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第4話

  ◆◆◆◆◆  生まれたときから、本郷の家には毎日音楽が溢れていた。  父はバイオリニスト、母はピアニスト。共にαの両親は、本郷が生まれた頃には既に二人とも、世界中を飛び回るほど有名なミュージシャンだった。  父と母が各々練習をしている日もあれば、その日の気分で二人でセッションをしたり、週末などは両親の音楽仲間が本郷家に集ってちょっとした演奏会が開かれる。  そうして常に音楽を楽しんでいる両親の姿を見るのが、本郷はとても好きだった。中でも特に、母が奏でる繊細なピアノの音が本郷は大好きで、人生で初めて親に強請った玩具はトイピアノだった。母の演奏に合わせて、小さなトイピアノを毎日弾いていたのを覚えている。  家にはバイオリンやピアノ以外にも、音楽好きな両親が趣味で嗜んでいるドラムやギターにサックスなどの様々な楽器もあって、本郷は一通り触らせて貰ったが、やはり一番自分が極めたいと思ったのは、母と同じピアノだった。  両親は決して本郷にミュージシャンの道を強要したりはしなかったが、物心ついた頃には、ピアノに触れている時間がどんなときよりも幸せだと感じていた本郷は、自然と「ピアニストになりたい」という夢を抱いて、日々練習に明け暮れた。  本郷のピアノが上達するたびに両親が喜んでくれるのが楽しみだったし、自分の奏でる音楽を聴いた人が笑顔になってくれることが、本郷には何より嬉しかった。  そんな本郷は、両親が共に有名なミュージシャンだったこともあり、小学校に上がる頃には既にメディアからも注目を浴びる存在になっていた。その頃になると、本郷自身も数々のコンクールで賞を受賞するようになっていたことも、本郷の知名度上昇に拍車をかけていたように思う。  本郷自身は、別に賞なんてどうでも良かった。ただ、自分の演奏をより多くの人に聴いて貰いたい、音楽の楽しさを知って欲しい────そういう思いの方が強かった。  そんな本郷の意思と、世間やメディアの評価にズレが生じ始めていることに気付いたのは、小学校の高学年くらいだっただろうか。 『王子』、『美少年』……ピアノとも音楽とも全く無縁の肩書きが、気付けば本郷一哉という名前の前に、必ずと言って良い程添えられるようになっていることに、本郷は強い違和感を覚えた。  自分の容姿になんて、本郷は特別興味もなかったし、αに生まれた以上、見た目が良くても不思議じゃない。むしろ、αなら外見が良いのは当たり前と言っても良いくらいなのだから、そこに注目されることが、本郷はどうにも納得出来なかった。  決して見た目だけで本郷のピアノの腕を評価されているわけではないとわかっていても、「見た目が良くてピアノも上手い」という周囲からの賛辞を、本郷は素直に喜べなくなっていた。  それが最も顕著に表れていたのが、高校時代だった。 「それって、何て曲?」  本郷がピアノを弾いていると、それを聴いている女子たちはこぞっていつも同じ質問を投げかけてきた。  高校に進学して程なく、本郷はまだソロではなかったが、コンサートにも時折出演させて貰えるようになっていた。その練習の為、昼休みには可能な限り音楽室のピアノを貸して欲しいと学校側に交渉すると、本郷の存在をブランドロゴのように大袈裟に掲げていた学校側は、あっさり音楽室の使用許可を出してくれた。  これで学校に居ても短い時間だがピアノが弾ける────そう思ったのも束の間。  昼休みになると本郷が音楽室へピアノを弾きにいく、というのはあっという間に生徒の間で噂になり、気付けば昼休みには音楽室に他のクラスからも集まった女生徒たちのギャラリーが出来るようになっていた。  別に、演奏を聴いて貰うのは一向に構わない。聴衆が居る方が適度な緊張感も味わえるし、本郷のピアノを聴くことで、音楽に興味を持って貰えるならそれほど嬉しいことはない。  けれど現実はそうではなく、一曲弾く度に弾んだ声で問われる曲名は、彼女たちにとっては別にどうでも良いことだった。  曲名を答えたところで、返ってくる答えは「へぇ、そうなんだ」と、ただそれだけ。そこでもう、音楽の話題は呆気なく終了する。  本郷に曲名を聞くのは、本郷に話しかける為の単なるきっかけでしかないのだと、本郷は高一の半ばで悟った。  表面上は人当たりの良い男を演じていたが、内心では周りに群がる生徒たちに、心底うんざりし始めていた。「格好イイ」だとか、「手が綺麗」だとか、褒められて嫌な気はしないが、本郷が本当に欲しい評価はそこじゃない。  