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第54話 八杯目(3)

 部屋の中が肉じゃがのいい匂いでいっぱいになった頃、玄関のドアが開いた音がした。少ししてリビングに顔を出したのは、にこやかな笑顔を浮かべたルーカスさん。 「ただいま」  ネクタイを緩めながら俺に向ける笑顔に、温めなおしてた味噌汁をかき混ぜるお玉を持ったまま、惚けてしまう俺。何度見ても、ついつい見惚れてしまう。 「お、おかえりなさい」  自分で言うのもなんだけど、まるで新婚夫婦みたいなセリフに、照れ臭くなって、すぐに味噌汁の鍋を見るフリで背中を向けてしまう。 「いい匂いだね」  そう言ってキッチンに入ってきて俺の隣に立つと、鍋の蓋を開けて中を見て、嬉しそうに微笑む。 「おお、肉じゃがだ。俺の大好物」 「ソ、ソウデスネ」  俺と暮らすようになって、二人きりの時には『俺』と言うようになったルーカスさん。『私』と言ってた時も、大人の雰囲気でカッコいいと思ったけど、くだけた話し方に変わったルーカスさんも、なんか、少しワイルドな感じになって、ドキリとする。  二人で暮らし始めて、そろそろ三か月くらいになるんだけど、全然、まったく、慣れない。どうやったら慣れるんだろう。 「着替えてくる」 「ハ、ハイ」  そう言って、俺の頭にキスをしてルーカスさんは自分の部屋へと向かっていく。ルーカスさんの一挙手一投足に、俺は毎回、釘付けになってしまう。今だって、その背中をぼうっと見送ってしまうのだ。パタンと部屋のドアを閉めて、中に消えた瞬間、夢から醒めたように慌てて頭をふる。 「こ、米、炊けてたよな」  俺はしゃもじを取り出して、米をかき混ぜるべく、炊飯器へと手を伸ばした。  ルーカスさんが着替えてくるまでに、俺はテーブルの上に純和風な夕飯をそろえていく。実家にいた時と、やることはあんまり変わらない。残念ながら、母さんみたいに色んな料理が出来るわけではないけど、色々ネットで調べながら、作ってる。こんなこと、今みたいに時間がある時しか出来ないけど。  ルーカスさんは、外人な見かけによらず、和食が好きみたいだ。それは、ばあやの梅子さんの影響が大きいらしい。次は、アメリカに住んでいる日本人のお母さんの影響だそうだ。お祖母さんの日本好きが高じて、お父さんも日本人女性と結婚したかったらしく、仕事で来日した際に、お母さんと出会ったらしい。  お父さんはアメリカ人で、ルーカスさんはお父さんに似ている。家族写真を見せてもらったら、髪を短くしてもっと老けたら、ルーカスさんのうん十年後は、こんな感じだろうな、と思ってしまった。  一方の妹さんと弟さんはお母さん似で、黒髪、黒い目、完全に日本人にしか見えない。二人とも美男美女ではあるけれど、ルーカスさんとも兄弟にも見えないから、びっくりだ。  今のカフェ・ボニータの一号店は、お祖母さんの反対を押し切って若い頃のお父さんが頑張って出店したらしい。反対の理由としては、日本好きでも、事業とそれは違うってことだったらしい。もう三十年くらい前のことだそうだ。  アメリカのほうでは、親戚総出で、それなりの店舗数を展開出来たけれど、日本では、最初の頃、軌道にのるまでがかなり大変だったそうだ。ある程度、日本での地盤が固まった頃、ルーカスさんたちに任せて、夫婦そろってアメリカに帰ってしまったそうだ。 「セイイチロウ、ビール、飲むかい?」  ビシッとした格好から一転、ラフなジャージ姿に変わったルーカスさんは、冷蔵庫から、冷えた缶ビールを取り出そうとしていた。 「あ、はい。頂きます」  テーブルにグラスを置くと、ルーカスさんが缶から冷えたビールを注いでいく。食事をしながら、今日あったこととかを話したりと、まったりと時間を過ごしていく。これが、最近の俺たちの生活のペースになってきてる。それは、なんとも言えず、ホッとするような幸せな時間になった。

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