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番外編 モノクロに一雫

「悠、水持ってきたよ。起きられる?」  本郷が声を掛けると、行為に疲れきったらしい悠が、ベッドにうつ伏せになったまま気怠げに顔を上げた。  しなやかな裸の背には、本郷が残した幾つもの朱い痕が散らばっている。眺めていると、もう散々啼かせた身体にまた覆い被さってしまいそうで、僅かに視線を逸らしながらベッドに腰を下ろした。  小さく呻いて、悠がベッドの上でのそりと身を起こす。 「……腰痛ぇ……もうちょっと加減しろよ」 「だって悠が色っぽかったから。……嫌だった?」 「……別に、嫌なワケじゃねえけど」  ボソボソと答えた悠の細い眉がキュッと寄る。照れているときの癖だ。自覚がないらしいので、敢えて本人には指摘していないけれど。  まるで悠の本心みたいに、真っ直ぐで綺麗な髪へ口付けて、本郷はキッチンから取ってきたミネラルウォーターのペットボトルを手渡した。  ヘッドボードに凭れるようにして水を呷る悠の膝の上へ、本郷はゴロリと身を横たえる。すると、少し驚いた様子で悠がペットボトルを傾ける手を止めた。 「何してんだよ?」 「膝枕」  見上げる視線の先で、悠が僅かに目を細めた。これは、ちょっと呆れている顔だ。 「首、痛めたらどうすんだよ」 「気持ちいいから大丈夫」 「嘘つけ。寝心地いいワケねぇし」 「好きな人の膝枕とか、どんな枕より最高でしょ。それに俺、実は膝枕って憧れてたんだよね」  物心ついたときからピアノに触れる時間ばかりだった本郷は、他人とも、実の親相手でさえ、過剰なスキンシップはしたことがなかった。  両親は決して薄情だったわけではないが、多忙な姿を生まれた頃から見ているので、ゆっくり触れ合う時間がないのも仕方がないと思っていたし、それが当たり前だと思っていた。自分にはピアノがあるのだから、触れるのは鍵盤だけで充分だった。  そんな環境で育った所為なのか、周りに人が集まってきても、不思議と何の興味も湧かなかった。ピアノ以上の魅力を感じなかった、と言う方が正しいかも知れない。  自分にはピアノがあるからそれでいいと思っていたけれど、裏を返せば自分にはピアノしか無いのだということに気がついたのは、一体いつだったか。  幼い頃からずっと白と黒の鍵盤ばかり見ていたから、いつの間にか周りの景色まで、モノクロの世界になっていた。  そんな本郷の世界に初めて色を与えてくれたのが、御影悠という存在だった。  教室の入り口でぶつかったあのとき。睨むように見上げてきた悠の、強がる中に不安と孤独が滲む瞳の色は、今でも鮮明に覚えている。  今となっては、悠がどうしていつもどこか寂しげだったのか、彼の育った境遇を思えば納得出来るが、悠の瞳に惹かれたのは、もしかしたら本郷自身も、ずっと孤独だったからなのかも知れない。  悠の姿を一度見失った後、本郷の世界は再び色を失った。  残されたのは、モノクロの鍵盤のみ。  元通りに戻っただけのはずなのに、悠という色が消えた世界は、どんなに音を奏でても、静かで空虚に思えた。  ───寂しい。  色の無い広い世界に虚しく響いて消えていく音を聴きながら、ふとそう思った。「寂しい」という感情に出会った瞬間だった。  自身の過ちが招いた結果だというのに、身勝手にも程があると、我ながら呆れた。きっと自分は、人として何かが欠けてしまっているのだろう。 「……お前って、変わってるよな」 「え、さっき×××したこと?」 「そうじゃねえよ、それは忘れろ! ……昔からモテまくってんだから、膝枕とか、今更じゃねえの」  言いながら、悠の手が遠慮がちに本郷の髪を梳く。見下ろしてくる目は、まるで「しょうがねえな」とでも言っているみたいだ。こんな風に些細な表情の変化を気にかけることも、悠に出会う前の本郷なら、きっとなかった。 「悠以外の膝枕になんか、興味もないし意味もないよ」 「……やっぱ変わってる」  独り言のように呟いて本郷の髪を緩く撫でる悠の瞳には、もう孤独な影はない。  限られた色の世界でしか生きてこなかった自分に、初めて孤独を教えてくれた悠。  本郷よりもずっと寂しく冷たい場所に居たはずの悠を、二度と独りにはしたくない。  甘えるのが苦手なら、こちらから甘えてやればいい。  そうしたら、素直じゃなくて優しい悠は、いつだって本郷を甘やかしてくれる。今みたいに、愛おしそうな目をしながら。  こんな欠陥品のαを愛してくれる悠だって相当な変わり者だよ、とは、思っても口には出せない卑怯な自分を、どうか今日も思いきり甘やかして───。

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