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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい15

*:,.:.,.*:,.:.,.*:,.:.,.。 「ごきげんよう、男爵。領地巡りをするには、いい天気に恵まれたものだね」  背後からかけられた聞き覚えのある声に、金縛りにかけられたように躰が硬直する。 「こっ、これはアーサー卿。この間はその……、お声をかけずに勝手に帰ってしまい、申し訳ありませんでした」  国王陛下の謁見の帰り道に、ゼンデン子爵の領地の確認をすることを、ベニー以外に伝えていない。いきなりの伯爵の登場で思いっきり狼狽えてしまったのは、いたしかたないだろう。  ぎこちなく振り返った僕を見るなり、伯爵は満面の笑みを浮かべる。引きつり笑いをしている自分とは、間違いなく雲泥の差だ。 「それにしても僕がここに来ること、よく分かりましたね。すごいです」  あの日のことを口にされる前に、さっさと話題転換してみた。思い出したくもないし、この場に似つかわしくない話をされたくなかった。 「お褒めにあずかり光栄だ。君はとても責任感が強いだろう? 間違いなく下調べをするために、ここに寄ると思った。それに陛下から、男爵のサポートをするように仰せつかっていてね。推薦するだけして放り出すなんてことをしたら、きっと罰が当たってしまう」 「そうですか、それは心強いです……」 (むしろ放り出してくれたほうが、精神衛生上よさそうな気がする)  目の前に広がる茶畑の緑色が、目に眩しかった。そんな緑に癒されかけていたのに、 伯爵の登場でリセットされてしまうなんて計算外だった。 「ここでの茶摘みは、あと1ヶ月半後だと領主に聞いた。雇っている女性のやさしい手指で、新しく生育してきた柔らかい芯芽と、2枚の若葉だけを丁寧に手摘みするから、それなりに時間がかかるらしい」  言いながら僕の左手をとり、甲にくちづけを落とす。抵抗できない身の上に、苛立ちを覚えた。 「アーサー卿、誰もいないとはいえ、外で目立つことをされるのは困ります」 「君が素っ気ない態度をとるものだから、つい……ね」  注意を促したというのに、掴んだ僕の手に指を絡めて繋がれてしまった。わざとらしくそれを見てから、伯爵の顔を睨みあげた。 「今日は、執事殿がいないんだな。大切な主を守れなかった彼に、お留守番というペナルティでも与えたのだろうか?」  思いっきり睨まれているというのに、そんなの関係ないといわんばかりに微笑みながら、遠慮なく顔を寄せる伯爵。あまりの態度に、顎を引いて自分なりに距離をとった。 「ベニーに、ペナルティなんて与えていません。彼に落ち度はありませんので」 「そうだね。俺たちの邪魔をしないように、執事殿には勝手に眠ってもらっただけなんだし」 「いけしゃあしゃあと!」  告げられたセリフは、僕の心を簡単に波立たせるものだった。空いている手を使って、伯爵の頬を打とうとしたが、素早く右手首を掴まれ、あえなく阻止されてしまう。 「勝気な君が好きだよ」 「冗談じゃない!」  こんな状態で堂々と愛の告白をされるとは、夢にも思わなかった。むしろ内なる怒りに、油を注がれた気分に陥る。  伯爵の端正な顔を、自分なりに目力を強めながらさらに睨みを利かせた。 「アーサー卿、何を仰るかと思えば。そのような言葉を、誰にでも吐き捨てているでしょうに」 「そう思われても、仕方のない立場だけどね。実際はそんなに多くない、片手で足りてしまうくらいだよ」 「騙すことに長けている貴方の言葉を、誰が信じるでしょうか」  拘束されている両手を握りしめつつ、力を入れて引っ張っても、それ以上の力で抑え込まれてしまった。 「ん、うぅっ!」  一瞬の間をついたキスだった。伯爵を拒否する言葉と一緒に封じ込められた唇は、空気を吸い込むことも吐き出すこともできず、そのまま固まるしかない。 (どうしよう。あの夜のように、このまま――)  恐怖だけじゃなく、いろんな感情がないまぜになって、抵抗する力が沸かない。目を見開いた状態で伯爵からのキスを受け続けていると、ちゅっというリップ音のあとに唇が解放された。

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