集まってくる生徒たちの中には男子生徒の姿もチラホラあって、彼らの目的が純粋に本郷の弾くピアノなのか、それとも単に女子の群れに混ざりたいだけなのかはわからなかったが、音楽には全く興味もないのにそれを餌に近付いてこようとする女子たちよりはマシだと思えたくらいだ。  母と同じく、将来はプロとしてやっていきたいと本郷が決意したとき、プロの道を目指すなら妥協はしないようにと両親から言われ、高校を出たら音大に進むと決めていたのだが、どうせなら高校も普通科ではなく音楽科のある学校を選べば良かった。  いっそ、今からでも転入してやろうかと思いながら、迎えた高校二年の春。  新しいクラスには、二人のΩが居た。  第二の性は、公に公表することは義務付けられていないし、特に学生時代は学校生活に支障をきたす恐れがあるという理由で、学校側から生徒に公表されることは決してない。けれど、さすがに高校生にもなると、特にαはΩを匂いで判別することが出来てしまうので、隠し通すことはなかなか出来ないのが現状だった。  二人のΩの内の一人、立花麒麟に関しては、本郷は1年の頃からその存在は知っていた。  Ωである上に、名前が珍しいからと、素行のよろしくない連中に絡まれているところを見掛けたことがあるのだが、Ωにしては珍しく立花は相当負けん気の強い性格のようで、廊下で相手に掴みかかっているところを教師に仲裁されていた。  見た目は細身で繊細そうだが、それに反して気性の荒い立花に比べると、もう一人のΩは一見特に目立ったところもない男子生徒だった。 『立花よりは大人しそうなΩ』────それが、本郷が悠に対して抱いた最初の印象だった。  本郷が悠と初めて接触したのは、まだ全く顔も名前も覚えていない女子たち(そもそも覚える気もなかったが)に囲まれて、音楽室へ向かおうと昼休みに教室を出たときだった。  丁度教室を出ようとした本郷の肩口に、入れ違いで教室に入ろうとしていた悠の額がぶつかった。 「あ、ゴメン」  大丈夫?、と咄嗟に声を掛けた本郷を、悠は頭一つ分低い位置からまるで威嚇でもするように、鋭い目つきでジロリと睨みつけて、そのまま黙って教室へと入っていった。  思わず呆然とその背中を見詰める本郷の周りで、「何アレ」「感じ悪すぎじゃん?」と女子たちが口々に不満を零す。けれど本郷だけは、ほんの一瞬だけ本郷を睨みつけてきた悠の瞳が、胸に焼き付いて離れなかった。  これまで、本郷をあんな目で見てきた人間は一人も居ない。  明らかに本郷に何かを言いたそうで、でも口には出来ずに精一杯毛を逆立てて立ち去る猫のような姿に、本郷の目は釘付けになった。 「……彼、何て名前だっけ」  ポツリと零した本郷に、周囲を取り囲んでいた女子たちが一斉に意外そうな目を向けてくる。だが、これもまた会話のきっかけになると思ったのか、口の軽い女子たちは、次々に聞いてもいない情報まで流してくれた。 「御影だよ。御影……悠、だっけ、フルネーム」 「そうそう。親居なくて、施設育ちらしいよ」 「あー、去年同クラだった友達が、目付きも口も悪いって言ってたけどその所為かあ」  情報提供ありがとう、と心の中で彼女たちに礼を告げ、本郷は聞いたばかりの悠の名前を何度も脳内で反芻する。 (御影悠、か……)  本郷を取り囲んでいる女子たちとは違って、全く本郷になんて興味も無さそうな悠が本郷のピアノを聴いたら、彼はどんな反応をするのだろう。  悠は絶対に、他の生徒たちのように本郷の弾く曲の名前を聴いたりなんてしないだろう。さっきみたいに、鋭い目で黙って睨んでくるのだろうか。  想像しただけで、得体の知れない高揚感が本郷の背を這い上がる。自身の歪んだ欲求を、自覚した瞬間だった。そして同時に、これまで音楽にしか興味がなかった本郷が、初めて音楽以外の『御影悠』という人物に、興味を持った瞬間でもあった。  それ以来、本郷は学校に居る間、時折悠の様子を盗み見るようになっていた。  悠の様子を眺めていて、気付いたことがいくつかある。  同じΩである立花とも、悠は一切親しくしている様子はなく、学校では常に一人で居ること。  Ωであるが故に、時に理不尽な因縁をつけられたりしても、立花のようにやり返しはしないものの、まるで何かを堪えるように唇を噛み締める癖があること。  それから授業中、ふと窓の外を眺める横顔が、酷く寂しそうなこと────  悠が今何を思っているのか、それを想像するだけでも、本郷の一日はあっという間に過ぎていく。  初めの頃こそ、悠は本郷の視線に全く気付いていないようだったが、周りの生徒の目を盗んで毎日悠を見詰める本郷に気付いてからは、目が合う度、あの日のように鋭い目で本郷を睨みつけて、フイッと悠は顔を背けるのだった。  