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番外編 愛くるしい

 ───やっぱり、止めときゃ良かった。  寝室に入った瞬間、悠はつい小一時間ほど前の発言を、即座に撤回したくなった。  今日は、本郷の誕生日だ。  夕飯は元々本郷の好物を作るつもりにしていたが、何日も前から悠は頭を悩ませていた。  そう、誕生日プレゼントだ。  本郷はブランドにも特に拘りは無いらしいが、育ちの良さからか、それとも周囲からのアドバイスなのか、服にしろ靴にしろ時計にしろ、いつも上質なものを身につけている。  本郷のマンションに居候させて貰っている悠には、さすがにそんな高価なものは贈れない。  だが何より悠が悩んでいるのは、プレゼントの値段ではない。というか、恐らくそこは問題ではないのだ。  何故なら、相手が本郷だから。  ピアノと悠が傍にあれば生きていける、なんてことを、本郷は時々サラリと口にする。そんな男だから、「誕生日に何が欲しい?」なんて聞いたところで、返ってくる答えは何となく予想出来た。  だからこそ、悠は聞きたくなかったのだが、誕生日当日も朝から仕事の予定が入っている本郷に、何も言わないのも気が引けて、悠は身支度を終えて玄関に向かおうとする本郷を、躊躇いがちに呼び止めた。 「あのさ……お前、今日誕生日だろ。……なんか欲しいモンとか、ねぇの」 「え、なに、朝から悠の最高のデレが発動してるけど、これがプレゼントじゃないの?」 「……なら、そういうことでいい」 「ちょ、嘘だよ、冗談! そうだなあ……欲しいものって言われたら、一つだけあるかな」  意外な返答に、悠は思わず目を瞬かせた。  悠には「欲がない」と言う割に、本郷こそ悠に物を強請ったことなんて一度もない。精々、夕飯のリクエストが時々あるくらいだ。 「珍しいな、お前が何か強請るの」 「ずっと、どうしても欲しいと思ってたんだよね」 「大概のモンなら手に入りそうなお前が、そこまで欲しがるものって何だよ? そもそも、俺に用意出来るモンなのか?」 「むしろ、悠にしか用意出来ないものかな」  形の良い唇を少し綻ばせて、本郷が何やら意味ありげに微笑む。  本郷がこういう顔をするときは、決まって悠を戸惑わせるときだ。意地が悪い、というより、悠が困惑する様子も含めて楽しむような……厄介な趣味、とでも言うべきか。 「……もう悪い予感しかしねぇんだけど」 「年に一度の誕生日だから、ずっと俺が欲しかったもの、くれる?」  あくまでも決定権を悠に与える本郷の物言いは、狡いと思う。  初めて身体を重ねたときもそうだった。抗おうと思えばいくらでも跳ね除ける術はあったはずなのに、あの時も、悠は本郷に抗えなかった。  本郷は決して力で抑えつけるようなことはしないのに、本郷の甘い声と口調に、悠はいつもやんわりと絡め取られる。  そして何より、本郷に流されることを嫌だとは思えないのだから、タチが悪い。 「……まあ、俺にやれるモンなら」 『誕生日』というキーワードと、甘く問い掛けてくる本郷に、この日も悠は勝てなかった。  本郷の唇が、満面の笑みを湛えて弧を描く。 「じゃあ、今夜帰ってきたら、悠から悠をプレゼントして?」 「……は?」  寄越された要求が理解出来ず、思わず間の抜けた声が漏れた。  ───俺から、俺を……?  脳内で何度か反芻して考えるが、さっぱり意味がわからない。 「それ、どういう意味だよ?」 「そこを考えるのも含めて、プレゼントってことにしよう。それが貰えたら、俺は最高に嬉しいから」  悪戯っぽく片目を閉じると、本郷は「じゃあ行ってきます」と呆ける悠の唇へ口付けて、出掛けて行ってしまった。  玄関にポツンと取り残された悠と、謎かけみたいな本郷のリクエスト。  その後、洗濯や掃除をしながら延々と本郷の言葉を繰り返し考えてみたが、悠には答えが導き出せなかった。  ───なんか、凄ぇ薄情モンみたいじゃねぇか。  どうせなら帰宅した本郷を喜ばせてやりたいけれど、悠一人でぐるぐると考えていても、自己嫌悪に陥るだけのような気がしてくる。  