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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい36

「お気に入りって、世の中のことを何も知らない、ただの若造じゃない」 「ええ。世間のことにはめっぽう疎い、片田舎住まいの若い男爵でございます。ですが何も知らないというのは、知る機会があるということ。可能性は無限大なのです。それに――」 「な、なによ?」  語尾にいくにしたがい、声の迫力が増すベニーに、未亡人の顔から笑みが消えた。赤茶色の瞳を輝かせながら不敵に笑う、自信満々な顔を見ようと、ローランドは踵をあげながら黙って見つめる。 「計算高くない無垢なところが、伯爵の心を惹きつけて止まないのです。腹黒くあらせられる子爵夫人には、けして真似のできないことでしょうね」  とことん主を持ちあげるベニーの背中に、ローランドはそっと縋りついた。頼りがいのある大きな背中はとてもあたたかく、傷ついたローランドの心を癒すものだった。 「どうして僕は、おまえを好きにならなかったんだろう。こんなにも想ってくれているのに……」  ローランドが囁いた言葉が小さかったため、激昂した未亡人には聞こえなかったらしい。ベニーに向かって「私にそんな口をきいていいと思ってるの!?」など、次々と罵詈雑言を浴びせる。 「私はこれまでの経緯から、察したことを口にしただけでございます。どうぞ伯爵に仰ってください。男爵の執事にやり込められて、腹が立って仕方がないと」 「ベニー、そんな進言をしたら――」 「ローランド様に、ご迷惑がかかるやもしれませんね」  抱きついている背中を揺らしながら、ローランドが心配しているというのに、浅いため息をついて振り返ったベニーは、瞳を細めて笑いかけた。反省の色のない様子を目の当たりにして、ローランドは思わず吹き出す。 「クリシュナ男爵共々、失礼な方ね。身重の私を祝うわけでもなく、暴言を吐き捨てるなんて」  苛立ちを表した未亡人のセリフに、ベニーは魅惑的な笑みを唇に湛えながら、すっと姿勢を正した。背筋を伸ばした背中から、ローランドは手を放す。こんな状況下だからこそ、頼ってばかりでは駄目だと考え、ベニーの隣に並んだ。 「子爵夫人のお腹のお子が、確実に伯爵のお子なら、お祝いの言葉を述べましょう」  ベニーは胸に手を当て、細めていた瞳に目力をこめる。躰から滲み出る気品は、王侯貴族に引けをとらないものだった。隣にいたローランドが漂う気品に臆して、後ろへ退いた。  毅然とした態度を貫くベニーに、未亡人は切羽詰まった表情で叫ぶ。 「だって亡くなったあの人は、女が抱けない躰だったのよ。それこそ、アーサーとデキていたんだから!」  未亡人の爆弾発言に、ふたりそろって言葉を飲み込んだ。  心配したベニーは振り返って、背後にいるローランドの様子を窺った。躰が微かに震えるのを見、片腕で強引に抱き寄せて、震えを止めにかかる。 「なるほど。ご夫婦で、伯爵のお世話になっておられたんですね」  ローランドにこれ以上のショックを与えないように、言葉を選んで口にしたベニー。執事として主をいたわる姿に苛立ったのか、未亡人は突き放すような口調でまくしたてた。 「結婚する前からデキていたそうよ。だから亡くなったあの人の子を、私が孕むのは無理なの」 「死人に口なしでは、それを証明するすべがないですよね?」  伯爵に訊ねると、笑いながら簡単に吐露しそうなネタだったが、未亡人を追い込むために、ベニーはあえて問いかけた。 「あの人が死んだのだって、もとはといえば、アーサーの行き過ぎたプレイのせいなのよ。クリシュナ男爵にだって、身に覚えがあるでしょう?」  憤慨した未亡人に疑問をぶつけられても、ローランドは素直に頷けなかった。首を横にして、突き刺すような視線から逃れる。 「やれやれ。亡くなった子爵の原因をつくった伯爵を脅し、子種を頂戴したといったところでしょうか」 「そんなこと、この私がするわけないでしょう! アーサー自ら、愛してくれたのよ」 「いろんな意味でやり手の伯爵が、貴女に脅される前に先手を取っただけのこと。自分が愛されているなんて、よく言えますね」  ベニーは嘲うようにニヤニヤしながら告げて、あからさまに未亡人を蔑んだ。キツい言葉を吐き捨てながらも、細身の躰を抱き寄せる腕に力をこめて、ローランドに大丈夫なことをアピールする。 「アーサーは言ったわ。美しい君を、永遠に独り占めにするって。誰よりも愛してるって」 「伯爵の性癖をご存知なら、どうしてそれを貴女になさらないのでしょう」 「この私を、大切に扱っているからに決まっているでしょ!」  たたみかけるベニーのセリフを聞き、未亡人は自分の胸をバンバン叩くという、大袈裟なジェスチャーをまじえて返事をした。空回りしている様子に、ローランドは額に手を当てながら目を閉じる。 「理解いたしました。子爵夫人がローランド様よりも、世間知らずだということに」 「はあ? それは、どういうことかしら?」 「自分の性癖をぶつけられない相手とはすなわち、反応のないただの玩具にすぎません。たとえるならそうですね、ダッチワイフかオナホ以下ということです」 「なんですって!?」 「ご自分の身分もはかれない方と、これ以上お話をしても、時間の無駄になりそうですので、お暇させていただきます。行きましょう、ローランド様」 「待ちなさいよ、この恥知らず!」 「ごきげんよう、オナホ夫人」  ベニーはニッコリ微笑みながら、さらっと毒を吐き捨て、開けっ放しの扉から主とともに脱出した。ローランドはぽかんとしたまま、車に向かうしかなかった。

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