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抗うことのできない恋ならば、いっそこの手で壊してしまえばいい41
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目の前でにこやかに微笑むローランドの姿に、伯爵は予想を覆され、内心焦りを覚えた。
孕ませてしまった子爵婦人からの話で、ローランドが深く傷ついていたことと、執事のベニーが憤慨したのを知り、自分から逢うことはしないと決めた。理由は、無駄な争い事はさけるのを定石としていたから。それなのにベニーからかかってきた電話が、それをなきものにした。
『伯爵、貴方様のせいでローランド様が、今にもどこかに身投げしそうな状態になっているのです。私では到底、お救いできません。問題の種をまいた貴方様が、救いの手を差し伸べなければ、ローランド様はこのまま悲観して、間違いなく近いうちに、死を選ぶことになるでしょう』
どこか芝居がかったベニーのセリフを聞いて、最初は反発していたものの、終いには泣き落としされてしまい、渋々逢うことを約束した。
出逢い頭、開口一番に大声で罵られるか、あるいは抱きつきながら泣きじゃくるのか――今までの経験から、そんな予想をしていたのに、伯爵は思いっきり肩透かしを食らった。
ローランドの満面の笑みが、伯爵の思考をここぞとばかりに混乱させる。
「アーサー卿、ご結婚おめでとうございます。ご懐妊も相まって、喜びが二倍ですね」
妙に弾んだ声で祝われたせいもあって、伯爵は「ああ」という短い返事で対応した。
「貴方に逢えない日々は寂しかったのですが、その裏で幸せを手にされているのを知り、僕は直接お逢いして、お祝いを申し上げたかったのです」
「男爵、寂しい思いをさせて済まなかった」
「大丈夫です。今こうしてアーサー卿のお顔を拝見できるだけで、満足でございます」
伯爵が贈った、若草色のスーツに身を包んだローランドが、愛おしさを示すように瞳を細めて笑いかけた。
「今後のことについてなんだが――」
「この部屋に通された時点で、察しております。僕を抱きたいんですよね?」
「いや……。そうじゃなくて、だな」
ローランドを招き入れた部屋は、はじめて彼を抱いた部屋が隣にある応接間だった。自身の性欲は二の次で、錯乱するであろうローランドを宥めるために、声の漏れにくい部屋に通した。
「アーサー卿は、僕を欲しくはないのですか?」
目の前にいるローランドは悲観するどころか、口を半開きにしたまま、煽るような表情を浮かべる。
「欲しくないと言えば、嘘になるが――」
「だったら、この場で抱きしめてください」
「ちょっと待ってくれ。その前に大事な話がしたい」
じっと見つめるローランドの視線を振りきるように踵を返し、そのまま窓辺に進む。この場をうまくやり過ごす算段をしながら、ため息をついて外を眺めると、見覚えのある顔が食い入るように、屋敷を見上げていた。
「……男爵、君を抱くのは中止だ。執事殿が外で待っているじゃないか」
「いつものように、待たせておけばいいです。問題ありません」
「君も知っているだろう。執事殿は俺に対して、手厳しいことを言うって。この間だって、うちのに酷い言葉を吐き捨てたそうじゃないか」
「うちのが……なんて、大切にしていらっしゃるのですね」
「もちろん、男爵のことも大事に想っているよ」
咎めるような厳しい目つきで鋭く睨むローランドに、伯爵は慌てふためいて、取ってつけたような言の葉を口にした。
「僕は片田舎の男爵で、貴方の子を宿すことのできない、ただの男ですから、軽んじられるのは当然のこと」
「軽んじてなどいない! 信じてくれ」
「子爵夫人が怖くて、僕を抱けないくせに……」
徐々に弱々しくなっていくセリフを聞き、伯爵は首を大きく横に振った。
「いや、まさか。そんなのありえない」
否定の言葉を耳にするなり、ローランドはふわっと微笑む。その笑みは傍から見たら、してやったりな感じに見えるものだった。
「だったら隣の部屋で、僕を抱いてください。できますよね?」
「そ、それは――」
たたみかけるローランドの口撃で、伯爵は簡単に追い込まれてしまった。その場で考えていた自分の戦略を披露する前に、なにも言い出せないまま為す術もない。
伯爵が口をぱくぱくして、言葉を必死に探していると、ローランドの追撃がなされた。
「貴方に逢えなかった間、僕の性欲の処理をベニーにしてもらいました」
「なんだって?」
思ってもいなかった展開に伯爵の顔色が、がらっと変わった。猜疑深い表情を目の当たりにしているというのに、自分の言うことは絶対正しいという自信に満ちた口調で、ローランドは語りかける
「だって彼は、僕の執事ですから。主人が困っている姿を見て手伝わない執事が、どこにいるのでしょう」
「男爵、君が執事殿に、そんなことをさせるとは思えない。冗談だろう?」
「冗談ではありません。本当のことです」
自分を深く愛するローランドが、そんなことをするとは思えなかった伯爵は、話の流れを変えるべく腰に手を当てながら、あえて威圧的な態度をとった。このまま話の主導権を奪い返そうと、口調にアクセントをつける。
「なにを言い出すかと思ったら、まったく! 俺を妬かせたくて、作り話をしているに決まってる。君が俺以外の男を受け入れるなんて、するわけがない」
「僕だって男なんです。アーサー卿に暴かれた性欲が、泉の水のように溢れ出し、この躰をおかしくするのです。ですから貴方と同じように、他の人を相手にしただけなんですよ」
「そんなことを言われても――」
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