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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい7

 伯爵の言葉を聞くなり姿勢を正して一礼し、そそくさと出て行く。それを見てほっとし、ベニーの隣に並んだ。 「この部屋は『信頼の間』と言って、俺の眼鏡にかなった者しか入れないことになっている。だがそんな俺の目を欺き、ここにある骨董品に手を出す人間が残念ながら、少なからずいるんだ」 「アーサー伯爵が相手の信頼を測るために、あえてこういう物をご用意されているように見受けられますが?」  ベニーの鋭い問いかけに、伯爵は形のいい眉毛を上げながら意味深に微笑む。じっとりとしたものをまとった笑みで見つめられるのが嫌で、ふたたびベニーの影に隠れた。 「表面上の付き合いだけでは、分からないこともあるだろう? 無論、男爵はこういったものには目もくれないことは、想定済みだったけどね」 「そんなことはございません。最初に通された部屋に飾られている絵画に、心惹かれるものがあったご様子でした」  僕をフォローするためなのか、ベニーがわざわざ持ち上げてくれたのだが――。 (高そうな絵だなぁと、内心呆れながら眺めていただけなのに……。アーサー卿に何か質問されたら、まともに答えられないぞ) 「ほう、男爵があの絵を。実は俺も大層気に入っていてね、まるで運命を感じてしまう」 「やっ、はあ、そうですか……」  ベニーを盾にして、しどろもどろに答えるのが精いっぱいだった。でまかせを勝手に運命にされても、迷惑なことこの上ない。 「ではあちらの部屋で、その絵を鑑賞しながら土地の話を進めよう」 「あ、はい」 「執事殿は、この部屋で待っていてくれ。鍵がかからない部屋だ、男爵に何かあればすぐに駆けつけられるだろう?」  一緒に部屋を出ようとしていた、ベニーの足が止まった。振り返って彼を仰ぎ見ると、無言のまま静かに頷く。  信頼の間で相手を試すような罠を仕掛けている部屋に、ベニーを置き去りにしたくはなかった。 「ローランド様、私はここで静かに待っております。何かあれば――」 「ああ、分かった。お前も無理するなよ」 「男爵、そこまで警戒しなくても大丈夫だ。それに執事殿の目が光っているうちは、手を出せそうにないし」  名残惜しげに立ち止まる僕の足を動かそうと、伯爵が肩に手を回してきた。頭を下げて僕らを見送るベニーの真摯な態度に突き動かされて、仕方なく別室に移動する。 「男爵はリンゴが好きなんだって?」 「ええ、まぁ……」  僕の好みをどこで調べたのか、好物を話題に出してきた伯爵に、気の抜けた返事をした。 「お菓子作りが得意な料理人に、アップルパイを作らせた。それに合わせて、なかなか入手できない茶葉で紅茶を淹れさせてるから、一緒に食べてみてくれ」  肩に回された手がソファに誘導し、力任せに座らされる。そのタイミングで目の前に明るくて透明な茶色の紅茶と、シナモンの香りが漂うできたてのアップルパイが置かれた。それらを用意した執事が、恭しく頭を下げて退室する。 「薬が入っていないことを証明するのに、俺が先に飲もう」  僕が警戒しているのを察知しているのか、伯爵自ら紅茶を口にした。 「味わい深いこの渋みは、間違いなくアップルパイを美味くするに違いない。さぁ男爵、食べてみてくれ」 「アーサー卿、舞踏会で出された料理をたくさんいただきましたゆえ、お腹がいっぱいなのです」  お腹を擦りながら苦笑いを浮かべつつ、もう食べられませんを必死になってアピールする。出されたものに手をつけないようにするために、ベニーといろいろ策を練った。事細かい演技指導のお蔭で、伯爵の目の前で違和感なく演じることができた。 「それは残念だな、君が喜ぶと思って作らせたのに」 「申し訳ございません。アーサー卿のお心遣いを台無しにしてしまって」 「もとはと言えば、屋敷で出した料理のせいなのだから、そこまで気を落とさないでくれ。このアップルパイは、土産に持ち帰るといい。紅茶の茶葉をオマケに付けておこう」 「ありがとうございます」  紅茶だけでも飲ませようと無理強いするかと思いきや、あっけなく引き下がった伯爵の言葉に、嫌な感じを覚えた。 (いい予感は思いっきり外れるのに、嫌な予感というのは外れないものなんだよな。見えない何かかが、僕の傍で起きようとしている気がする)

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