言葉も一切交わさない、視線だけのやり取り。  けれど、本郷が視線を向けると必ず律儀に睨み返してくる悠は、全く懐かない野良猫のようで、本郷はそんな悠がいつしか愛おしくて堪らなくなっていた。  警戒心の塊みたいな悠をこの手で全て暴いたら、彼は一体どんな顔を見せてくれるのだろう────そう思うと、自然と本郷の口元には笑みが浮かんだ。  音楽以外に、こんなにも自分を執心させるものがあるなんて、本郷は思いもしなかった。  本郷しか知らない悠の姿を、何もかも暴いてやりたい。悠が本郷のことを思わずには居られないくらい、悠の中に本郷の存在を刻み込んでやりたい。  甘く整った容姿の内側で、本郷が密かに劣情の炎を燻らせていた丁度その頃。  図らずも、本郷の欲望が叶う日が訪れたのだ。    高校二年に進学して、最初の中間テスト最終日。  試験科目は、本郷が音楽の次に得意とする英語だった。  幼い頃から両親の海外公演に同行したり、海外のミュージシャンとも親交があった両親のお陰で、本郷は物心ついた頃から当たり前のように英語に触れていた。その為、今では日常会話レベルなら英会話も充分可能だった本郷は、テスト開始のチャイムと同時に、スラスラと回答用紙にシャーペンを滑らせていた。  テスト開始から十分ほどして、本郷が既に回答用紙の三分の二ほど埋めたあたりだっただろうか。  ブワッ、と、見えない何かに全身を撫で上げられるような感覚を覚えて、本郷は思わず顔を上げた。  試験中にも拘らず、教室中のαを中心とした何人もの生徒の視線が、一斉に一人の人物に注がれる。その視線の中心に居る悠から、強くて甘い芳香が放たれていた。  ────発情期だ。  発情期にΩが発する特有のフェロモンだとすぐに察した本郷は、無意識に唇を舐めた。自覚はなかったが、このときの本郷の瞳は完全に捕食者の光を帯びていた。  恐らく初めてで動揺したのだろう。悠が、慌てた様子で教室を飛び出していく。  教師の中にはβも多く居るが、運悪くこの日の試験監督はまだ若いαの教師だった。  生徒たちは悠の放つフェロモンに反応しつつも、さすがに試験中だったこともあって席を立つことはしなかったが、試験監督の教師は悠を追って教室を出ていった為、本郷は咄嗟に持っていたシャーペンを投げ出すと、驚く周囲の視線には目もくれず、急いでその後に続いた。 「先生……!」  悠を追って走る教師の背中へ向かって、本郷は声を張る。 「すみません、ちょっと頭が痛いので、保健室に行ってもいいですか? ついでに御影の件も、保健医に話しておきます。さすがに試験中に、試験監督の先生が教室を空けるのはどうかと思うので」  まだ教師という立場を思い出す理性は残っていたのか、本郷の言葉に教師は「わ、わかった」と頷くと、後ろ髪を引かれるように何度か本郷の方を振り返りながらも、教室へと戻っていった。  それを確認してから、本郷は微かに残る悠のフェロモンの匂いを辿って廊下を走り、突き止めた先は偶然か、それとも運命の悪戯か……そこは、本郷が毎日利用している音楽室だった。  微かな息遣いが漏れ聞こえる音楽室の扉を不意に開くと、発情期の熱を持て余しているのか、部屋の隅で自慰に及んでいた悠が、ビクリと大きく身を竦ませて愕然とした顔を向けた。 「……やっと見つけた」  初めて見る悠の表情に、思わず本郷の唇が笑みの形に歪む。 「ッ、本、郷……?」  慌てた様子で必死に下肢を隠そうと身を捩る悠から、αを誘う強い香りが漂ってくる。  悠が本郷の名前を覚えてくれていた嬉しさも相まって、軽い眩暈を覚えそうになりながらも本郷は後ろ手に扉を閉めると、ポケットから『音楽室』と書かれたプレート付きの鍵束を取り出した。  本当ならすぐにでもこの場で悠に喰らい付きたかったが、さすがに此処では誰かに嗅ぎつけられる可能性もあるし、廊下からも見られてしまう。  本郷は、音楽室の鍵とセットになっている小さめの鍵で音楽準備室の扉を開けると、まだ呆然として戸惑った様子の悠の腕を掴んで強引に引き込み、すぐ様内側から施錠した。準備室なら廊下側に窓もないので、秘め事にはピッタリだ。  悠が逃げ込んだ先が音楽室で良かったと思いながら、本郷は手早く自身のブレザーの上着を脱いで、床へと敷いた。その上に、掴んだままの悠の腕を引いて、本郷は悠の身体を押し倒した。 「本郷……お前、テストは……?」  少しは抵抗されることを覚悟していたが、既に理性が崩れかかっているのか、悠は熱に濡れた瞳で本郷を見上げてきた。おまけに、これから犯されそうになっているこの状況で、テストのことを心配する悠に、本郷は多少乱暴にでも襲いかかりたい衝動を必死に抑える。 