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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい38
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伯爵の屋敷に顔を出すまでの間、ローランドはいろいろ悩み、ずっと笑顔を見せていなかった。
そんな暗い表情のまま、実際に出向いた伯爵の屋敷で未亡人に逢い、ショックな出来事が度重なったせいで、つらそうな顔ばかりしていた。だからこそ、こうして軽快なやり取りをすることができる奇跡に、ベニーは心からこの会話を楽しむ。
ハンドルを握る指先で、リズムを刻んでしまうくらいに、嬉しくてならなかった。
「だって、ベニーが片想いばかりしていたのは、揺るぎない事実だろう?」
「こんな私でも、両想いになったことくらい、あるんですけどね」
「えっ?」
大きな瞳を見開いて心底驚くローランドに、ベニーは諭すような言葉をかける。
「両想いを維持させるには、片想いをするよりも苦労いたします。問題に直面したとき、ひとりではなくふたりでのりこえなければならないことに、とてもパワーを使うんです。独りよがりでいたら、絶対に駄目になってしまう。そのせいで誤解を生み、すれ違ってしまうのですよ」
じっと前を見据えて語るベニーの背中を、ローランドは笑みを浮かべたまま見つめる。
思いやりに溢れる対応に、熱いものがこみあげてきた。それをやり過ごすために、頬を引きつらせながら口を開く。
「おまえの深い話を聞くと結局、両想いにすらなっていないような気がする。アーサー卿は、誰にでも愛の言葉を吐き捨てているのを知っていたのに、それを真に受けてしまった。自分が一番愛されていると、僕は勘違いしてしまった。まさに、恋は盲目ってことだよな……」
目頭に溜まった涙が零れないように、車の天井を仰ぎみながら顔を歪ませる。
「私は、両想いが壊れる怖さに怯えました。相手に自分を好きでいさせる自信が、まったくといってなかったんです」
「おまえがなにを恐れているのか、さっぱりわからない。魅力的なベニーが微笑むだけで、相手はノックダウンするだろう?」
鼻をすする音とともになされる質問を聞いて、ベニーはひょいと肩を竦めてみせる。
「ノックダウンしなかったローランド様が、よく言いますね」
「くっ……。確かに、そうだな」
「相手の想っている愛情の色と、私の色が違っていたんです。私のものはどす黒く、醜いものでした」
実際には見えないものの話をされて、ローランドは天井を見ながら首を傾げた。
「色?」
ベニーには見えて自分には見えない恋の色の話のお蔭で、沈んでいた気持ちが幾分まぎれた。
「想いの深さではなく質と表現したほうが、わかりやすいかもしれませんね。それこそ私の黒い愛に触れて侵食されてしまったら、余程のことがない限り、相手は後戻りができないでしょう」
やけに淡々とした口調で説明される言葉に、ローランドは思いきって顔を正面に向けた。ベニーがどんな顔をしているのかわからないのに、向けずにはいられない。それくらい、不穏なものを感じとった。
「侵食されてしまったら、どうなるんだ?」
「どうなると思います?」
ふと一瞬だけ振り返ったベニーの瞳に、ローランドは射すくめられる。ほんの僅かだったが、赤茶色の瞳が異様に赤く光った気がした。
涙目を両手で擦ってもう一度よく見てみるが、そのときにはすでに前を向いていた。ルームミラーに映る両目も、見慣れたものだった。
「ああもう。質問してるのに、疑問形で返すなよ」
目頭を摘まんで俯き、疲れをやり過ごそうとするローランドを、ベニーはルームミラーで一瞥してから、ハンドルに向かって頭を下げる。
「大変失礼いたしました。ローランド様のようにピュアな方は、毒気に当たりやすいので、どうかご注意くださいね」
「僕はピュアなんかじゃない。アーサー卿の毒気に、すでに当てられてしまったのだから」
「それでしたら、毒には私の毒をもって制しますか?」
言いながらローランドに『それ』を見せる。
「これは?」
ローランドは恐るおそる『それ』を両手で受け取り、まじまじと見つめた。手の中にある鈍い光を放った重量感のある『それ』を、息を凝らすようにじっと眺めてから、視線をベニーの背中に戻す。
「私が護身用に、いつも持ち歩いているものです。ローランド様に見せるのは、はじめてでしたね」
「なにかあっても、おまえは素手で対処していただろう。こんな物騒なものを持ち歩いているなんて、全然気がつかなかった」
「ローランド様に命の危険が迫った場合の切り札として、所持しておりました」
「そうか……」
「『それ』を使って、抗うことのできない恋を、ご自分の手でどうにかしてみせますか?」
告げられた言葉の意味が理解できなかった。持っているものに視線を落としながら、『それ』の扱い方について思慮する。
「ベニー……、おまえはいったい」
「伯爵にお気持ちが通じなかったときは、私とともに心中すると言ってくださったお言葉、とても嬉しゅうございました。しかしながら、それが貴方様の本当の願いではないことに気づいておりました。ローランド様と長年一緒に過ごした、私だからわかるのです」
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