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番外編 夫夫の形

「はい、悠。お土産」 「土産?」  帰宅した本郷が、出迎えた悠に小さなケーキ箱を差し出してきた。  箱に記された店名には馴染みがある。  以前本郷がスタッフから貰ったと持ち帰ってきたモンブランが絶品で、悠が密かに気に入っている店のものだ。  本郷に直接伝えたことはないのに、見抜かれているのか、それ以降本郷は誕生日や何かの記念日には、この店のケーキを買ってくるようになった。  だが、今日は悠も本郷も誕生日ではない。 「……今日ってなんかあったか? また差し入れ?」 「違うよ。今日は、いい夫婦の日だから」 「ふっ……!?」  言い慣れない言葉に、ケーキの箱が手から零れ落ちそうになる。  本郷はサラッと言ってのけたが、夫婦ってなんだ。  ……いや、でも番ってるから同じようなモンか……?  項に刻まれた傷痕が、じわりと熱くなるような気がする。本郷に嵌められた、結婚指輪ならぬ首輪。 「というわけだから、悠、何か俺にしてほしいことない?」 「してほしいこと?」 「だって悠、普段は俺に何か求めたりしないでしょ。してほしいこととか、欲しい物とか、絶対口にしないから」  ……だから、ケーキも買ってきたのか。  箱の中を覗くと、中身は悠のお気に入りのモンブランだった。  求めないも何も、本郷はいつも、悠が望むものは何でも与えてくれている。  衣食住は勿論、穏やかに暮らせる場所も、大切にされる喜びも。  なのにこれ以上、何を求めろと言うのだろう。 「……別に、今の暮らしだけで充分だしな」  悠は本心を伝えただけなのだが、本郷は「寂しいなあ」と苦笑した。  長い腕が、悠の身体を絡め取って抱き込む。 「たまにはもっと欲しがってよ」 「こんだけ贅沢な暮らしで、欲しいモンなんか浮かぶかよ」 「そうじゃなくて───」  緩く髪を握り込まれて、少し強引に顔を上げさせられる。鼻先が触れ合う距離まで顔を寄せた本郷が、形の良い目を細めた。 「俺のこと、もっと欲しがってって意味」  フワリと品の良い本郷の匂いが悠を包む。  この匂いは怖い。悠を捕らえて、泣きたくなるほど幸せにしてくれるから。 「……求めたら、お前は際限なく与えてくれそうだから怖いんだよ」 「際限なく愛されればいいよ。言ったでしょ、死ぬまで離してあげないって」  本郷の掌が、二人の繋がりを確かめるように、スルリと悠の項を撫でる。そのまま掠めるように悠の唇へ口付けて、本郷が思い立ったように「そうだ」と声を上げた。 「じゃあ、俺が悠にしてほしいこと、言っていい?」 「……何となく嫌な予感するけど、なんだよ?」 「折角だから、悠が俺にケーキ食べさせて」  食べさせて、なんて言いながら、長くて綺麗な指が悠の唇をなぞる。 「なんだソレ……正気かよ」 「結婚式とかでもよくやってるでしょ」  浮かれた様子でフォークを取ってきた本郷が、満面の笑みで「はい」と差し出してきた。 「え、なにお前マジで言ってんの?」 「悠こそ、そんなに嫌?」  小綺麗な顔であからさまにシュンとされると、反射的に胸が痛む。  完全に本郷のペースに流されているとわかっているのに、「そんな小っ恥ずかしいこと出来るか」と撥ね付けられない。一緒に暮らすようになるまでは、自分を誤魔化してでも本郷から逃げ続けていたのに。  ……もうとっくに、捕まってんだよな。  再会して、暗闇から連れ出してくれたあのときから───いや、きっと初めて身体を重ねた高校時代から。悠の心は、ずっと本郷のものだった。  諦めの溜息をついて、悠は受け取ったフォークで箱の中のモンブランを掬うと、躊躇いながらも本郷の口元へ差し出した。 「『あーん』がない……」 「うるせぇ! くそ恥ずかしいんだから、さっさと口開けろよ!」  無理矢理捻じ込んでやろうかと思ったところで、本郷は「可愛いなあ」と笑ってパクリとフォークに食らいついた。  いい歳した男が二人して、一体なにをしているんだか。  呆れるやら恥ずかしいやらで居た堪れない悠に反して、本郷は満足そうに微笑んでいる。こんなことくらいで幸せそうに笑うから、悠はこの男から離れられない。 「うん、美味しい。悠の方が美味しいけど。悠も食べさせてあげようか?」 「遠慮しとく。つーかサラッと間になんか挟むな」 「勿論、後でこっちも食べさせてくれるよね?」  耳朶を甘く食まれて、ついビクリと肩が震える。  本郷は、悠がなにも求めないと言ったけれど、そんなことはない。行為の最中は、いつも本郷に流されるまま、気づけば本郷を求めてしまっている。  きっと本郷は、流されなくとも悠自ら求めてほしいと言っているのだろうが、素直になれない悠にはまだまだハードルが高い。 「そういや、俺もお前への要望あったわ。起きたとき毎回驚くから、全裸で寝んな。あと、すぐコスプレさせようとすんのもやめろ」 「コスプレで思い出した。悠、結局ハロウィンのときも学ラン着てくれなかった……」 「着ねぇよ! ハロウィンに乗っかって着せたかっただけだろ!」 「他の男は悠の学ラン姿目の前で見てるのに、俺はダメ?」 「それは……っ、てかそのネタ出してくんのは卑怯だろ!」 「俺は本気で嫉妬してるよ」  不意に真顔になられて、言葉に詰まる。 「俺の知らない悠が居るのは、我慢できないから」  これがその辺の男のセリフなら、変態だとかストーカーだとか、言い返す術はいくらでもある。なのに本郷に言われると、偏執的かつ変質的だと思っても、身体が先に応えようとしてしまう。  多分、本郷は全てわかっている。  どれだけ捻くれたことを言ってみても、悠が本郷を拒みきれないことを。 「……ほんの一瞬、着るだけなら……」 「制服は着た姿を味わって、脱がせるところまでが制服だよ!」 「力説すんな、変態!」  いつも通り悪態をついてみるけれど、本郷から寄越される愛情に、結局今日も簡単に押し流されてしまうのだろう。  臆病な悠は、いつだって自分から手を伸ばせない。本郷が差し出してくれる手が、あたたかくて幸せな場所へ攫ってくれるのを待っている。  狡くて弱いこの心から、本音を引き摺り出してほしい。  いい夫婦、というのがどんなものかなんて、悠にはよくわからない。  ただ、少しぎこちないこの関係が、きっと悠と本郷、二人の形なのだ。  その後、学ランに袖を通した悠がどうなったのかは、二人のみぞ知る───。

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