「一教科くらい、どうとでもなるよ」 「っ、む……っかつく……」   言葉こそ素っ気なかったが、すっかり火照りきった悠の身体は制服越しにもその熱が伝わるほどで、本郷は少し性急に悠のブレザーのボタンを外すと、そのままワイシャツの下に掌を滑り込ませた。滑らかな肌の感触を味わいながら、腹から胸へ本郷がそっと撫で上げただけで、悠は緩く背を撓らせながら熱い吐息を漏らした。 「な、んで……俺、なんだよ……っ」  器用に片手で悠のシャツのボタンを外していきながら、本郷はその問いの答えを考える。  なんで、と聞かれたら、本郷にも明確な答えはわからない。  ただ、悠と初めて視線を交わしたあの日から、本郷の心はすっかり悠に奪われてしまっていた。  考えてみれば、言葉を交わしたのも今日が初めてだと言うのに、「なんで」と言いながらも本郷の手や唇で次第に蕩けていく悠の身体に、本郷の独占欲は煽られる一方だった。  悠が発情したのが、本郷の前で良かった。もしも街中で突然発情期を迎えていたら、恐らくあっという間に他のαやβの餌食になっていたに違いない。本郷の下で甘い声を零す悠が他の誰かのものになるなんて、我慢ならない。   もうすっかり濡れそぼって固く勃ち上がっている悠の性器に躊躇いなく指を絡めると、悠がビクリと大きく背を反らして、唇を噛み締めた。此処が学校じゃなければ、悠が必死に抑えようとしている声も、存分に引き出してやるのにと思いながら、本郷は悠の制服のスラックスへ手を掛けた。 「……御影。発情期のとき、どうすればラクになるか、知ってる?」  悠に『初めて』を与えるのは自分でありたい────本郷は、悠の返答を聞く前に下着ごと取り払うと、戸惑いと不安と興奮で震える悠の腰を掴んで、その体内へ挿り込んだ。  挿入の瞬間、「いやだ」と口にしていたものの、悠の中は熱く蕩けきっていて、難なく本郷を迎え入れた。溢れ出るほど充分に濡れている悠の後孔の心地良い締め付けに、本郷も軽く片目を眇めながら、次第に突き上げる動きを速めていく。  口では抗いながらも、気付けば悠の手は縋りつくように本郷の背中に回されていて、いつも一人で時折寂しげな表情を見せる悠は、心の何処かでこうして誰かに縋りつきたかったんだろうかと、欲望に駆られる頭の隅で思った。  本郷に揺さぶられながら、幾度も絶頂を迎えた悠の口からはいよいようわ言のような喘ぎ声しか聞こえなくなって、本郷も気付けばそんな悠の最奥を穿ってその体内に欲望の全てを吐き出していた。  くたりと床に崩れ落ちそうになる悠の身体を、本郷はそっと抱き締める。 「……好きだよ、御影……」  腕の中で意識を手放す悠の唇に、本郷はそっと口づけた。  もう離さないと、強くそう思ったのだ。────この先の未来なんて、考えもせずに。  本郷と身体を重ねた後。  悠の本郷に対する態度は、大きく変化していた。  本郷はこれまで通り、群がってくる生徒たちの目を盗んで悠へ視線を送り続けていたのだが、悠の方はあれっきり、本郷の方を見ようとはしなくなった。  それは嫌悪からではなく、明らかに反応に困っているといった様子だった。  悠は本当に困惑していたのかも知れないが、本郷としては、以前とは違って明らかに本郷を意識しているとわかる悠の反応が、素直に嬉しかった。悠の中で、本郷の存在が一際大きくなったことが実感出来たからだ。  校内では周りの生徒たちが邪魔をして、本郷と話す機会がないのは歯痒かったが、それでも本郷は言葉の代わりに、悠へ静かに視線と微笑みを送り続けた。  そんな毎日を過ごしている内に、あっという間に学校は夏季休暇に突入した。  本来であれば、学校へ行かずに済むのだから、夏季休暇中こそ本郷は悠とゆっくり会える絶好の機会になるはずだった。  けれど、既にピアニストとしての道を歩き出していた本郷は、日頃は学業を優先している分、公演などの予定は基本的に学校の長期休暇に合わせて貰っていた。その為、メディアによる取材や、コンサート前の練習やリハーサルなど、思いの外多忙な日々が待ち受けていて、結局夏季休暇中に悠に会うことは叶わないまま、本郷は新学期を迎えることになってしまった。  そこに待ち受けていたのは、まさかの悠からの呼び出しで、更にその用件は、悠の妊娠報告だった。  発情期中のΩが性行為で妊娠することは知っていたし、それが悠と本郷の子供ならそれほど嬉しいことはないと思ったのだが、まだ十代だった本郷は驚きの方が先に立ってしまい、先ず最初の過ちを犯した。 「それ……ホントに俺の子?」  Ωである悠の気持ちも考えず、本郷は自身の子を否定するとも取れる発言を零してしまったのだ。