征史郎ですら、まだ部活の練習から帰って来ていないのに。
「お帰り」
「あ~、カレーのいい匂い~」
台所に立つ俺の背後から覗き込む母さん。俺の肩くらいまでしか身長がない。俺があんまり背が伸びないのは、絶対、母さんからの遺伝だ。征史郎が百八十超えてるのは、当然、父さんの遺伝なんだろう。
今日は、化粧直しをしてないスーツ姿の母さんは、いつも以上に疲れが顔に浮かんでるように見える。化粧直しをしなきゃいけない人と会わなかった、ってことだろうか。
「さっさと着替えてきたら」
「うん」
素直に返事をする母さん。これじゃ、どっちが親だかわからない、と思うと、思わずクスリと笑ってしまう。
征史郎はまだ帰ってこないけれど、俺のバイトの時間のこともあって、母さんと二人で先に食べ始めた。
「ん、今日も美味しい」
「そりゃどうも」
カレールーの箱に書いてあるレシピ通りに作ってるんだもの、誰にでもそれなりには作れるだろう。それでも必ず、母さんは『美味しい』と言ってくれる。確かに、人が作ってくれた物は旨い。
俺たちはテレビの音をBGMに、しばらく黙々と食べる。母さんからの話というのは、征史郎が帰って来てからなのだろうか。だったら、先に俺の話をしてしまったほうがいいかもしれない。俺はカレーを食い終わると残ったコップの水を飲み干した。
「母さん」
「ん?」
カレーののったスプーンを頬張っている母さんが、何? と問いかけるような顔で俺を見た。
「俺の方の話、先にしてもいい?」
まだ少しカレーが残ってる母さんが、スプーンを置いて頷く。俺が神妙な顔をしているせいか、真面目な顔で見つめてくる。
「あのさ、俺、大学、辞めて就職しようかと思うんだ」
「……征一郎」
一瞬、驚いたかと思ったら、泣きそうな顔になる。きっと、自分のせい、だとか思ってるんだろうな。俺は慌てて、言葉を続ける。
「いや、ほら、征史郎も大学受験じゃん?それに、もう一年休学してるし、このまま辞めて、就職したほうが家のためになるんじゃないかって」
「大学に未練はないの?」
「そりゃ、ないといったらウソになるけど。でも、現実的に考えたら、そうも言ってられないじゃない?」
最後、ちょっとだけ顔が歪みそうになったのを母さんから隠すために、俺は食べ終えた食器を手に流しの方へ行く。つい、父さんが生きていたら、そんな思いが頭をかすめたせいだ。
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