結局昼食を終えても本郷への誕生日プレゼントが見つからなかった悠は、唯一頼れる友人に助けを求めることにした。 『うわー……なんか、いかにも本郷って感じ』  スピーカーから、呆れとも感心とも取れる微妙な笑い声が聞こえてくる。  偶然の再会を果たして以来、何かと相談相手にもなってくれている立花に、電話で今朝の本郷の言葉を伝えたところ、返ってきたのがこの反応だった。 「アイツのことだから、俺に用意出来ねぇモンは、端から要求してこねぇと思うんだけどな」 『いやでも、そのリクエストに対して真剣に悩んでる御影も、らしいなあと思うけど』 「どういうことだよ?」  パートナーの悠にはわからない答えが、立花にはすんなり理解出来たんだろうかと思うと、また少し胸が痛んだ。本郷のことを、まるで理解出来ていない気がして。 『あのさ。ちょっと立ち入ったこと聞くけど、夜の誘いって、御影からすることある?』 「はあ!?」 『いや、別に揶揄ってるわけじゃなくて、ちょっと気になったから』  そう言う立花の声は、確かに茶化すようなものではなかった。  けれど、いくら元クラスメイトでΩ同士とはいえ、さすがに互いの寝室事情を語り合ったことはない。カアッと勝手に顔が熱くなるのがわかって、これが電話越しで良かったと思った。 「……ちゃんと意識したことねぇけど、きっかけ作んのはアイツの方、だと思う」  ボソボソと答える悠に、立花が電話の向こうで『やっぱり』と苦笑する。 『御影は、本郷に気持ち良くなって欲しいとか、思ったりしない?』 「何なんだよ、さっきから変なことばっか聞きやがって……。気持ち良くっつーか、俺相手で気持ちいいのか、とかは時々考える」  本郷はいつだって、悠の快楽を優先する。敢えて羞恥を煽るようなことは言ったりするが、それも結果的には悠を昂らせる為だ。  毎回思考が溶けそうなほど満たされるのは悠ばかりで、だからこそ、本郷は満足出来ているんだろうかと不安になる。 『相変わらず真面目だなー、御影』 「真面目?」 『俺は、そんな難しく考える必要ないと思う。御影は本郷相手で、気持ち良くならない?』 「……お前、よく平然と聞けるな。……そりゃ、良くなくはねぇ、けど」 『どっちだよ、ややこしい。つまり、大事なのはそこなんだって』 「? お前まで本郷みてぇなこと言うのかよ」 『別に謎かけでも何でもなくて、本郷が言ってるのはもっとシンプルなことだと思う。御影に何してもらったら嬉しいか、じゃなくて、相手が御影だから嬉しいってこと』 「本郷も立花も、もっとわかりやすく言えっつーの」  スマホ片手に顰め面になる悠を余所に、立花が愉しげに笑う。 『つまり、御影自身にリボン巻いて、「おかえり」って出迎えてやればいいんだって』 「は……? 本郷ならともかく、そんな真似出来るかよ」 『絶対喜ぶと思うけどなー、本郷』 「……アイツ、マジで喜びそうだからやめてくれ」 『まあリボンは大袈裟としても、御影、ちゃんとわかってるじゃん。どうしたら本郷が喜ぶのか』 「え?」  思わず、立花の言うようにリボンを巻いて出迎えたときの、本郷のリアクションを想像してみる。  ───まあ、喜ぶだろうな。絶対やらねぇけど。  だったら、リボンも何も巻いていない、いつも通りの悠が出迎えたとしたらどうだろう。  ……それでも、本郷はきっと嬉しそうに「ただいま」と笑うに違いない。悠が特別なことをしなくても、本郷はいつもそうだから。  毎回本郷の方から夜の誘いをくれるのも、不器用な悠にはそれが出来ないことを知っているからだ。流されているふりで誤魔化して、悠は本郷にずっと甘え続けてきた。 「……たまには、俺から動けってことか」 『あ、なんか気付いた? ていうか御影は遠慮し過ぎなんだよ。俺なんか、我慢出来なくてしょっちゅう勝吾さんの寝込み襲って、叱られてるし』  あっけらかんと言い放って笑う元クラスメイトは、同い年の同じΩとは思えないほど肝が座っている。  学生時代から、どこか凛とした空気を纏っていた立花が、少し羨ましかった。同じΩでありながら、後ろめたさばかり抱えて生きてきた悠より、立花はずっと強い。 「さすがにお前みたいに寝込み襲ったり、リボン巻くのは出来そうもねぇけど」 『だからリボンは例えだって。