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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい14

*:,.:.,.*:,.:.,.*:,.:.,.。  伯爵の言葉どおり国王陛下からの手紙は、翌週の月曜に送られてきた。  執務室にある机でそれを読みふけった後に、思わず大きなため息をついてしまった。その内容が僕ひとりでは、どうにも解決できないものばかりだったから。 「なんていうかこれは、畑違いと表現したらいいかもしれない。参った……」 「そのご様子はもしかして、ゼンデン子爵の所有する土地で栽培している作物は、育成が難しいものなのでしょうか?」  傍らに控えていたベニーが、眉根を寄せながら問いかけた。  僕の雰囲気から言葉の意味を素早く理解した後の質問は、無駄が省かれたもので、執事としての彼の知力が表れていた。けれどさすがのベニーでも、きっと難問になるであろう。 「ゼンデン子爵の土地では、紅茶の葉を栽培しているそうだ。質のいいものは、王室にも卸しているらしい。男爵家で昔から手がけている農作物なら、おおよその経費や年間の収穫量が見積れると思っていた。だから多少ここと離れていてもあっちの領主を中心にして、やり取りすることは可能だと考えていたのに、当てが外れてしまった」  持っていた手紙を机に置き、印刷された『王室』という文字を指先でなぞってみる。 「王室御用達ですか……。ローランド様が引き継がれてから天候不順以外での不作をのぞき、何か大きな問題が発生した場合、国王様に推薦した伯爵に、責任を追求する者が出るかもしれませんね」 「まぁ敵が多いお方だから、いたしかたないだろうが」 「私が伯爵を貶める作戦を立てます」  胸に手を当てながら身を乗り出し、突飛な発言をしたベニーに向かって、黙ったまま首を横に振った。 「なぜなのです? 復讐するチャンスが目の前に転がっているというのに、ローランド様は見過ごすというのですか」  同意を促すまなざしで見つめられても、承諾するわけにはいかない。だって今の僕は、アジャ家の当主なのだから――。 「復讐なんてくだらないマネをするよりも、任せられた領地を問題なく治めるのが僕の責務だ。これくらいお前にだって、分かっているはずだろう?」 「アジャ家の名前に傷がつかない方法を考えますゆえ、なにとぞ」  これ以上の言葉を聞きたくなかった僕は、すぐさま立ち上がり、身を乗り出しているベニーの頬を思いきり叩いた。パンッ! という乾いた音が、執務室に漂う空気の中に一瞬で溶け込んだ。まるで、そのことがなかったように。 「くどいぞベニー。私情に駆られすぎだ」  僕に叩かれた勢いで、真横を向いたベニー。白手袋をはめた手で赤く腫れた頬に触れながら、たどたどしい動きで顔をもとに戻す。ゼンマイ仕掛けのようなその動きは、まるで操り人形みたいだった。 「も、申し訳ございません」  叩かれたことが信じられなかったのだろう。大きく目を見開いたまま、食い入るように僕の顔をじっと見つめる。  これまで揉めた際は、お互い納得するまで口喧嘩したけれど、こんなふうに暴力を振るったことがなかった。激昂した僕の対応を目の当たりにして、かなり困っているのかもしれない。 「いいかベニー。復讐したとしても、あの日の夜のおこないはゼロにならない。綺麗な僕には戻れないんだ」 「ローランド様……」 「たとえ復讐するために何かを企てても、待っていましたといわんばかりに、アーサー卿は笑いながら上手にかわすだろう。頭の切れるお方だからこそ、それを脅迫の材料にして、ふたたび僕に迫ってくる可能性だってある」 「あ……」  僕なりの予測を口にした途端に、悲しげな表情から、気難しい顔つきに変化した。私情に囚われていた彼の気持ちが、僕の言葉で切り替わったのかもしれない。 「僕としては、たった一晩アーサー卿の相手をしただけで領土が広がったのは、ラッキーだと思うけどな」 「それは……」 「アジャ家80数年ぶりの快挙だというのに、喜ばない執事がどこにいる?」  