17 / 30
番外編 宝石の音
「かーさん! おみせやさんごっこ、しよう!」
食器を洗い終え、シンクの水を止めたところで、カウンター越しに奏がヒョコッと顔を覗かせた。
「いいけど、今日は何売ってくれるんだ?」
「おみせやさんは、かーさん。きょうは、かなでがおきゃくさん!」
いつもは自作のおりがみや粘土細工を並べて、「かいにきて!」と強請る奏にしては珍しい。
どうして今日は逆なのかと思ったら、奏の手にはオモチャの小銭と紙幣が握られていた。昼間、家族で買い物に出掛けたショッピングモールで、本郷に買って貰ったものだ。
早く使いたくてウズウズしている様子の奏に思わず口許が緩む。単純に子供らしくて可愛いというのもあるが、ピアノで新しい曲を弾くときの本郷の顔に、よく似ているから。
「いらっしゃいませ、注文は?」
了解、の返事の代わりに悠が聞くと、奏は「うーん」と暫く宙を仰いで考え込んだ後、パッと目を輝かせた。
「えっと、きれいなほうせき、ください!」
「宝石?」
「うん。とーさんはあお、かーさんはあか、かなではきいろ! だから、ほうせき3つ、ください!」
「俺にも買ってくれるの?」
ソファで食後のコーヒーを堪能していた本郷が、微笑ましそうに視線を向けてくる。
「宝石か……高いけど、いいのか?」
「かなで、おかねたくさんあるから、へーき!」
両手一杯のオモチャのお金を広げて見せる奏に、悠は「わかった」と頷いてキッチンボードの引き出しを開けた。
取り出した金平糖の袋から、青と赤と黄色だけを選んで五粒ずつ皿に入れてやる。
「特別に、『食べられる宝石』売ってやる」
「これなに? ほしみたい!」
初めて金平糖を見た奏が、カウンターに置かれた皿の中を見詰めて感動の声を上げた。
「これ、おいくらですか?」
「そうだな……ちゃんと家族の分買って偉いから、特別価格で三百円」
「さんびゃく……これが、三枚?」
「それは五百円だな」
「どーなつがたは五十えんだから、これ?」
「そう。それが三枚で、三百円」
「こっちは? いらないの?」
本物よりも随分小さい紙幣を掲げて、奏が首を傾ける。
「食べられる宝石が無くなって、また欲しくなったときの為に、大事に取っとけ」
「……うん!」
小さな手からオモチャの百円玉を三枚受け取って、代わりに金平糖の入った皿を渡してやる。「お買い上げ、ありがとうございました」とその髪を撫でた悠に、奏が赤い金平糖を一粒差し出してきた。
「はい、かーさんのぶん」
「……サンキュ」
「とーさんにも、あげるー!」
中身を零さないように、慎重にソファへ歩み寄ってきた奏から、青い金平糖を一粒貰った本郷が、「ありがとう」と労ってから悠の元へとやってきた。奏は、初めて買った『食べられる宝石』がお気に召したのか、ソファで金平糖を摘んで喜んでいる。
「悠ってホントに子供の相手、上手いよね」
「別にそんなことねぇと思うけど」
「そんなことあるよ。さっきも、さり気なく奏に小銭の種類教えてあげてたでしょ。俺ならきっと、払うのが簡単な五百円とか千円って言っちゃうだろうなって、感心してた」
「……まあ、子供の相手なら、施設ではずっとしてたしな」
自分よりずっと年下の子供の相手に慣れているのは事実だが、奏がより愛おしいのはそれだけじゃない。
奏は、悠が長年ずっと捜し求めていた存在だからだ。
本郷との間に授かった、かけがえのない命。
本郷と共に奏の成長を見守ることが出来るのは、何より幸せなことなのだと、この不器用な口でどう伝えればいいだろう。
そんな悠の心中を察したのかどうなのか、本郷が悠の髪をくしゃりと掻き混ぜた。
「俺も、奏みたいにここで買い物したいな」
「食える宝石、お前にもやろうか?」
「宝石は、奏がまた買いに来るかも知れないからなあ」
ソファで金平糖を一粒ずつ味わっている奏を横目で見て、本郷が苦笑する。そのまま少し身を屈めた本郷の唇が、不意に悠の耳許へ近付いた。
「じゃあ俺は、バニーガール姿の悠をください」
「……しょうがねぇから、特別価格で六万───てなるワケねぇだろ!」
「待って、悠。金額が生々しい上に安すぎる。どういうこと? まさか経験あったりするの?」
「そんな酔狂なヤツ、お前ぐらいしか居ねえよ!」
「どうかな……取り敢えず、詳しいことは奏が寝たらベッドでゆっくり聞くから」
だから違う、と言いかけた口が、奏の目を盗んで寄越されたキスで塞がれる。
幼い奏だけでなく、いい大人の本郷にも振り回される、賑やかな毎日。けれど本郷と奏でる日常は、ずっと空っぽだった悠の心を、今は幸せな音で満たしてくれているのだった。
ともだちにシェアしよう!