24 / 30

番外編 pieces

 本郷が熱を出した。  身の回りに関しては無頓着でも、幼い頃からのプロ意識故か、体調管理は徹底している本郷にしては珍しい。  これまでも、体調が優れないのではと思うことは度々あった。けれど、本郷は基本的に弱味を見せない。  悠の前では子供みたいに拗ねたり甘えたり、時には涙も見せるクセに、本郷が弱っている姿を悠はこれまで見たことがなかった。  問い詰めれば観念して身体を休めるくらいで、本郷の口から不調を訴えられたことは、一度もない。  そんな本郷が今朝初めて、ベッドの中で弱々しい声を出した。 「……ゴメン、もう少し寝かせて」  言われたとき、一瞬いつもの「あと五分」かと思った。  本郷は寝起きが悪い。起こしても一度ですんなり起きることはまずないし、悠と暮らす前は、いつもマネージャーに起こしてもらっていたらしい。  だがこの日はどうやら違うと異変に気づいたのは、本郷の声に、甘えた色が無かったからだった。  怪訝に思って触れた額は、驚くほど熱かった。  それから急いで本郷のマネージャーに連絡を取り、掛かりつけの病院まで付き添って貰うことになった。  こんなとき、名の売れたピアニストと、一般人でおまけにΩという関係は、酷く不便だ。割り切っているつもりでいても、パートナーでありながら病院にも容易に付き添えないのはもどかしい。  本郷が病院へ行っている間に、悠は口当たりの良さそうな果物やゼリーを買いに出た。 「本郷」  悠が呼び掛けると、小さく呻いた本郷が薄っすらと目を開けた。  マンションまで送り届けてくれたマネージャー曰く、本郷の熱はどうやら疲労からくる心因性のものらしい。  ここ最近、比較的大きな仕事の話が立て続けに入ってきたらしく、人の良いマネージャーは自身のケア不足だったとしきりに頭を下げてくれた。  けれど、頭を下げたかったのは悠も同じだ。  毎日共に過ごしていながら、本郷の抱える疲労やストレスに気付けなかった。いつでも「大丈夫」と笑う本郷に、無意識に甘えてしまっていた。  常に人前に出る本郷にとって、悠は唯一全てを吐き出せる存在であるべきだったのに。 「起こして悪い。薬、まだ飲んでねぇだろ」 「ああ、うん……」  病院から帰ってそのままベッドへ直行していた本郷が、力なく答える。  いつもならアレしてコレしてと甘えては悠を呆れさせるのに、その言葉が返ってこないのは、どこか心細くもあった。  自分自身の不調なんて、大して気にもならないのに、本郷が弱っている姿は悠の心も弱らせるのだと知った。 「なんか食えそうなモンあったら、持ってくる」 「……食欲、無いんだけどな」 「薬飲むのに、ちょっとでも腹に入れた方がいいだろ。桃とかリンゴとか、あとゼリーもある」  どれがいい?、と問い掛けると、本郷が吐息だけで弱々しく笑った。 「なんか、いいね。こういうの」 「こういうのって、何が」 「俺、親にもこんな風に看病してもらった記憶、無いから」  今でもミュージシャンとして現役で活躍している本郷の両親。  傍から見れば恵まれた生まれでも、本郷がその中で抱えていた孤独を知って、悠は思わず唇を噛んだ。  ───だから、「痛い」とか「苦しい」って言わねぇのか。  言わないというより、言えないんだろう。悠が、甘え方を知らないみたいに。 「一口でもいいから、ゼリー食えよ」 「……食べさせてくれる?」  声にいつもの力は無いものの、ようやく本郷らしい台詞が返ってきたことにホッとする。 「食わせてやるから、そっから薬飲んでしっかり寝ろ」  ベッドに投げ出されていた本郷の手を取って、熱い指を握り込む。  一度目を瞬かせた本郷が、「ありがとう」と呟いて唇を少し綻ばせた。  ずっと釣り合わない気がしていたけれど、手を伸ばせば、こうして握れる場所に居る。  お互い足りないもの同士の二人だから、きっと繋がり合って丁度いい。

ともだちにシェアしよう!