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番外編 ワンライお題『今日はこれを観よう』

 本郷一哉は悩んでいた。  最愛のパートナーは、つい先程髪を切りに美容院へ出掛けていったので、自宅には本郷一人しか居ない。  恐らくいつものようにカットとカラーリングを施して貰ってくるだろうから、悠の帰宅まではまだ当分かかるはずだ。  悠と共に暮らすようになってからというもの、一人で自宅に居る時間は極端に少なくなった。本郷が仕事で家を空けることは珍しくないが、逆はまずないからだ。  この一人きりの時間をどう過ごすか。  今は、ピアノを弾く気分にはなれない。  つい昨日まで新しいアルバム制作に追われていたのもあるし、何よりピアノは悠の前で弾く方が喜んで貰える。  それよりも、悠の居ない間にしか出来ないことが、一つだけある。  寝室のクローゼットの前に立った本郷は、静かにその扉を開けた。  重ねられた衣装ケースの隙間に、隠すように置かれた黒いボックスを取り出し、深妙な面持ちで蓋を持ち上げる。  ズラリと並ぶのは、挑発的でいかがわしいタイトルのDVD。  悠の前では決して開くことも許されない、パンドラの箱。だからこそ、彼の居ぬ間にしか出来ないこと。  ───そう。秘宝鑑賞だ。  大半は悠と見知らぬ男が交わっているものなので、さすがに本郷もそれらを喜んで鑑賞するほど悪趣味ではない。  だが、この中に二本だけ、他者との絡みが一切ない悠の単体作がある。  内一本は『制服』にテーマを絞った所謂企画モノ。そこには、高校時代にも見られなかった学ラン姿の悠が収録されているのだ。  今ではいつも目の前に悠本人が居てくれるが、カメラの前であられもない姿を晒していたとは到底思えないほどシャイなパートナーは、なかなか本郷のリクエストには応じてくれない。  どこまでも純真な悠が愛おしくて仕方がないし、彼自身が自分の経歴を悔いていることは、本郷もよく知っている。  だから悠の古傷を抉るような真似は断じてしたくない。  だが、そうは言っても本郷とて一人の男だ。  本郷には見せてくれない姿を、赤の他人の前では晒していたという事実に、どうしても嫉妬心が芽生えてしまう。  自分の知らない悠の姿があるのは我慢ならない。  この傲慢さと歪んだ執着心は、悠のこととなるとまるで自制がきかないのだから厄介だ。  悠に過去を突き付けるなんてことはしない。その分せめて、どうか密かに拝むことくらいは許して欲しい。 「……久々だから、やっぱり今日観るのはこれかな」  ボックスの中から、お気に入りの一枚を引き抜く。ジャケットには、はだけた制服姿で蠱惑的な表情を浮かべる悠の姿。  チクリと胸を刺す罪悪感に、内心手を合わせたとき。 「……何やってんだよ」  不意に寝室の入り口から、抑揚のない声が飛んできた。  驚いて振り向くと、十センチほど開かれた扉の隙間から、悠がジトッと本郷を睨みつけている。 「え……悠、もう帰ったの? 早くない?」 「スマホ忘れたから取りにきた。───で? お前はいそいそ何取り出してんの?」  滅多に見せない微笑みを浮かべながら、悠がゆっくりと歩み寄ってくる。その目は全く笑っていないし、口許も軽く引き攣っている。  ───あ、これマズイやつかな。  瞬時に怒りの気配を察知して、本郷は手にしていたDVDを献上するように、素直に悠へ頭を下げた。 「ごめん。隠れて観ようとしたのは謝るから、せめて一回だけ、このジャケットと同じ格好して」 「うるせぇ! 今日こそそれ全部叩き割ってやる!」  本郷の傍に置かれたボックスを没収するべく伸びてきた悠の手を、すんでの所で捕まえる。  悠の心中もわからなくはないが、例えディスクの中の悠がかりそめだったとしても、愛しい相手の姿が叩き割られるところは見たくない。  卑怯なのはわかっているが、仕方なくここは奥の手を使うことにした。 「……俺には、見せてくれないんだ?」  あからさまに声のトーンを落とした本郷に、ギクリと悠の動きが止まる。  ───ああ、俺って本当にどこまでも最低だ。  押しに弱い悠の性格を知っていて、自分はいつもそこにつけ込んでいる。  気まずそうに口を噤んでしまった悠の指先へ、宥めるようにキスを送る。 「冗談だよ、ごめんね。観ないって約束するから行ってきて。美容院、予約してるんでしょ?」 「………」  何かを言いかけて唇を引き結んだ悠が、一度は寝室を出て行こうとして、くるりと引き返してきた。  どうしたのかと目を瞬かせる本郷のシャツの胸倉が掴まれ、不器用な口付けが降ってくる。 「……お前にもう汚ぇとこ見せたくないから、そんなモン見るなよ」  照れているようにも、少し泣きそうにも見える顔で告げられて、胸が引き絞られる。  ……悠だけじゃない。相手に弱いのは、お互い様だ。 「わかった。でもこれだけ言わせて。悠には汚いところなんか、一つもないよ」  いつも自分を卑下してばかりの身体を強く抱き締める。その身からは、出会った頃から変わらず真っ新な匂いがする。  汚い欲望に塗れた本郷を優しく包み込んでくれるのは、この世界で悠だけだ。 「……欲張るなら、せめて学ラン着て欲しいなあ」 「着ねぇよ馬鹿。……行ってくる」  軽口で送り出す本郷の額を小突いて、今度こそ悠は寝室を出て行った。 「……これからは、俺が引き出せばいいか」  今は見せて貰えなくても、この先もっと、本郷だけが知る悠の顔が増えるといい。そのときは絶対に、「汚い」なんて言わせはしないから。  密かな誓いと共に、本郷は悠の抱える過去へ、そっと蓋をした。

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