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番外編 pieces
本郷が熱を出した。
身の回りに関しては無頓着でも、幼い頃からのプロ意識故か、体調管理は徹底している本郷にしては珍しい。
これまでも、体調が優れないのではと思うことは度々あった。けれど、本郷は基本的に弱味を見せない。
悠の前では子供みたいに拗ねたり甘えたり、時には涙も見せるクセに、本郷が弱っている姿を悠はこれまで見たことがなかった。
問い詰めれば観念して身体を休めるくらいで、本郷の口から不調を訴えられたことは、一度もない。
そんな本郷が今朝初めて、ベッドの中で弱々しい声を出した。
「……ゴメン、もう少し寝かせて」
言われたとき、一瞬いつもの「あと五分」かと思った。
本郷は寝起きが悪い。起こしても一度ですんなり起きることはまずないし、悠と暮らす前は、いつもマネージャーに起こしてもらっていたらしい。
だがこの日はどうやら違うと異変に気づいたのは、本郷の声に、甘えた色が無かったからだった。
怪訝に思って触れた額は、驚くほど熱かった。
それから急いで本郷のマネージャーに連絡を取り、掛かりつけの病院まで付き添って貰うことになった。
こんなとき、名の売れたピアニストと、一般人でおまけにΩという関係は、酷く不便だ。割り切っているつもりでいても、パートナーでありながら病院にも容易に付き添えないのはもどかしい。
本郷が病院へ行っている間に、悠は口当たりの良さそうな果物やゼリーを買いに出た。
「本郷」
悠が呼び掛けると、小さく呻いた本郷が薄っすらと目を開けた。
マンションまで送り届けてくれたマネージャー曰く、本郷の熱はどうやら疲労からくる心因性のものらしい。
ここ最近、比較的大きな仕事の話が立て続けに入ってきたらしく、人の良いマネージャーは自身のケア不足だったとしきりに頭を下げてくれた。
けれど、頭を下げたかったのは悠も同じだ。
毎日共に過ごしていながら、本郷の抱える疲労やストレスに気付けなかった。いつでも「大丈夫」と笑う本郷に、無意識に甘えてしまっていた。
常に人前に出る本郷にとって、悠は唯一全てを吐き出せる存在であるべきだったのに。
「起こして悪い。薬、まだ飲んでねぇだろ」
「ああ、うん……」
病院から帰ってそのままベッドへ直行していた本郷が、力なく答える。
いつもならアレしてコレしてと甘えては悠を呆れさせるのに、その言葉が返ってこないのは、どこか心細くもあった。
自分自身の不調なんて、大して気にもならないのに、本郷が弱っている姿は悠の心も弱らせるのだと知った。
「なんか食えそうなモンあったら、持ってくる」
「……食欲、無いんだけどな」
「薬飲むのに、ちょっとでも腹に入れた方がいいだろ。桃とかリンゴとか、あとゼリーもある」
どれがいい?、と問い掛けると、本郷が吐息だけで弱々しく笑った。
「なんか、いいね。こういうの」
「こういうのって、何が」
「俺、親にもこんな風に看病してもらった記憶、無いから」
今でもミュージシャンとして現役で活躍している本郷の両親。
傍から見れば恵まれた生まれでも、本郷がその中で抱えていた孤独を知って、悠は思わず唇を噛んだ。
───だから、「痛い」とか「苦しい」って言わねぇのか。
言わないというより、言えないんだろう。悠が、甘え方を知らないみたいに。
「一口でもいいから、ゼリー食えよ」
「……食べさせてくれる?」
声にいつもの力は無いものの、ようやく本郷らしい台詞が返ってきたことにホッとする。
「食わせてやるから、そっから薬飲んでしっかり寝ろ」
ベッドに投げ出されていた本郷の手を取って、熱い指を握り込む。
一度目を瞬かせた本郷が、「ありがとう」と呟いて唇を少し綻ばせた。
ずっと釣り合わない気がしていたけれど、手を伸ばせば、こうして握れる場所に居る。
お互い足りないもの同士の二人だから、きっと繋がり合って丁度いい。
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