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番外編 リクエストお題『お姫様だっこ』
「悠……ダメ?」
浴槽の中で背後からピタリとくっついた本郷が、耳許で甘ったるい声を出す。
この声に強請られると悠はついつい絆されてしまいそうになるのだが、どうにか堪えて首を振る。
「だから、嫌だっつってんだろ」
「一緒にお風呂は入ってくれるのに?」
「風呂は、一緒に入れば効率的ってのもあるからイイんだよ」
「裸はイイのに、どうしてお姫様抱っこはそんなに嫌がるのかな」
「嫌がるだろ、普通!」
肩越しに振り返って、濡れた前髪越しに本郷の額を小突く。
今だけは本郷に絆されたくない理由は、風呂場で突然、本郷が「後でお姫様抱っこさせて」なんてことを言い出したからだ。
本郷の要求は、いつも突拍子がなくて、悠には理解出来ないものばっかりだ。
自分の選んだ下着を穿いて欲しいだとか。
学ランを着て欲しいだとか。
彼シャツでコーヒーを飲んで欲しいだとか。
どれもこれも、男の自分が応じたところで、何がイイのかさっぱりわからない。
今回のお姫様抱っこもそうだ。
本郷よりも小柄とはいえ、成人男子の平均程度は身長がある自分が姫抱きされているところなんて、想像しただけで穴に潜りたくなる。
「何も人前でするわけじゃないんだよ?」
「そういう問題じゃねぇよ。男として小っ恥ずかしいだろ」
「今こうしてるのは恥ずかしくないのに?」
後ろから抱き締める腕にするりと裸の胸を撫でられて、思わずピクッと肩が跳ねる。
本当は、未だに身体を見られることだって充分恥ずかしい。ただ、本郷を求める本心に、抗えなくなっただけだ。
それに何より、本郷は肝心なことを忘れている。
「俺が恥ずかしいってのもあるけど、お前自分のリスクわかってんのかよ?」
「リスク? 悠が可愛すぎて理性がなくなるかも知れないってこと?」
「お前の理性にはもうあんま期待してねぇよ。……そうじゃなくて、お前は手が商売道具だろ」
興味本位で悠を抱き上げて、万が一本郷のピアノに支障が出るようなことになれば、悠は一生後悔する。
こんな自分の為に、大事な腕に負担を掛けるなという気持ちを込めて、本郷の手にそっと自身のそれを重ねる。
少しの沈黙の後、本郷が肩口で苦笑した。悠を抱き締める腕の力がグッと強くなる。
「……ホント、悠は綺麗だなあ」
「綺麗……?」
「汚したくないけど、俺だけに染まって欲しいとも思うこの葛藤、わかる?」
わからないという意思表示で傾げた首筋に、熱い唇が押し当てられる。
やっぱり、本郷は時々理解不能だ。
悠がいつまでも戸惑いと羞恥心を捨てられないのは、汚れた自分に触れた本郷まで、穢れてしまう気がするからだ。
そんな心ごと、本郷の眩しい色で覆い尽くして欲しい。
「お姫様抱っこがダメなら、せめて此処で抱いてイイ?」
胸元から這い上がってきた手に、促すように顎を掬われ、悠は返事の代わりに自ら首を捻って唇を合わせた。
─── 一時間後。
「……悠、大丈夫? 水飲む? それとも、タオル替えようか?」
狼狽えた様子で次々に問い掛けてくる本郷の声が、ぐわんぐわんと頭に響く。見上げた天井も、グルグルと回りっぱなしで気持ちが悪い。
あの後、浴室で思いの外盛り上がった結果、悠は見事に湯あたりしてしまい、あろうことか、寝室まで本郷に運ばれる羽目になった。……勿論、お姫様抱っこで。
「あのさ、悠。信じて貰えないかも知れないけど、わざとじゃないからね」
「…………腑に落ちねぇ」
その後、悠が回復するまで、本郷は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
悠を抱いて運んだ本郷の腕が無事で良かったと安心したことは、悔しいので口には出さないことにした。
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