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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい23

*:,.:.,.*:,.:.,.*:,.:.,.  ベニーは靴を脱ぎ、膝を抱えた状態で運転席に腰かけて、帰ってこないローランドを待ち続ける。  右手には、愛用している懐中時計を握りしめていた。蓋を開けては閉めてを繰り返す無機質な音が、車内に虚しく響き渡るのみで、いつまでたっても変化がなかった。 (見送ってから30分も経っているのに、ローランド様が戻ってこない。これ以上時間が伸びてしまったら、会議に遅れてしまう――)  男爵になってはじめて集まりに参加することもあり、人見知りのローランドが雰囲気に早く馴染めるようにと、予定の時間前に子爵のお屋敷に送り出したかった。その気持ちを伯爵によって、簡単に打ち砕かれようとしている現状に、ベニーは歯ぎしりした。 「駄目だ、これ以上は待てない。ローランド様を奪還させてもらう」  持っていた懐中時計をポケットにねじ込み、急いで靴を履いて颯爽と運転席から降り立った。  ローランドが屋敷に入った豪勢な扉をノックし、暫し待つ。すると可愛らしい顔をしたメイドが、丁寧に頭を下げながら出迎えた。  彼女に向かって愛想笑いを浮かべながら、あらかじめ考えていたことを流暢に口にする。 「失礼いたします。我が主が伯爵と面会しているはずなのですが、このまま時間が経ってしまうと、城下でおこなわれる会議に遅れてしまいますゆえ、呼んでいただけないでしょうか」 「申し訳ございません。旦那さまには大事な話を遮られたくないとのことで、誰も部屋に立ち入らないように、きつく申しつけられておりまして」 「大事な話?」  途端に笑みが消えたベニーの表情を目の当たりにして、メイドは視線を右往左往させながら狼狽えた。  立ち入り禁止を命じた伯爵の思惑に、背筋が一気に凍りつく。使用人を遠ざけた時点で、何をしているかは明白だった。 「ああ、これはアジャ家の執事ではないですか。先日は当家の晩餐会にお越しくださり、ありがとうございました」  屋敷の奥から年配の執事が顔を出しながら、声をかけてきた。メイドは小さく頭を下げてから年配の執事の傍に駆け寄り、耳元で何かを呟きながら、ベニーの顔色を恐るおそる窺う。  年配の執事の登場に姿勢を正しつつ、胸に手を当てながら話しかける。 「お客様を迎える細やかな気遣いやおもてなしを感じ、執事としていろいろ勉強させていただきました」 「ところで、シュタイン子爵のお屋敷でおこなわれる集いの時間が変更になったことが、男爵家には伝わっていないようですね」 「時間の変更ですか、初耳です」 「急きょ当家にて会見があるから、2時間ほど遅らせることになったことを、主から直接男爵に連絡がなされたはずです。それを踏まえての、本日の会見だったのですが……」 (伯爵から連絡なんて、ひとつもなかった。ローランド様に当日、この場で告げる手筈だったのか。やられた!)  顔面蒼白になったベニーを見て、年配の執事が気を遣ったのか、メイドに向かって仕事へ戻るように命じた。  そそくさと立ち去る後ろ姿を見ていたら、一緒に屋敷の奥に入りたい衝動に駆られる。 「ロ……ローランド様は、どこにいらっしゃいますか?」  乾いた声で、聞きたいことをやっと口にしたベニーに、年配の執事は首を横に振った。 「主の言いつけは、絶対でございます。貴方をお通しするわけには、まいりません」 「ですが、伯爵が何をしているのかをご存知のはず。それを止めない執事が、どこにいるのでしょう」  途中から怒りを抑えられなくなったベニーの声が、玄関先に響き渡る。それでも年配の執事は顔色ひとつ変えずに、淡々とした口調で語りかけた。 「ここで騒ぎを起こせば、誰が貴方の責任をとることになりますか?」 「私は、騒ぎを起こしたいわけではありません。ローランド様をお助けしたい一心なのです」 「助けなければならないことを、我が主がしているというのですね」  鋭さを含んだ声色に変わったのを瞬時に悟り、二の句が継げられなくなった。 「確かにアーサー様は、遊びが過ぎるところがおありです。ですがそれにも意味があるからこそ、おこなっているのでございます」 「その遊びが過ぎることについて、執事として窘めたりしないのでしょうか」  互いの仕事を分かり合えるゆえの、ベニーからの切り返しだった。 「窘める必要はございません。すべては貴族派閥のサブリーダーとして、王族派閥との均衡を保つためにおこなっていることですから」 「ローランド様は一応、貴族派閥に属していらっしゃる身。王族派閥とは、無関係でございます。それなのに――」 「我々では見えないところに、何かがあるのかもしれませんね」  やんわりと押し返される回答に、ベニーは両拳を握りしめた。こうしてる間に、ローランドの身がどうなっているのか、心配でならない。 「ここを通していただきたい!」 「貴方と立場が逆だとしても、主が自分のもとに帰って来るのをひたすら待ちます」 「なぜです? どうして――」 「なぜならその行為によって、主のポジションが揺らぐことのないものになるからです。アーサー様の囲いがあれば、誰も手を出せません。有意義に男爵としての仕事が、全うできるでしょう」 「……ご本人はそんなことを望んでいらっしゃらないのに、こんなの――」  あんまりだとつぶやく前に、年配の執事がベニーの躰を扉の外に押し出した。 「孤児院出身の貴方なら、身分の違いが痛いほど分かっているでしょう。男爵家が伯爵のおこなうことについて、物申すとは言語道断。恥を知りなさい」  ぴしゃりと言い放つと同時にベニーの目の前で、音を立てて扉が閉められた。 「力のない私は、好きになったお方をいつも守れない。いつもいつも……」  明るい日差しが降り注ぐ扉の前で、暗い気持ちを胸に抱えたまま、戻ってこないローランドをベニーはひたすら待ち続けたのだった。

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