その瞬間の、悠の傷ついた顔は、いつまでも本郷の胸に残った。  最初は本郷に対して全く気を許そうとしなかった悠が、自ら本郷を呼び出して打ち明けてくれるほど、心を開きかけてくれていたのに、本郷はたった一言でその心を再び閉ざさせてしまった。  誤解を解こうと悠を追い掛けようとした本郷は、居合わせた女子たちに阻まれ、そうこうしている内に、悠はそれっきり姿を消してしまい、二度と学校へ来ることはなかった。悠が学校を辞めたと聞かされたのは三日後のことで、踊り場での会話を誰かが聞いていたのだろうか、クラス内では悠の退学理由は本郷の子供を妊娠したからだ、という噂が瞬く間に広まった。  それは事実に違いなかったが、元々本郷に好意的だった女子たちは揃って「発情期だからって御影の方が誘惑したんでしょ」と本郷を庇う発言を好き勝手に話し合っていた。  ……そうじゃない。悪いのは俺の方だ。  だからもう悠を侮蔑するのは止めてくれ、と本郷は心の中で何度も叫んだが、そもそも悠が退学した今、これ以上悠の話を口にされること自体耐えきれず、本郷は女子たちに「俺と御影は全く関係ないよ」とその関係自体を否定した。これが、本郷が犯した二つ目の過ちだった。  もう離さないと確かに強く思ったくせに、本郷は自らその思いを裏切ったのだ。  その過ちに気付かせてくれたのが、それまで一切本郷には関わってこなかった立花だった。  悠と同じΩである立花は、親しくなくとも、何か悠に共感出来るところがあったのかも知れない。 「……本郷。御影とのあの噂、ホントは事実なんじゃないのか」  放課後、突然廊下で本郷を呼び止めた立花は、真っ直ぐに本郷の目を見詰めながら、何処か確信めいた口調で問い掛けてきた。 「……同じΩだから、立花には何となくわかるのかな」  最早自分自身の愚かさにも嫌気がさしていた本郷が自嘲気味に笑った、次の瞬間。  立花の右ストレートが本郷の頬に見事に決まって、周りにいた生徒たちから一斉に悲鳴が上がった。殴られた本郷自身も、一瞬何が起こったのかわからず、痺れるような痛みは暫くしてからやってきた。 「ちょっと! 何すんのよ!」 「誰か先生呼んで!」  周囲の女子たちが次々に声を上げるのも気に留めず、立花は殴られた頬を呆然と抑える本郷を見上げて言い放った。 「自覚あるんなら、御影だけ辞めさせてないでちゃんと責任取れよ!」  高校時代、本郷が立花と交わしたやり取りはこれが最初で最後だったが、立花の言葉は本郷の腐りかけていた心を強く揺さぶった。  ……そうだ。  周囲の目や声に、自分は散々うんざりしていたはずだ。だからこそ、本郷に対して全く心を開いてくれない悠のことを、本郷は好きになった。  その悠が、一体どんな気持ちで本郷に妊娠を打ち明けてくれたのか……。  そもそもこの歳で妊娠が判明して、最も戸惑っていたのは悠のはずだ。それなのに、本郷は軽率な発言で悠を深く傷つけた。  あの後、出くわした生徒なんて無視して追い掛ければ、悠を引き留めて誤解を解くことだって出来たかも知れない。なのについ咄嗟に生徒に気を取られてしまったのは、うんざりだと思いながらも結局は周りに良い顔をし続けてきた本郷への報いだ。     立花に殴られたお陰で目が覚めた本郷は、それからすぐに悠の行方を探すべく、先ずは悠が育ったという養護施設へ向かった。 『ふたば寮』とかなり古びた看板が門柱に掲げられた施設は、建物自体もかなり年季の入った雰囲気だったが、庭では十人以上の年齢もバラバラな子供たちが元気に走り回っていた。  初めて訪れる養護施設に本郷が勝手に入って良いものか躊躇っていると、首からネームプレートを提げた職員らしき若い女性が「何かご用ですか?」と声を掛けてきてくれた。  本郷が悠の名前を出すと、「少しお待ちください」と建物の中へ駆けていった女性と入れ替わりで、白髪交じりの初老の女性が本郷の元へとやってきた。 「悠を訪ねてきてくれたっていうのは、あなた?」  制服姿の本郷を見上げて、柔らかな声音で問い掛ける女性に、本郷はまず軽く頭を下げた。 「御影くんと同じ高校の、本郷と言います。突然訪ねてきて、すみません」  本郷が名乗ると、女性は目尻に皺を寄せて微笑んだ。 「まあ、お気になさらず。私は此処の施設長を任されてます、葉月(はづき)と申します。これまで悠を訪ねて来てくれる人は居なかったから嬉しいわ」  心底嬉しそうな施設長の言葉に、本郷の胸がチクリと痛む。 「あの……御影くんは居ますか?」  本郷が問うと、そこで施設長の笑顔は曇り顔へと変わった。 「それが……数日前に突然、書き置きとお金を置いて、出て行ってしまって……。