63 / 123
Scarface:待ち焦がれる時間3
三日間の地方出張だと言ってた昴さん。しかし言ってた期日になっても帰ってこず、流れるように数日が過ぎていった。
昴さんを待つ一日の長いことを、改めて実感する。これって、首を長くして待つということなんだろう。誰かの帰りをこんな風に心待ちにするなんて、今までなかったから正直、不安が日々募っていった。
帰ってこない昴さんの情報が知りたくて、親父さんにご飯を作り、積極的に事務所に持って行った。何気なく仕事のことを訊ねてみるとどうやら、行った先での仕事がかなり難航しているらしいとのことだった。
いつ帰ってくるかわからない昴さんのことを思い、部屋をピカピカに掃除して、リクエストされた物をなんでも作れるようにと、冷蔵庫の中もいろんな食材を準備して待っていた。
俺の心と冷蔵庫の食材が腐りかけた六日後、夜遅くに帰ってきた昴さん。お帰りなさいの言葉を発する前に、鼻につく酒のニオイに思わずぎゅっと眉をひそめてしまった。
(いろいろ心配してたっていうのに、なんだよもう!)
一気に不機嫌になる俺に反比例して、昴さんは目の前で柔らかく笑う。三白眼の目をふっと細めて、俺の顔をじっと見つめてきた。その顔を見ただけで安心してしまって、本当は抱きしめたかったけど、変な意地を張ってしまう俺は、やっぱ素直じゃないと思う。
「竜生、お帰りなさいの言葉が出ないくらい、感激しちゃったのかぁ。嬉しいなぁ」
ニコニコしながらそう言って、俺の頭をグチャグチャと撫でる。触れてくれるその手が、えらく懐かしかった。たった二週間近く、離れてただけなのに――。
喜びを素直に表すことができずに、硬い表情のままぎゅっと両手に拳を作った。
「酔っ払いは、キライです」
冷たく言い放ち背中を向けた俺に、しがみつきながら抱きつく昴さん。
「しょうがないだろ、みんなのおかげで仕事が無事に片付いたんだ。俺が奢って打ち上げしないとさ。これでも酒は一杯しか呑んでないし、飯は食ってないんだぞ」
おまえが作って待ってるのがわかってるからと付け加えて、耳朶をきゅっと甘噛みした。久しぶりの感覚に、ゾクリと快感が体を駆け巡る。感じてしまったのを悟られたくなくて、乱暴に昴さんの腕を振りほどいた。
「すみません。これから作るんですけど、なにが食べたいですか?」
ぶっきらぼうに訊ねる俺の背中に、昴さんは懲りずにまたしがみつく。
「竜生に食べられたい」
「酔っ払いを抱く趣味、俺にはないですから。真面目に答えてくださいよ」
ため息混じりに言うと、しがみつく腕に力が入った。
「俺はいつでも真面目だぜ、本当のことしか言ってない」
「……嘘つき」
(山上のこと、まだ好きなクセに。ずっと想い続けてるクセに、俺のことを好きだと嘘を言うなんて酷い!)
「なにが嘘つきなんだぁ?」
「親父さんから昴さんのことを、いろいろ教えてもらったんだ。山上のことも含めて……」
「俺がいない間に、随分可愛がってもらったらしいな。又聞きだが話には聞いてる、飯を作ってたんだって?」
「話を勝手に、すり変えるなよ!」
俺の怒号に、昴さんはしがみついてた両腕を上げ、パッと腕を放す。だけどすぐに背後から俺の頭を撫で、前に回りこんでじっと見つめてきた。
その視線がどうにもつらくて、思わず顔を背ける。
「どうしたぁ? なにをそんなにイラついてんだ。寂しかったのか?」
「寂しくなんかねぇし……」
「そうかそうか、寂しかったのか」
「違うって言ってんだろっ」
「プッ、素直じゃないその態度、久しぶり過ぎて涙が出そうだ」
「うっせぇなっ! いい加減にしろよ」
頭に載ってた昴さんの手を叩き落とし、その唇に自分の唇を強引に押し付けて、余計なことを言わせないように封じた。酒のニオイは正直イヤだったが、久しぶりのキスに堪らなくなってくる。
キスをしながら、昴さんの着てるジャケットのボタンを外し、手早く脱がしていった。首筋に唇を移動させた時、ソレが目に入る。ワイシャツにしっかりと付けられた、真っ赤な口紅の跡。
「昴さん、なんだよ、これ……」
「あ? なんでこんなもん付いてんだぁ?」
(それを俺が今、聞いてんだろーがっ!)
