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virgin suicide :欲望の夜2
***
ここのところ大きな事件もなく、平和な日常が一週間経ったある日。
「水野、今日も残業?」
斜め向かいにいる上田先輩に、優しく声をかけられた。
「ん~、とりあえず今やってるのをきちんと終わらせたら、定時で帰ろうかなぁと思ってます」
「それは丁度良かった。おまえの歓迎会しようって、他の奴らと話してたんだよ」
「ホントですか?」
山上先輩の書類と格闘すること、一週間。実はわからないことがあって、山上先輩不在時に、こっそりと他の人に聞いて、対処していた。その関係もあり、いつの間にか仲良くさせていただいてる、ちゃっかり者の俺。
「新人が僕を差し置いて呑みに行くなんて、マジで十年早い……」
隣で、山上先輩がボソリと呟く。
実際、この人の傍にいるだけで疲労困憊なので、楽しい宴会の席に本人がいないのは、正直とてもありがたい!
「坊っちゃん、しょうがないじゃないですか。今夜は当直なんですから。またの機会に、行きましょう?」
上田先輩が宥めるように言う。
しかしこのまま行ったら、明日はどんな仕返しが待っているのやら。意地悪なこと人のことだ、間違いなく倍になって返ってくるだろう。それだけは避けたいかも……。
歓迎会と倍返しの仕事を両天秤にかけた結果、簡単に答えが導き出される。ここは山上先輩の顔を、後輩として立てた方がいい。
そう考えて立ち上がり、上田先輩に向かって、
「やっぱり、俺――」
そう口ごもると上田先輩が慌てて俺の両肩を掴んで、強引に出口に向かって押し出そうとした。あまりの急展開に、足が前に進まない。
(なんなんだよ、これは!?)
「そいつに……勝手に触るなっ!」
俺の耳元で、バシッと叩く音がした。上田先輩に掴まれてた手が呆気なく解放され、体が急に軽くなる。背後にいる上田先輩がビックリした顔のまま、山上先輩を見ていた。
俺自身も、なにが起こったのかわからない。早い展開に頭がついていかなくて、その場に佇むしかできなかった。
「おいおい。自分が行けないからって、こんなふうに叩くことはないだろうよ?」
「そんなんじゃない。僕は……」
上田先輩の強行手段もおかしいが、山上先輩の行動もおかしい――おかしいけど。
俺は自分のデスクに向かって、分厚いファイルを両手でむんずと掴み、傍にいる山上先輩の頭に目掛けて、迷うことなく勢いよく振り下ろす。
バコンッ!
捜査一課に響く異音で辺りは水を打ったように、シーンと静まり返った。
「山上先輩から先に手を出したのに、どうして上田先輩に謝らないんですかっ。男らしくないですよ!」
俺が怒りながら言い放つとデカ長をはじめ、周りの刑事たちが次々と椅子から慌てて立ち上がる。これから乱闘でも始まるのではないか――そういう空気が流れているのを、ひしひしと肌で感じた。
「水野……」
山上先輩がじっと俺の顔を見つめる。それはそれは、悲しそうな目をして。
間違いなく怒られると思ってた俺は、ファイルを胸の前にぎゅっと握りしめ、いつもの口撃に身構えていた。それなのに山上先輩はいつまで経っても口を開かず、下唇を噛みしめる姿がそこにあった。
らしくない態度に、なんだか胸がしぼられるように痛くなる。
(なにこの……置いてきぼりをくらったような、子供みたいな目は。まるで俺が子供を叱った、お母さんみたいじゃないか)
「……上田さん、すみませんでしたっ」
謝りながらきちんと一礼して、逃げるように出口に向かった山上先輩に、三係一同唖然としたのだった。
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