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番外編 ワンライお題『手紙』

「え……お前、そんなとこで何やってんだよ」  両手にスーパーの袋を提げてエレベーターから降り立った悠は、部屋のドアに背を預けてしゃがみ込む本郷の姿に気付いて、思わず足を止めた。  今日は昼過ぎに仕事が終わりそうだと言っていたので、悠は買い物に出かける旨を記したメモをテーブルに置いて出てきたのだが、もしかして 本郷は鍵を持っていなかったんだろうか。  まだ梅雨は明けていないが、気温はもうすっかり夏で、そこかしこから蝉の鳴き声が聞こえている。空調などないマンションの廊下は、じっとりと湿気が肌に纏わりつくほど蒸し暑い。 「鍵持ってねぇなら連絡しろよ。わかってたらもうちょっと早く───」  悠が言い終わるのを待たずに立ち上がった本郷に、突然無言で強く抱き竦められて、一瞬息が詰まる。  驚いて緩んだ手から荷物が零れ落ちて、ドサリと鈍い音が足元で響いた。 「本郷……?」  悠の背を搔き抱いたまま、黙って肩口に顔を埋める本郷の背中に、おずおずと手を伸ばす。  いつから廊下に居たのだろう。シャツ越しにも、本郷の肌が薄っすら汗ばんでいるのがわかった。 「……良かった。また、悠が帰ってこなくなったらどうしようかと思った」 「え?」  目を瞬かせる悠の肩から少し顔を上げた本郷が、苦笑しながら額を擦り寄せてくる。 「帰ってきたら、テーブルの上に置き手紙があってドキッとしたんだ」  メモを見たということは、どうやら鍵はちゃんと持っていたらしい。  だとしたら、本郷がわざわざ暑い廊下に座り込んでいた理由が益々わからない。 「……俺、ちゃんと『買い物行ってくる』って書いてたよな?」 「だって悠、前もメモ用紙一枚の置き手紙だけ残して、出て行ったでしょ」 「前って……あの時は、まだお前とこんな関係じゃなかっただろ」 「でも、怖いんだ」  悠の存在を確かめるみたいに、本郷の腕の力が強くなる。  悠と違って何でも持っていて、いつも自信に溢れていて、我が道を貫いているくせに。  それなのに、置き手紙一つで「怖い」なんていう不意打ちは、卑怯だ。  この男は悠が居なければ駄目なんだと、自惚れてしまいそうになる。  悠が衝動的にこの部屋から逃げ出したあの夜も、本郷はこんな風に不安を抱えていたんだろうか。  そういえば本郷が悠の前で怒りを露わにしたのは、悠を追ってきたあの時だけだ。  怖くて不安だったのは悠一人だと思っていたけれど、ひょっとしたら本郷も、そんな想いを持て余していたのかも知れない。  怒る代わりに、今はこうして甘えるように抱き締めてくる腕が、無性に愛おしくなる。  宥めるように触れた本郷の頸は、汗が浮いてしっとりと冷たかった。 「お前、いつからここで待ってた?」 「三十分前くらいかな。待ちながら、もしも悠が戻って来なかったら、どこから探そうか考えてた」 「ここ以外、俺に帰る場所なんかねぇの、お前が一番知ってんだろ」 「どうかな。悠は、蝶みたいなところがあるから」 「蝶……?」  ピンとこない例えに首を捻った悠の額へ、前髪越しに唇を押し当てて、本郷が頷く。 「ずっと俺の傍に居てくれるのに、捕まえようとしたら、どこかに飛んでいきそうな気がするんだ」 「その割には、しっかり捕まえてるけどな」  しっかりと身体に廻されたままの本郷の腕に苦笑すると、本郷もつられたように笑った。  その直後に階下の廊下から足音が聞こえて、足元に散らばったままの荷物の存在を思い出す。 「取り敢えず、中入ろうか」  少し名残惜しそうに腕を解いた本郷が、サッと荷物を拾い上げて玄関のドアを開ける。  後に続いて部屋に入った悠は、背後でドアが閉まると同時に、本郷のシャツの胸元を掴んで、強引に唇を奪った。  驚きに見開かれた本郷の瞳。そこに映っているのが自分で良かったと、怖いくらいに嬉しくて胸が苦しくなる。 「そんなに不安なら、お前が羽根捥げばいいだろ」  例え飛べなくなったとしても、本郷がいつものように笑っているなら、羽根くらい幾らでもくれてやる。  今度は丁寧に、床へ荷物を下ろしてから、「参ったな」と本郷が眉を下げた。 「そんなこと言っちゃっていいの? ずっとベッドから出してあげないかも知れないけど?」 「そんなモン、今更だろ」 「……どうしよう。今日の悠のデレが凄い。暑さの所為?」 「かもな」  何より、子供みたいに廊下に座り込んでいた本郷が思いのほか可愛かったからというのは、胸に仕舞っておくことにする。  買ってきた食材を冷蔵庫へ入れる間に、本郷の器用な手で、悠は呆気なく半裸にされた。 「待て」の出来ないパートナーから強引に寝室へ誘われた悠が去った後、役目を終えた置き手紙が、羽根のようにヒラリとリビングの床へ舞い落ちた。

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