「ワザと付けたんだろ。昴さんがモテるとこ、俺に見せつけようとして」
「まさか。そんなことするハズないだろ。だって、俺の一番は竜生だし」
「俺の一番は竜生だなんてそんな言葉を、簡単に信用できるかよ! いちいちムカつくことばっか、平気な顔して言うなっ」
イラつきながらネクタイを引っ掴むと、犬の散歩よろしくグイグイ引っ張って、昴さんの寝室に連れて行く。
「ちょっ、強引だなぁ竜生」
俺のする乱暴な行為に怒るでもなく、むしろ喜んでいる様子に、余計イライラした。放るようにベッドに押し倒し、その上に跨ると、そんな俺の体を愛おしそうに両腕を回す。
「竜生、寂しかったんだ……」
「しつこいな、寂しくなんかな」
「俺がだよ。ずっとおまえに逢いたかった」
そう言って左手で俺の顔にある古傷に触れて、そっと目を閉じた昴さん。
「このキズも声も。おまえの存在すべてが愛おしくて、ずっと我慢していたんだ。やっと帰ってこれた……」
寝室のカーテンは開け放たれたままで、月明かりが昴さんを神秘的に照らしていた。
昴さんが俺への気持ちを告白するたびに、どうしてだが胸がキリキリと痛む。本心とは思えないその言葉に、反吐が出そうだった。
「昴さんは俺とヤリたいだけで、ここに帰ってきたんだろ」
「違うって」
「嘘つくなよ。もういい大人がさ」
「嘘ついてないって。さっきからおまえの方が、しつこいじゃないか」
閉じていた目を開けて、突き刺すような眼差しで俺を見る。
「俺はおまえが好きなんだ、それは嘘じゃない」
「山上がまだ好きなクセに。俺のことが好きとか嘘ついてさ」
その眼差しが俺の心を見透かすみたいに感じたので、それから逃れるべく跨っていた体を退いた。そして昴さんに背を向ける。
「親父から、どこまで聞いているんだ? 当の本人じゃない情報を、そのまま鵜呑みにする気かぁ?」
「だって……」
膝に置いた両手に、ぎゅっと拳を作った。
「山上と出逢ったのは、大学に入ってすぐだった。俺の親が組長してるのを、高校が一緒だったヤツがバラしたからさ、誰も近づいてこなくてな。そんな俺に声をかけてきたのが、山上 達哉だった」
「へえ……」
「事あるごとに俺の体に触ってくるもんだから、おまえゲイなのかよってふざけて言ったんだ。そしたらあっさり肯定して、俺が好きなんだと言ってきた」
(どんな顔して、山上の話をしてるんだろう)
そう思ったけど、振り返ることができなかった。どんな顔をしていても、俺の胸が痛むと思ったから。
俺が無言を貫くと、耳に深いため息が聞こえてきた。やっぱりこの話をさせることは、酷な行為なのでは……。
勇気を出して昴さんの方を見たら、寝そべったままベッドに肩肘をつき、じっとこっちを見ているではないか。俺と目が合うとふっと笑って、手招きをする。
その笑顔が淋しげだったので、しょうがなく素直に従って昴さんの傍に行き、ぎゅっと抱きしめてやる。
「好きだと言われても困るって答えたよ、俺その頃ストレートだったし。山上がいい友達としか思えなかったから」
昴さんも俺の体を、ぎゅっと抱きしめた。久しぶりなその温もりを、直に感じるだけで幸せすぎる。
「断ったときの山上の顔が、そりゃあ悲壮感漂う状態でさ、死んじまうんじゃないかって思ったよ。その悲惨さに大丈夫かって声をかけたら、僕は諦めないからってキッパリ言って、しつこくアタックしてきたっけな」
しつこ過ぎて呆れちまうくらいだったと、笑いながら語る。
「じゃあ、そのしつこさに呆れ果ててダウン?」
「そういうワケじゃないんだが。そうだなぁ、今まであんなふうに誰かに愛されたことがなかったから、新鮮だったのかもな」
「あんなふうって?」
「ん~……。情熱的な感じと表現すればいいのか。殺されそうなほど、愛されたっていうか」
「なにソレ、意味わかんないし」
俺が呆れた声で言うと、俺もよくわからんと声を立てて笑う。
「気が付いたら、どっぷりハマってしまってさ。ハマった直後に知ったんだ、山上の親が警察関係者だって」
「山上、昴さんの父さんが組長だって知っていながら、どうして好きになったんだろ? 自分の親のカタキになるだろ」
「カタキ、そうだなぁ。だけど山上は自分たちのことは、親は関係ないって言い切ってた。逆に燃えるだろって、さ」
山上という男がよくわからない、掴みどころのない感じに思えた。そういうトコに、惹かれたのだろうか?