でも寝込み襲うのって、そんなハードル高い?』 「寝てるとこ起こすのって、気ぃ引けるだろ」 『……やっぱ真面目だな、御影。喜ばせたいって気持ちがあれば、それだけで大丈夫だよ』  それから少しの雑談を交わして、悠は通話を切った。 『今夜帰ってきたら、悠から悠をプレゼントして?』  聞いたときにはまるで意味がわからなかった本郷の言葉も、今なら何となくわかる。  いつも愛想の無い悠にも、満足そうに笑ってくれる本郷。だからきっと、悠がほんの少し踏み出すだけでも、本郷は心底喜んでくれるだろう。  引いて貰ってばかりの手を、今日くらいは、悠から握りたい。  どうせ上手くは出来ないだろうけれど、相手を喜ばせたいというのは、多分こういう気持ちのことだ。  その夜、悠は帰宅してきた本郷を、いつも通りに出迎えた。  仕込んでおいた肉じゃがと、駅前のデパートの地下で買ってきた小さめのホールケーキで、ささやかな誕生日ディナーを堪能し、その後本郷に風呂を勧めた。  悠はキッチンの片付けが残っていたのもあるので、流れとしてはこれも普段と変わらない。  ただ一つ違ったのは、浴室へ向かう本郷に、「出たら先に寝室で待ってろ」と付け加えたことだ。  まともに顔を見ることも出来なかったし、声も口調も随分と素っ気なくなった。  それでも、短くて不器用なそのひと言が、今の悠に言える精一杯の誘い文句だった。  そして悠もシャワーを浴びてから、本郷の待つ寝室へと向かったのだが……。  ───やっぱり、止めときゃ良かった。  寝室のドアを開けた瞬間、悠は渾身の発言をすぐさま撤回したくなった。  僅かに落とした照明の下、何故か全裸でベッドに腰掛ける本郷の姿が、目に飛び込んできたからだ。  顔が良い上に、無駄な肉が全くついていないしなやかな身体は、素っ裸でも不思議と様になっているのが悔しい。 「なんで脱いでんだよ!? 誰が裸で待てっつった!?」 「だって、折角悠からのお誘いなんだよ? 文字通りの全裸待機案件だよね? ……ハッ! 待って、もしかして脱がせてくれるところから含まれてる? じゃあやっぱり着て───」 「もういい、そのままで!」  床に散った服を今更拾おうとする本郷を、呆れ半分で制する。  自分から誘ってみたものの、いざ寝室に入ったらどうすればいいのか、なんて緊張していた自分が馬鹿みたいだ。 「俺としたことが、不覚だったなあ」と大袈裟に嘆く本郷の、裸の腕に引き寄せられる。そのままいつものように上衣を脱がされかけて、ふと気付いた。  そうだ。これじゃあいつもと何も変わらない。  このまま悠も裸に剥かれて、組み敷かれて、何も考えられなくなるくらい本郷に翻弄される。  ……本当に、不覚だったんだろうか。  今朝、敢えて本郷自ら「悠をプレゼントして」なんて言っていたのに、悠からのツッコミを見越したように裸で待っていた本郷。そのお陰で、悠の緊張も一瞬で解れた。  ───まさか、わざと……?  寝室に誘ったところで、その先どうすべきか躊躇する悠を、本郷は端から察していたんじゃないのだろうか。  だとしたら、自分の誕生日にまで悠をさり気なくリードする本郷は、やっぱり狡い。そんな本郷にいつも甘えてばかりの悠は、もっと狡い。  部屋着のパーカーを剥ぎ取ろうとする本郷の手を、悠はそっと掴んで押し返した。 「悠?」 「……いい。今日は、自分で脱ぐ」  悠は立花みたいに素直にはなれない。上手く甘えることも出来ない。  けれど例え不器用にでも、今日は悠が動かなければ意味がない。  言葉には出来なくとも、本郷に喜んで欲しいという気持ちだけは、この胸に確かにあるから。  戸惑うような視線を向けてくる本郷の前で、悠も自ら服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿になった。  ベッドに腰掛ける本郷の、長い両脚の間に身体を割り込ませるようにして、床に膝をつく。そのまま身を屈めて、まだ殆ど芯を持っていない本郷自身を口に含んだ。 「っ、悠……無理しなくていいよ?」  ピクリと、本郷の内腿に力が入るのがわかった。 「別に、無理してねぇ」  口ではそう強がったものの、羞恥で顔が熱い。  