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第37話 六杯目(6)
やかんに水を入れガスコンロののせて火にかける。食後にコーヒーを飲むために、マグカップを二つ取り出す。
「まさか、退学届とか出してないわよね」
母さんの震える声に振り返る。泣いてはいないけど、今にも泣きそうな顔してる。わかってたこととはいえ、罪悪感は否めない。
「まだ、出してないよ。一応、母さんと相談してから、と思ったから」
「よかった……」
心底、ホッとした、という声を出すから、やっぱり、俺が大学を辞めるのは反対なんだろう。でも、これ以上、母さんに無理はしてほしくなかった。
インスタントのコーヒーをいれて、自分と母さんん前にマグカップを置く。
「でも、母さん」
「ホワイトさんって方、知ってる?」
「ホ、ホワイトさん?」
いきなり出てきた名前に、俺は気勢をそがれる。母さんはまだカレーが残ってるというのに、立ち上がると仕事用のバックから名刺入れを持ち出してきた。
「征一郎とも知り合いだって、お話だったんだけど」
そう言って差し出した名刺には、俺の知ってるホワイトさんの顔写真が載っていた。それも、にこやかな笑顔つき。書かれている役職に目が釘付けになる。
『B&Hコーポレーション 日本支社長 ルーカス・恭介・ホワイト』
……支社長?あのホワイトさんが?
呆然としながら名刺を見つめ続ける。
俺の知ってるホワイトさんは、ただのカフェの店長さんってだけ。そりゃ、モデルばりのイケメンなのはわかってたけど、まさか、こんな偉い人だなんて思ってなかった。
「……郎、征一郎、ねぇ、聞いてる?」
あまりにも驚いて、母さんが呼んでいるのにも気が付かなかった。
「あ、ああ」
「だから、いいお話だと思ったの」
唐突に話が始まる。いや、ぼうっとしている間にも母さんは何か言ってたのかもしれない。顔を赤らめて話をする様子に、身体が思わず強張ってしまった。もしかして、母さんの話って言うのは。
「お前さえよければ、ホワイトさんからのお話、受けようかと思って。そうなれば、お前も家のことを気にせず、大学に通えるだろうしね」
え?
まさか?
「もう、色々とお話をしたんだけど。あんなに熱心に言われたら、頷くしかないって思っちゃって。あんなにハンサムなんですもの。いくつになってもドキドキしちゃうわ」
年甲斐もなく、照れ捲ってる母さんの姿に呆然とする。まさか、母さんの相手って。俺がそれを追求しようとした時。
「ただいまぁ」
「あ、お帰りなさいっ」
ご機嫌な顔の母さんが、学校から帰ってきた征史郎に声をかける。
「お、今日、カレー?」
「そうよ~。やっぱり、征一郎が作ってくれるカレーは美味しいわねぇ」
ニコニコしながら、残っていたカレーを平らげる母さん。しかし、俺の方は、まださっきのショックから抜けきれない。
だって、もしかして、ホワイトさんが義理の父親!? 二人の馴れ初めとか、どうなってるんだ? え、でも、すごく歳離れてない? もしかして、ホワイトさん、それで俺に親切にしてくれたとか!?
俺は頭の中がぐるぐるしたまま、名刺を握りしめている。
「兄貴、バイト、時間いいの?」
いつの間にか制服からジャージに着替えていた征史郎が、自分でよそったカレーの皿を持って席についた。
「あ、ああ、そうだな」
温くなっているコーヒーを飲み干すと、混乱した頭のまま、俺は慌てて出かける準備を始めた。
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