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virgin suicide :欲望の夜6

***  自宅で多少なりとも休んだお陰か、仮眠室で目覚めたときよりも、幾分マシになっていた。 (昨日の、午前中にやった仕事は……)  警察署の玄関口をくぐり、今日やらなくてはならない書類を、ぼんやり思い出す。何か考えてないと、不意に昨日の出来事が一気に思い出されて、落ち着かなくなるからだ。  はあぁとため息をついた途端、左肩をハシッと掴まれた。  びっくりして振り返るとそこには眼鏡をかけ、タイトに髪の毛をまとめている、いかにも真面目そうな男が立っていた。  じっと俺を見つめる眼鏡の奥の目が、何かを探っているようで何だか怖い…… 「君は、耳が遠いのか?」 「へっ!?」 「先ほどから君を呼んでいた。水野くん」  ぼんやりしていたから、全く聞こえなかったのかもしれない。 「失礼しました。考え事、していまして……」 「考え事ね……。まぁ一緒にいる山上が、苦労の種だろう」  眉間にシワを寄せ、目を細めて憐れみを示す見知らぬ男。この人、一体何者!?  俺の不思議顔に気がつき、口元だけで微笑みかけてくる。目が笑っていないせいで、緊張をとくことができない。 「ああ、紹介が遅れたね。自分は監察官の関と言います。山上とは同期なんです」 「同期……監察官……」  つまりエリートなんだ、この人は。 「山上の始末書の数々には、まったく呆れ果てる。そう思わないか?」 「はあ、そうですね……」 「それに手が早い。相手の気持ちなんて、お構い無しだからね。山上の噛み痕、ワイシャツから少しだけ見えてる」  関さんは自分の後頭部を指差して、分かりやすく教えてくれた。 「か、噛み痕!?」 (いつの間に、そんなモノつけたんだ?)  驚いてワイシャツの襟を引っ張り、見えないようにした。 「俺の視線がたまたま、そこだったから見えただけだ。少しだけだと言ったろう? 神経質にならなくても、いい」  呆れた表情で、俺を見上げる。 「山上に迷惑なことをされたなら、俺に言えばいい。喜んで飛ばしてやるよ?」  そうだよ、この人は監察官なんだから。昨日の件を訴えたら、もしかしたら―― 「こらぁ!! 僕の水野を天下の玄関口で、堂々と口説くなよ。関っ!」  片手にコーヒーショップで買った紙袋を持ち、俺たちの前に現れた山上先輩。突然の登場に、どういう顔をしていいのか分からなくて、思わず俯いてしまった。 「貴様が水野くんに変なことをしたのは、一目瞭然だぞ。癖とはいえ、自重しろよ。まったく!」  片目を瞑ってる俺の身になれ。と言い残し、その場を立ち去る関さん。 「はいはい、自重しますよ~」  反省の色が見えない山上先輩の台詞。この二人、同期だからきっと仲が良いんだろうなと感じた。 「水野……」  いつもより低めの、気遣うようなハスキーボイス。思い切って顔を上げると、山上先輩が右手を頭に向かって、差し出してきた。  怖くなってぎゅっと瞼を閉じ、首をすくめたら……前から後ろへと髪を鋤いていく。優して大きな、あたたかい手――    俺の髪を鋤きながら通り過ぎ、そして耳に聞こえたのは。 「体……大丈夫、か?」     の言葉だった。    俺が答える間もなく、歩いて行ってしまったので、どんな顔してさっきの台詞を言ったのか分からない。 「大丈夫なワケないじゃないか。何なんだよ、もう……」  この場に残された俺は、困り顔して呟いた。    これから山上先輩に、どう接していいのか分からない。    今、分かるのはこれだけだった。

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