あの子、アルバイト代だってそんなに多くはなかったはずなのに、行き先も何も告げずに去ってしまったものだから、一体何があったのか心配で……」  学校を辞めただけでなく、施設まで出て行ったことを知って、本郷も思わず眉を顰めた。  十代のΩが突然フラリと出て行って、一人でまともに生活なんて出来るとは思えない。 「本郷くん…って言ったかしら。学校で、何か変わったことはなかった?」  ギクリと、本郷の身体が強張る。施設で育った悠にとって、目の前の施設長は恐らく母親のような存在だったのだろう。現に、自分の息子のことのように悠の身を案じている施設長を前にして、本郷は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 「……すみません。御影くんが此処を出て行ったのは、恐らく僕の責任です。僕の配慮の足りない物言いで、彼を酷く傷つけてしまいました。本当に申し訳ありません」  深く身体を折って頭を下げた本郷の言葉に、一瞬驚いたような表情を浮かべたものの、施設長はすぐに穏やかな顔に戻った。 「……頭を上げて頂戴。あなたと悠の間に何があったのかはわからないけど、こうしてわざわざ来てくれたっていうことは、悠に謝ろうと思ってくれたんでしょう? あの子は産まれてすぐに置き去りにされて、ずっと施設で育ったから、口も悪いし随分と捻くれた子になってしまってね。……だけど、自分より下の子の面倒をよく見てくれたり、食事の用意や私の仕事なんかも手伝ってくれたりして、根はとても優しい子なの」 「それは……凄くわかります」  人を突っぱねるような口調や態度で誤魔化してはいるが、悠が自分の身よりも相手のことを心配する人間だというのは、発情期のときに思い知った。  そんな性格だからこそ、悠は本当は、誰かに甘えたがっているんじゃないだろうかと、行為の最中、恐らく無自覚に本郷に縋りついてきた悠を思い出して、本郷の胸はまた切なくなった。 「あの子、夏休みの終わりごろに体調を崩して病院に行ったんだけど、どうもその辺りから様子がおかしかったの。昔から自分の事は話したがらない子で、聞いても『大丈夫』としか言わなかったけど、病院で何か言われたのかしら……」  ────そうか、病院だ……!  施設長の言葉に本郷はハッとして顔を上げる。妊娠しているのなら、産むにしても中絶するにしても、病院には行っているはずだ。……後者は、出来れば考えたくはないが。 「あの……! 御影くんが受診した病院、どこかわかりますか!?」 「えっ? そうね……行くとしたら、多分この先にある国道沿いの病院じゃないかしら。此処からだと一番近いし、この施設の子は皆昔から何かあるとお世話になっている病院だから……」 「ありがとうございます! ……もし、御影くんが此処に帰ってきたら、連絡貰えますか。これ、僕の携帯番号です」  本郷は通学カバンの中から取り出した手帳の一ページに自身の携帯番号を書いて渡した。 「ありがとう、必ず連絡するわ。あなたも、もしも悠に会ったら、せめて無事で居るかどうかくらい知らせて頂戴って、伝えてもらえるかしら」 「わかりました」  力強く頷き返して、本郷は「失礼します」と改めて深く一礼してから、教わった病院を目指して足早に歩き出した。  悠も子供も、頼むから無事で居てくれと祈りながら辿り着いた病院で、本郷は「パートナーが一人で中絶しようとしているかも知れない」と告げ、確かに悠がその病院を受診し、妊娠が判明したことは確認出来た。だが、病院側からはそれ以降、悠は一度も来院していないと聞き、いよいよ本郷は絶望感に頭を抱えた。  中絶にも訪れていないということは、産もうと思ってくれているのかも知れないが、それでもこの歳でたった一人でなんて余りにも無茶だ。  けれど悠がそんな無謀な選択をしてしまった責任は、全て本郷にある。    その後、悠が在学中にアルバイトをしていた先などにも確認してみたが、誰一人、悠の行方を知る人間は居らず、結局本郷は悠に辿り着けないまま、月日だけが流れていった。  結局音楽科のある高校に転入し、そのまま音大へと進学した本郷は、学業と両立しながらピアニストとしての知名度を確実に上げていった。  最早藁にも縋る思いで、探偵事務所などにも悠の捜索を依頼していた本郷は、大学に入って最初の夏、地元を離れた悠がAV業界に居ることを知り、衝撃を受けた。  そもそも、悠は本郷以外の相手とも身体を重ねるような人間だと本郷が思っていると誤解して、姿を消したのだ。そんな悠が、AV業界なんかに足を踏み入れるとは思えない。それに、あのときの子供は……?  