肩を竦めて笑った僕を、ベニーは真顔で眺めつつ、叩かれた頬を撫で続ける。 「ベニー、苛立っていたとはいえ、叩いたりして済まなかった。かなり痛かっただろう?」  いつまでも頬を擦っているので、相当な痛みを抱えていると思って声をかけた。 「とんでもございません。痛みはそこまで感じていないのですが、私は思っていた以上に伯爵にたいして、根に持っていたことを痛感したのでございます」  しょんぼりしながら、頬に触れている手を下ろす。 「私はあの日警戒していたというのに、伯爵のかけた罠にまんまと堕ち、ローランド様がつらいめに遭われました。それを嘆き悲しまない執事が、どこにいるのでしょう」 (――執事という職業だけじゃなくベニー個人として、自らの失態を嘆いているように見えるのは、僕の考えすぎだろうか?) 「頼みがある。手紙が届いたことと一緒に、陛下に謁見したい旨を電話してほしい」 「畏まりました」 「日程が分かったら、すぐに知らせてくれ。ひとりで行く準備をする」 「準備など私がいたします。それに、おひとりで運転して行かれるなんて――」 「お前はここで待機してくれ。今週は領主が中間報告に顔を出すと、前から決まっているのだからな。屋敷を留守にするわけにはいかない」  僕の指摘を受けて、ベニーは驚きを隠せない表情を浮かべた。もしかしたら今回の出来事で、スケジュールが飛んでしまったのだろう。 「確かに……」  何とも言えない微妙な顔つきから、彼のショックを改めて思い知った。 「大切な仕事を忘れるくらいに、冷静さを欠いていることを自覚してほしい。頭を冷やせ」 「……ローランド様は大丈夫なのですか? つらくはないのでしょうか?」 (自分のことよりも僕を心配するなんて、本当にできた執事だ――) 「お前の過去の出来事に比べたら、まだマシだと思える。つらい過去を乗り越えてきたベニーが傍にいるから、僕は強くなれるんだぞ」  腰かけていた椅子から立ち上がってベニーの前に佇み、彼の右手を両手で握りしめた。 「そんなふうに言われてしまったら、しょげている場合ではないですね。ローランド様のお役に立てるように、もっともっと精進しなくては」 「当然だ。僕は国にいる貴族の中で一番の最年少で、経験も浅い。こんなことはわざわざ言うまでもないが、そんな僕を支える執事は、優秀じゃないとダメだろう?」 「必然的に、そういうことになります」  握りしめたベニーの右手に、ぎゅっと力がこもる。たったそれだけのことで、安心感が増すから不思議だ。 「今回のように、ベニーと離れて仕事をすることになっても、お前に恥じないように一生懸命に頑張ってみせる」 「お願いがございます」  言いながら片膝をついて、しっかりと僕を見上げたベニーの表情は、頼りがいのある執事の顔をしていた。 「なんだ?」 「困ったことがあれば、屋敷に連絡をしていただけたらと思いまして。解決できるものであれば一緒に考えますし、駆けつけることが可能な場所であれば、馬に乗ってお傍に馳せ参じます」  挽回してみせるという思いが、アクセントになって言の葉に込められたのを、ひしひしと感じとった。主として、それを見過ごすわけにはいかない。執事としての、彼の資質を上げるために――。 「分かった、必ず連絡する。まずはさきほど頼んだ電話の件、早急にしてくれ」 「はい、ただちに!」  ベニーの右手を僕から解放したのに、名残惜しげに指先を一瞬だけ掴んでから手を放す。  ちょっとした行為にときどき戸惑ってしまうのは、こういうのをしたことがないのと、される機会がほぼないせいだった。  どんな気持ちで、それをしたのかがさっぱり分からない。 「ベニー……」  かけた声を振り切るように素早く立ち上がると、身を翻して執務室を出て行った。 (慣れない仕事をするだけでもいっぱいいっぱいなのに、相手の気持ちを推し量る余裕がないのも困りものだな。少しずつ、両方こなせるようにならなければ!)

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