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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい21
(自分の中にあるモヤモヤした気持ちも、一緒に放り投げることができたらな――)
「はじめて他人に触れられた衝撃で、イキそうになるのを必死に堪えるローランドの姿に、愛おしさを感じた」
伯爵のセリフがきっかけになり、苦悶するローランドが浮かんでしまった。
大きなベッドの上で、息を切らしながら躰をくねらせ、絶頂しないように我慢する映像が、まぶたの裏に流れてしまう。それをなきものにせねばと、ぎゅっと目をつぶり、大袈裟な感じで首を横に振った。
「執事殿は、想像以上にいい反応をしてくれるね。俺の話だけでそんなふうに拒絶されると、どんどんしたくなってしまう」
「無駄話はあとにしてもらえると、大変助かるのですが」
「君が現在進行形で知りたい内容だと思ったから、俺は口にしているだけだよ。親切心を感じてほしいくらいだ」
「下世話ですね」
「その切り返し、やっと執事殿らしくなってきたじゃないか」
伯爵のペースにまんまと乗せられることに、どんどん嫌気がさしてくる。
「伯爵、私はローランド様に頼まれて、ここに来ているのです。不躾な言動で、仕事の邪魔をしないでいただきたい。お願いできますでしょうか」
ベニーはやんわりと伯爵に注意を促し、箱の中に落とした書類を拾い上げようとした。その刹那、背後から伸ばされた手がそれを掻っ攫う。
「伯爵!?」
「こんな紙切れ、ローランドには必要のないものだ」
薄笑いを浮かべた伯爵は言うなり、音を立てて引きちぎった。ビリビリに細かく破られた書類が、ベニーの頭に降り注ぐ。花びらのように舞い散りながら降ってきたそれをただ黙って、茫然と見つめることしかできない。
(破かれてしまった書類の内容は、重要なことが記されていないものだったからよかったものの……。このあとも同じように破られたりしたら、たまったもんじゃない)
「あの夜と同じだな。俺を前にして、大切なものを守れない。手も足も出ないといったところか」
「残念ながらそのようです。私は無力な男です。情けない……」
言いながら、膝に置いてる両手を握りしめる。悔しさを隠すことすら馬鹿らしくなったベニーの肩の力が、すとんと抜け落ちた。
早々に白旗をあげれば、伯爵の嫌がらせがなくなるだろうと考えたものの、確証がないだけに、不用意な発言を控えながら全身で脱力感を滲ませて、警戒していることを秘めた。
「ローランドに手を出さなかったのは、機をうかがっていたからだろう? 臆病な君らしいといえば、そうだが」
「信頼関係と一緒に、愛を育めたらいいなと考えておりました。貴方のように無理やり奪うことは、絶対にいたしません。私にとってローランド様は、大切で尊いお方ですので」
「大切で尊いと言いながらも、不埒な関係になりたがってるなんて、執事殿はおかしな男だな」
「大切だからこそ、自分の手で愛でたいと思いませんか?」
「俺の手で穢れてしまったローランドを、まだ愛せるのか?」
ベニーからの問いかけを質問で返した伯爵の表情は、どこか馬鹿にしているように見えた。ローランドに手をつけたという優越感が、そうさせているのだろうと考えついたのだが――。
(この疑問に肯定すべきなのか。それとも否定したほうが、伯爵の口撃を回避できる? いずれにしても、答えにくいものであるのは事実だ)
「そんなに、深く考えることでもあるまい。執事殿は、おさがりが嫌なタイプだったのかな」
「ローランド様は、物ではございません。発言にはくれぐれも、お気を付け願えますでしょうか」
「確かに彼は男爵という立場にいるが、ベッドの中ではただの男に成り下がる。はじめてのはずなのに乳首を責めると、大きな善がり声をあげて、躰を震わせていたよ」
「…………」
「これから開発していけば、きっと乳首だけでイケるようになるかもしれないな。それがとても楽しみでね」
ベニーは意を決して、伯爵の顔を睨みあげた。これ以上卑猥な言葉を噤ませるように、語気を強める。
「仰りたいことは、他にございますか? くだらない話ばかりするようでしたら、退出していただけますでしょうか」
「ローランドの話は、君にとってもくだらないことではないだろう。自分の主の、大事な躰についてなのに」
「現在私は仕事中の身なので、そのような話は別な日に改めていただけると、大変助かります」
「じゃあ、ローランドに言伝を頼むよ。大切な書類を預かっているとね」
睨んでいたベニーの瞳が、大きく見開かれた。伯爵はそれを見て、満足げな笑みを浮かべる。
してやったりな態度に、箱の中の書類を大量に投げつけてやりたくなった。
「言伝など手間のかかることをせずに、伯爵が持っている大切な書類を、私にお預けくださればいいだけのこと。きちんとローランド様に、お渡しいたします」
「二度も言わせるな。大切な書類を、執事の君に渡せるわけがない」
理由はわかっていたが、あえて訊ねてみる。それを突破口にして、伯爵を攻めようと考えた。
「伯爵はどうして、大切な書類を抜いたのです?」
「好きな相手に、意地悪したくなるタチでね。彼の困った顔が見たいんだ」
予想通りのあまりの理由を聞き、ベニーは呆れながら大きなため息をついた。
「イタズラが過ぎます。国王様からローランド様を助けるように、頼まれていたはず」
「確かに。だが書類を抜いたことでローランドは紅茶のことを、深く研究するきっかけになっただろう。勉強熱心だからね」
「ところでその書類は、いつ返していただけますか?」
引き伸ばすようであれば、無理強いしてでも取り返そうと思案した。
「俺も一応、忙しくしている身だからな。まずは、アポイントメントをとってくれ。必ず時間を作る。愛しのローランドに逢うために」
「畏まりました」
ベニーが承ると、右手をひらひら振りながら部屋を出て行く。扉を開くなり立ち止まり、伯爵が顔だけで振り返った。
「執事殿、ひとこといいだろうか」
「なんでございましょう?」
「君は自分の立場を、もう少しわきまえたほうがいい。元男娼の君がローランドを愛するだけでも恐れ多いのに、その汚れきった躰を使って彼を抱くなんていう行為は、男爵であるローランドを穢すことにつながる」
「穢す……」
「本来なら許せないことだけどね、俺は寛大だから。ぜひとも執事殿の妄想の中でだけで、そういうコトを済ませてほしいものだね」
ぴしゃりと言いきるなり、伯爵は静かに退出した。
「好きな相手が目の前にいるというのに、妄想だけで済ませられるわけがない」
伯爵の告げた意味について、痛いくらいに理解していた。それでも諦められないのが、恋というもので――。
しかもその恋は、複雑な事情が絡まった末だからこそ、相当厄介なものだった。
「ローランド様……」
ベニーは自分に向かって微笑む、ローランドの姿を脳内で思い描いた。朱い髪をふんわりと風になびかせながら、優しく笑いかけるローランドに胸が熱くなる。だが次の瞬間には、そんなことをしている場合じゃないことに気がつき、頭を振って目の前の書類に向き合った。
(持ち帰らなければいけない書類を早々に見極めて、一刻でも早く屋敷に帰らなければ。抜き取られた書類の内容を確認しつつ、ローランド様に手を出そうとしている伯爵の対策も、一緒に考慮せねばなるまい)
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