探偵事務所から実際に悠が出演している作品が手元に届けられても、本郷はまだ事実が受け止められなかった。  ジャケットで、卑猥な体勢で裸体を晒しているのは確かに悠だったが、髪の色も変わり、元々細めなのに学生時代よりも更に痩せたその姿は、本郷の知っている悠ではなかった。  往生際悪く、尚も人違いであって欲しいと願いながらディスクを再生してみて、本郷は更に辛い現実を突きつけられることになった。  初めての発情期でも、本郷との行為に戸惑いや躊躇いを見せていた悠。  けれど、画面の中の悠は本郷の知らない男に身体を弄られ、自ら男の性器を口に含み、挙げ句男に言われるがまま、自分から脚を開いて男を受け入れている。  見た瞬間は、激しい嫌悪と嫉妬心で、胸の奥がジリジリと焼け焦げていくようだった。だが、暫くして本郷はある異変に気が付いた。  一見、男に貫かれて感じ入っているような声を上げている悠の顔は、本郷が悠との行為で見たそれとは、全く別物だった。それは恐らく、本郷にしかわからない違和感だった。  監督の指示なのか、「気持ちイイ」とうわ言のように繰り返す悠の顔には、快楽なんて滲んでいない。視線も、目の前の男を見ているようで、実際は何処か遠くを見ているようだった。スピーカーから聴こえてくる悠の喘ぎは、まるで悲鳴のように、本郷の耳には響いた。  ────違う。  悠に何があって、どういう経緯でこの業界に入ったかはわからないが、悠の心はこんな仕事を望んでなんかいない。  そう確信した本郷は、静かにプレーヤーの停止ボタンを押した。  悠をAV業界に堕としてしまったのは、他の誰でもない、本郷だ。  だからこそ、何としても、悠をそこから助け出したい。  もうこれ以上、悠が心の奥に隠した傷を広げたくない。  悠を助け出して、そして守っていく為には、とにかく本郷自身が一日でも早く、誰もが認めるピアニストにならなくてはいけない。  悠の所属しているプロダクションの規模はまだわからないが、助け出すにはきっとそれなりに金が必要になるだろう。  本郷の武器は、悠を想う気持ちと、それからずっと愛してきたピアノ、この二つしかない。だったら、『一流ミュージシャン・本郷夫妻の息子』ではなく、一人のピアニスト『本郷一哉』として、必ず世界の舞台までのし上がってみせる────  それからは、本郷はメディアが取り上げてくれるビジュアルも自身の強みだと割り切って、コンサートやリサイタル、それに以前から興味のあった作曲にも手を出し、精力的に活動の幅を広げ、少しでも多く自身の演奏を聴いて貰える機会を増やしていった。  依頼があれば、地方の小さなホールでの演奏会にも参加したし、他のアーティストへ楽曲を提供したり、ゲームやドラマの音楽制作などにも関わらせてもらった。  その甲斐もあってか、本郷の名前は目を引く容姿も相まって鰻上りに広まっていき、とうとう念願の海外公演の話も、親のコネではなく、本郷単独でもらうことが出来た。  多忙な日々で、腱鞘炎を患い痛みと戦う日もあったが、悠の味わった苦痛を思えば、本郷の痛みなど些細なものだった。  ────そうして、悠が本郷の元を去ってから7年。  今では毎年海外公演の予定も入り、自身のアルバムも記念すべき十枚目の発売を控えたある日、探偵事務所から一本の電話が入った。  不定期にひっそりと行われている、Ωを商品とする闇オークションが近日開催される予定で、そこに悠の所属するプロダクションからΩが出品されるらしいという内容だった。  そのオークションは、大物政治家や、大手企業の会長なども参加しているらしく、マニアックな著名人が集まる、裏社会では有名なものらしい。  出品されるΩが悠かどうかまでは不明だったが、そのプロダクションはこれまでにも一定の年齢に達したΩをオークションへ流している履歴があり、年齢的に考えて、今回出品されるのは恐らく悠に違いないと、本郷は急遽その日に入っていた雑誌の取材を変更して貰い、向かった会場で、ようやく悠を薄暗い世界から救い出すことに成功したのだった。   ◆◆◆◆◆ 「取材、結構時間かかっちゃいましたね」  運転席から、マネージャーがルームミラー越しに後部座席の本郷へ声をかけてくる。 「取材より、撮影の方だよ、時間がかかったのは」 「随分豪華なセット組んでくれてましたね。着いたとき、一瞬スタジオ間違えちゃったかと思いました」 「あんなに凝ってくれなくていいのに」 「本郷さん、写真映えするから、どこの雑誌もつい撮影に気合が入るんじゃないですか?」  いよいよマネージャーにも容姿を褒められるようになって、本郷は微かに苦笑する。   時刻は夜十一時半。  どうにか日付が変わる前にはギリギリ自宅に戻れそうだが、さすがに悠はもう寝ているだろうか。  