仕事では何度も強いられた行為。  相手はいつも何処の誰とも知れない男ばかりだったが、嫌悪感こそあったものの、羞恥心なんて感じたことはなかった。なのに本郷相手だと恥ずかしくて堪らないのは、きっとそんな浅ましい姿を、本郷にだけは見られたくないからだ。  それでも悠には、こんなやり方しかわからない。  いつも悠の中を掻き回す熱量を思い出しながら、唇と舌を駆使して丹念に愛撫する。さすがに顔を見る余裕はなかったが、口に含んだ竿が次第に太さを増してくると、内心ホッとした。 「……っ」  頭上に降ってくる本郷の吐息も、徐々に熱を帯び始めている。長い指が悠の髪に伸びてきて、緩く握り込んできた。  先端から染み出してくる雫を吸い取る頃には、根本まで含むのが困難になっていた。 「ん……」  本郷のものを舐める合間に、自身の指も咥えて濡らし、本郷の前で初めて自ら後ろを解した。  撮影では自分の苦痛を和らげる為だけの行為だったけれど、今はただ、本郷をより昂ぶらせたいという気持ちしかなかった。  自ら雄を咥えて、中も解して、卑しいと呆れられるのが怖かった。だからいつも、本郷に全てを委ねてきた。  ───でも、こんな俺で、お前が喜んでくれるなら……。  グチグチと、濡れた音が後孔から聞こえ始めたとき。  息を詰めた本郷に、不意に強く腕を掴んで強引に引き起こされた。  なに、と声を上げる前に、呆気なくベッドに倒され、いつものように本郷が圧し掛かってくる。  今出来る精一杯でぶつかったつもりだったが、大して悦くはなかっただろうかと不安になった悠を見下ろして、本郷が困ったように眉を下げた。 「そんな顔しないで。ちゃんと気持ち良かったから」 「じゃあ何で……」 「悠が積極的になってくれるの、凄く嬉しいし興奮するんだけど、でもその反面、ちょっと悔しい自分が居るんだ」 「悔しい?」 「俺の方から『悠をプレゼントして』って言っておいてなんだけど、やっぱり悠は、俺が気持ちよくしてあげたい。余計なこと考えないで、俺だけでいっぱいになって、トロトロになって欲しいから」  そう言って口付けた本郷の唇が、そのまま首筋を伝って、項の傷痕へ辿り着く。そこに甘く歯を立てられると、それだけで全身がゾクゾクと疼いて堪らなくなる。悠だけの本郷に、早く身体の奧まで満たして欲しくて。  本郷も、同じ気持ちなんだろうか。 「……お前も気持ちよくなきゃ、意味ねぇだろ」  ボソリと零した呟きを受けて、軽く片眉を持ち上げた本郷が、「あれ、知らなかった?」と悠の腰を掴んだ。  身構える間もなく、悠自身が解した箇所に本郷が入り込んできて、火花みたいに全身で快感が弾ける。 「あぁ……っ!」  反った喉許に唇を寄せて、本郷が吐息で笑う。 「悠が煽ってくれたから、いつもより硬いの、わかる?」 「ぁ、奧、待っ……!」  悪戯に最奥を軽く突かれ、枕を握り込んで必死に声を殺す。 「……俺が一番気持ちいいのは、『ここ』だよ」  ここ、と知らしめるように、本郷が悠の身体を揺さぶった。最初は緩やかに、まるで悠の心まで解きほぐすようにして、次第に激しさを増していく。そうなると、強く噛み締めた唇の隙間から、堪えきれなくなった喘ぎが零れて、思考も一緒に溶け出してしまう。  結局翻弄されるばかりの悠にも、本郷は「気持ちいい」と言ってくれるけれど、今日だけは、せめて理性が崩れる前に言うべき言葉があった。 「っ、本郷……誕生日、おめでとう……」  上手く喜ばせる方法なんてわからないが、傍で誕生日を祝える幸せが、せめて伝わればいい。  リボンも何もない腕で、本郷の身体を包み込む。 「……ありがとう、悠。最高に幸せな誕生日だよ」  素っ気ない悠の腕の中で、それでも本郷は、心底嬉しそうに微笑んでくれた。  今はまだ、まともにラッピングすら出来ない。でもいつか、この世に生まれて、そして出会ってくれたことへの感謝を、この口でちゃんと贈りたい。  だからこの先もずっと、共にこの日を祝えるようにと願いながら、悠は身体も心も本郷で満たされていった。  

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