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ugly
教室の隅で笑いが起こった。なんだと思って見てみたら、男子が背中を蹴飛ばされていて、その勢いで壁にぶつけたのか、顔を押さえてしゃがみこんでいた。取り囲んでいた生徒たちは、げらげら笑いながら集団になってどこかへ行ってしまった。
壁際に座り込んでいたそいつは、血が出ていないことを確認して、蹴り飛ばされた時に落ちたハンカチを拾って、席へ戻って行った。
そういうことは、これまでにも度々あった。
宿題を代わりにやれと言われてたこともあったし、同じ授業を受けているのに、教科書忘れたから貸せなどと言われていたこともあった。それがバレて先生に叱られても、そいつは何もしなかった。
小柄で、色が白くて、痩せていて、からかいやすそうな体格だった。
そんなあいつが、ある時顔に、大きな痣を作って来た。少しすると今度は手の甲に、何回も切りつけられたような痕ができていた。
日に日に怪我は増えていき、肩を揺らしながら片足をかばって歩いていた日、ついに俺はそいつに何があったのかを尋ねた。
すこし絡まれた、とそんなふうに答えた。
俺は信じなかったが、あいつ自身がそれ以上答えたそうにしなかった。
本当のことを突き止めようとあいつの下校を尾行して、スナック街のある建物に入ろうとしたところを引き止めて、喫茶店へ連れ込んだ。それでもあいつは何も教えてくれることはなく、それどころか俺に、当事者気取って関わるなと指摘した。情けないことに俺は悔しくなって、そいつと話していた喫茶店から出てしまった。そのあと、再び建物に戻っていくそいつをの後をつけて、出てくるのを待った。
出て来たあいつは、やっぱり傷が増えていた。
次こそ、と意気込んでそいつを捕まえて俺の家に呼び、怪我の手当てをして、俺はあいつの近くにいることを伝えた。
あいつは、そのことを拒むことをしなかった。
毎朝迎えに行って、足を引きずるそいつに歩調を合わせた。道中、向こうから話しかけてくることは全くなく、俺が話を振っては短く答えられるだけのやり取りだった。
それでもよかった。
沈黙でも、気まずくても、一人にさせるよりいいと思える。
ある朝、道路の隅で毛づくろいしている野良猫がいた。「猫がいる」と俺が指を指すと、そいつも猫を見た。
「ほんとうだ」
「太ってるな」
「うん」
「お前、猫好き?」
「そんなに」
「犬派?」
「違うと思う」
こいつに犬派も猫派もなさそうだなと思った。
「動物、何が好きなんだ」
俺が尋ねたら、あいつはしばらく黙ってそれから
「わからない」
そう言った。
空を飛んでいて自由だから鳥が好き、強いからライオンが好き、そういう答えを勝手に想像していた俺は、また恥ずかしくなる。
「お前、なんでも好きなこと、ないの?」
質問を変えてみた。何か一つでも、俺はお前のことが知りたい。
「あんまりない」
案の定の答えだった。俺は苦笑いする。
「お前面白いな、またいろいろ教えてよ」
肩をポンと軽く叩いた時、そいつが急に、弾かれたように驚いた。触られたことにびっくりしたのかわからない。
とっさに謝ったけど、あいつは何も言わなかった。
心の遠さのようなものが、俺にようやく見えてくる。
警戒されている。
あいつを蹴り飛ばしたやつらと、同じように思われていることに、俺は気づいた。
帰りもあいつを待った。
あの建物に寄らせないようにするためだった。違う道を通ろうと提案して、少し遠回りになるけど、明るくて広い道を通った。
「朝は驚かせてしまってごめん」
俺が謝ると、あいつは頷いた。
通りがかりに殴られて、ごめんごめんと笑われた時も、こんなふうに頷く。
「お前を傷つけるつもりは、なかった」
今更、言い訳がましかった。
気がまぎれるような話題が欲しくて
「お前家で晩御飯食べるんだろ?」
飯ネタならいいだろうと、話を変えた。
「うん」
「どんな感じなの?兄弟とか、一人っ子?」
「姉がいる」
「じゃあ四人家族?」
「うん」
「羨ましいな、俺一人っ子だからさ、晩御飯とか両親と3人で、毎回成績のことで文句つけられて、こういう時兄弟いたらなって思うんだよな」
「そっか」
「四人もいたら賑やかだろ」
答えがなかった。俺はまた、ひやっとする。聞いちゃいけない話題だったか。
「賑やかだと思う。週末の予定とか、家族で遊びに行こうとか、話してると思う、四人で、楽しく」
俺がほっとしかけた時、
「でも僕の家は、そんなこと、ない」
冷たい包丁で刺された気分になった。
それ以上、口がきけなかった。
そいつを家に送ったあと、俺は自身をめちゃくちゃに殴りたかった。
俺の言葉が嫌味に聞こえたかもしれない。俺はあいつを傷つけてばかりだ。
考えれば考えるほど、苦しくなった。
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