「当時の俺は、親の家業がイヤで仕方なかったからな。そのせいで折角できた友達が、何人もいなくなってたし。山上の家庭の事情もまぁ複雑だったらしくて、よく俺の家に泊まっていたよ」
「そして逃避行したんだ? なんで?」
「親にバレたからさ、男と付き合ってるっていうのが。しかもその男の親が警官だってわかった途端に、思いっきりブン殴られてさ。おまえの考えてることがわからんって、父親がすっごくキレていたなぁ」
なぜかクスクス笑ってる昴さんを不思議に思って、まじまじと見つめてしまった。
「木刀片手に家ん中を追いかけられて、逃げるのに苦労した。そのまま山上んトコに駆け込んだんだ、そして……」
微笑が徐々に、悲しそうな顔になっていく。
「ん……、俺たちの関係が親にバレたって、焦りに任せて告げたというのにそれ聞いて、大丈夫だって山上が微笑んだんだよ」
「全然、大丈夫じゃないのに?」
「ああ。ワケを聞いたら、僕たちの邪魔をするヤツはもれなく排除するから、大丈夫なんだって豪語してな。排除って、なんだよってなるだろ?」
俺に訊ねてきた昴さんに、コクリと素直に頷く。
「首を傾げた俺に、山上はハッキリ言ったよ。まずは見つからないように、かくれんぼしようぜってさ。渋る俺の手を強引に掴み、そのまま県外にある山上家所有の別荘に連れて来られた」
「親父さんの話では昴さんの父さん、敵対する組の奴等に拉致られたと思って、必死になって捜したことになってたって。山上と逃げたなんて、思ってなかったのかな」
「表向き、そういう話にしたんだろうなぁ。まさか息子が男と駆け落ちしたなんて、身内にも知られたくなかっただろうし」
「……確かに」
「数日後、かくれんぼ終了だよって言って、おもむろに新聞を見せられた。そこに載ってたよ、銃刀法違反の容疑並びに、恐喝の容疑で逮捕っていう記事がさ」
寂しげに語られたセリフに、息を飲んだ。あまりにも、タイミングが良すぎないか?
「今のおまえの顔、きっとこの新聞を読んだときの俺の顔と、同じだろうなぁ。毛嫌いしてたけど一応、父親逮捕ってのは、やっぱり傷ついてさ。山上にこれはおまえの仕業なのかって、問い詰めたよ」
「もしかしてこれが、もれなく排除ってことになるのか?」
「ああ、山上のヤツが言ってた。『僕が昴ををこんなに求めてるのに、どこか線を引いた感じがしてた』って。その理由が家族じゃないかと、アイツは思ったらしい。全然違うのにな」
見当違いもいい迷惑さと呟くように言って、俺の体をぎゅっと抱きしめ直した。つらそうなその体を抱きしめて、背中を叩いてあげる。
「その言葉に対して言ってやった、もう俺たちはダメだって。山上の愛が重すぎて、俺は潰れそうだと伝えたのさ。なのにアイツときたら、ワケがわからないって、涙を流してさ。泣きたいのはこっちだっていうのに」
「山上にすごく愛されていたんですね、昴さん」
「おまえはそう思うかもしれないが、正直異常だと思った。屈折してるというか……。それを伝えても、全然わかってくれなくてなぁ。女ならそういう愛され方は喜ぶんじゃないかと言ってやったら、もういいわかったからって一言。膝を抱えて俺に背を向けたまま、自分の前から姿を消してくれって言わんばかりに、右手を左右に振ってたアイツに、無言でサヨナラしたんだ」
「本当は好きだったのに、さよならしたんだ」
「じゃないと――きっと共倒れしちまうって思ったんだ。山上に溺れて自分を見失いそうで、本当は怖かったから……」
俺は無言で昴さんの頭を、肩口に押し付けた。泣いてしまうんじゃないかと思わせるように、語尾が震えていたから。
ああ、だからあの台詞。
『済まなかった、本当はおまえが……山上、好きだ……』