四ページ分の取材だったので、撮影とインタビューを合わせてもそこまで時間はかからないだろうと踏んでいたのだが、いざスタジオに着くと、グランドピアノが置かれたアンティーク調の立派な一室のセットが組まれていて、そこでの撮影に随分と時間を取られてしまった。  撮影の間中、本郷が出掛けに食べかけていた肉じゃがのことばかり考えていたなんて、恐らくあの場に居た関係者も、出来上がった雑誌を見る読者も気付かないだろう。  慌ただしく出てきてしまったので、悠がどう過ごしているのか本郷には気掛かりで仕方なかった。  勝手がわからずに、困ったりしていないだろうか。  せめて出て来る前に、携帯の番号くらいは伝えておくべきだったと本郷がやきもきしている間に、マネージャーが運転する車は本郷の自宅マンションのエントランスに滑り込んだ。 「今日はお疲れ様でした」  本郷より二つ年上のマネージャーは、そうとは思えない丁寧さでいつものように運転席を降りると、わざわざ後部座席のドアを開けてくれる。  初めの頃は本郷も敬語で話していたが、付き合いが長くなってくるにつれ、お互い疲れるから敬語は止めようと本郷から提案したのだが、マネージャーは「自分は敬語のままで大丈夫です!」と頑として譲らなかった。  今回のような、本郷の都合による急な予定変更も、相手側と波風が立たないよういつも上手く交渉してくれるので、本郷にとってはかなり頼もしくて有難い存在だった。 「お疲れ様。明日のリハ、夕方からだっけ?」 「はい、午後五時からなので、またお迎えに上がりますね」 「わかった、ありがとう。それじゃ、おやすみ」 「おやすみなさい」  本郷がマンション内に入るのを見届けてくれるマネージャーに軽く片手を振って、本郷はエレベーターに乗り込んだ。  エレベーターの速度もいつもより遅く感じて、本郷は焦れたように階数表示を見上げる。そうしてやっと本郷の部屋がある三十階にエレベーターが到着し、扉が開くと同時に本郷は足早に自室の玄関へと向かった。  鍵を差し込んで開けようとしたとき、そこで違和感に気付く。  本郷が部屋を出るとき、確かに施錠したはずの玄関の鍵が開いていた。  ────まさか。  嫌な予感が頭を過ぎって、本郷は慌てて扉を開けると靴も脱ぎ散らかしたまま、急いで室内へ駆け込んだ。  シン…と静まり返った室内に、人の気配はない。 「御影?」  リビングを見渡すようにしながら呼び掛けたとき、視界に入ったダイニングテーブルに、一枚のメモが置かれていることに気が付いた。 『助けてもらったのに、留守中に出てって悪い。  全額は無理でも、金は返せるだけ返しに来る。  肉じゃが、鍋にもまだ残ってるから、  火入れれば食える。  ありがとな。         御影』  室内には、まだ仄かに悠が作ってくれた肉じゃがの匂いが漂っていた。  ほんの数時間前までは、確かに此処にいたはずなのに。  ようやく、助け出せたはずだったのに。  痕跡だけを残してまたしても本郷の元から去ってしまった悠を思って、本郷の口から乾いた嗤いが漏れた。 「ハハ……いい加減、迷子にならないように、首輪とリードが必要かな……」  折角見つけたと思ったのに、また振り出しなのかと、本郷がメモを片手にドサリとソファへ身を沈めたとき。  ポケットの中で、スマホが着信を知らせて震えた。相手は、つい今しがた別れたはずのマネージャーだった。 「────はい」  脱力した腕でどうにかスマホを耳に当て、無気力な声で応答した本郷に、マネージャーが『どうかしたんですか?』と心配げな声を寄越してくる。 「ちょっとね……。ところで、何か伝え忘れでもあった?」 『実は、今事務所から連絡があって、弁護士を通して本郷さん宛に電話が来たそうなんです』 「……弁護士?」 『何でも、立花さんって方が本郷さんと連絡を取りたいそうで……。一応、本郷さんに確認しないとわからないので、折り返し連絡するって形で相手には伝えてあるらしいんですが────』  立花、という名前に、本郷は思わずソファへ沈めていた背をガバッと起こした。  どういうツテなのかは知らないが、弁護士を通してわざわざ自分に連絡を取りたいと言ってくる『立花』なんて、思い当たる人物は一人しか居ない。 「俺から連絡するから、向こうの連絡先教えて。大至急」  どうやら今度は振り出しからのスタートではなさそうだ。  今度こそ、絶対にこの手を離して堪るものかと、本郷は悠の残したメモを持つ指先へ静かに力を込めた。

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