共倒れをさせないように、昴さんが嘘を言って山上を振った。愛するがゆえに……。
「俺はその後逃げるように家に帰り、大学も中退したんだ。山上に二度と逢わないように、徹底的に距離を置くためにな。そして父親と懇意にしてた、親父さんトコに世話になったというワケ」
「山上は今、なにをしてるんでしょうね?」
「親が警察関係者だからな、つい最近まではマルボウの刑事だったらしいんだが、仕事ができる関係で、他所の課に引き抜かれたらしい」
「マルボウって、まんま暴力団関係のトコですよね。それってもしかして――昴さんを追いかけるために入ったんじゃ……」
俺の言葉を一蹴するように、昴さんは鼻で笑った。
「さあなぁ。俺を追っかけるなんて芸当が、アイツにできるとは思えない。あの時キッパリ断ったからさ」
「だって付き合うまで、しつこく付きまとわれていたんだろ? ましてや一度でも両想いになったなら尚更、想いが募るって思うんだ」
知ったふうに言い切ると、なぜか肩口でふっと笑った感じが伝わる。
「竜生って見かけによらず、ロマンチストなんだな。想いが募る……。いい響きだ」
「変なトコ褒められても困るし……やめてください」
「俺も竜生に、想いが募ってるんだけどなぁ。そろそろ信じてはくれないだろうか?」
そう言って、俺の頬に音がするキスをした。
「やっ! そういうことをするから、信じらんねぇって言ってんだよ」
「じゃあどうしたら、信じてくれるんだ。ん?」
久しぶりに感じる昴さんの体温、声……吐息までもが愛しく感じる。すっごく淋しかったのに、それすらもうまく伝えられなくて。だから余計にドキドキした気持ちなんて、伝えられるワケがないじゃないか!
というか、知られたくない!
「腹、減ってるでしょ。なにか作ってきます」
うまく言えないのを誤魔化すべく、起き上がろうとした俺の腕をグイッと引っ張り、行かせないようにした。
「さっきも言ったろ、竜生に食べられたいって」
「俺もまた言いますけど、酔っ払いを抱く趣味はありません」
「おまえに酔ってるんだってば。わかってねぇなぁ」
「酔っ払いの戯言なんか、信じられねぇっての!」
昴さんの気持ちが痛いほど伝わってくるのに、どうして素直になれないんだろ。こんな俺を飽きずに呆れずに、よく好きでいてくれる。奇跡みたいな人だよ。
「本当にいいわ、おまえ。帰ってきたって実感がするもんな、このやり取りがさ」
いつもはキリリとした眉毛が、目尻とともにだらしなく下がっていて、みっともないったらありゃしない。
「昴さんその顔、外でしないほうがいいよ。ヤクザの幹部とは思えないから」
「竜生だけだから。こんな俺、見せられるのは……」
掠れる声で言ったと思ったら、俺をぎゅっと抱きしめながら、触れるだけのキスをした。唇に感じる、昴さんの熱が直に伝わる。
「くだらないやり取りもだけど、やっぱおまえに抱かれなきゃ、帰ってきた気がしないんだ。お願いだから」
「わかったよ、わかったわかった! その代わり途中で腹が減っても、すぐに用意できないからな。まったく、ワガママばっか言うんだから……」
本当は嬉しいクセに、イライラを装ってそれを隠しながら、昴さんのネクタイを手早く解いていく。そんな俺を三白眼を細めて、幸せそうな顔をしながら、
「竜生、ありがと」
すりりと体を寄せて、俺の耳元で優しく告げる。
「おまえだけを愛して」
それ以上のことを言わせないように、唇で塞いでしまった。
さっき告白されたときは、胸がキリキリしてすごく痛かったのに、今は無性にドキドキして、自分自身を持て余してしまう。持て余して告げそうになったから、自らの口を塞ぐべく、昴さんの唇を塞いだ。
――俺も昴さんのことを、すっごく愛してます――そう告げそうになったから……。
ともだちにシェアしよう!