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事情聴取

「――……昨日の夜のこと、です」 木製のローテーブルを囲うように、私と美和、向かいに紗月くんが座し、彼の膝を枕にして、兄貴は泣き疲れからかすよすよぴーと眠っていた。 地獄絵図に描かれた鬼を思わせる人相の悪さは、心が赤ん坊になっているから、少しマイルドに……なっているような、なっていないような。まぁ、不細工な寝顔には変わりない。泣き腫らしたせいで、上まぶたがぱんぱんに張っているのが、これまた不細工だった。 「カズくんに催眠術をかけて、赤ちゃんにしました」 「……うーーーーーん?」 私は口元をひくつかせ、腕を組んだ。私のスーパーでウルトラでハイパーな脳を以ってしても、紗月くんの懺悔内容が理解できない。というか、したくない。いったい何なんだ、催眠術って。企画モノのAVか? そうなのか? ん??? 「へー、最近の催眠術ってすごいねぇ」 大混乱の私とは対照的に、美和は純粋な子どものように目をキラキラさせている。「催眠術のかけ方って、どうやって勉強したのー?」 「……クークル先生が教えてくれたんだ」 なるほど。オッケー、クークル……なんてことをしてくれた。というか、そんなことまで調べられるのか、クークル先生。クークル先生がクークル先生たる所以が分かったところで、私は訊ねる。 「なんで、兄貴を赤ちゃんにしたの?」 「……それは」 紗月くんは悔いるような表情で目を伏せ、兄貴の黒髪を梳きながら、ぽそりぽそりと白状し始める。 「最近、カズくん仕事がすごく忙しそうで……家に帰ってくるのは遅いし、イライラしてることが多くて、辛そうで……だけど絶対に弱音は吐かない人だから、甘えていいんだよって言っても突っぱねられちゃって……」 憂いを帯びた目がうるうると潤みだす。 「だから、カズくんが素直になれるようにと思って……ほら、赤ん坊の頃ってみんな、自分にも他人にも素直でしょ? だから、疲れとか悩みとかつらさとか、全部全部出し切って元気になってもらえればって思ったんだけど……ごめん、ごめんね、カズくん……!」 次第に涙声になり、ついにはぽろぽろと涙を流し始めた。紗月くんは、半目で汚いいびきをかいている兄貴の顔を両腕で包みながら、「ごめんね、ごめんね……」と繰り返す。……なんと、健気なのだろう。と、感動するわけもなく、私は天を仰ぎ、額を手で覆った。なんてことをしてくれたんだ、とおよそ自分には理解できない思考を持つ紗月くんに、呆れた。 「紗月くん、相変わらず優しいねぇ」 そんな状況でも、美和はのほほんとしていた。ふたりの様子を微笑ましく見つめ、うんうんと頷く。……おいおい、可愛いじゃないか。天使か? いや、聖母だな。 私は咳払いをひとつした。 「それで、催眠術にかけたはいいが、解き方が分からなくて、にっちもさっちもいかなくなったと?」 「……その通りです」 涙で濡れた顔をゆっくりと上げ、紗月くんはぐずぐずと首肯した。 「だから、私たちの知恵を貸してほしいと?」 紗月くんの頭が弱々しく縦に振れる。まるで耳を垂らしたうさぎのようだった。 「簡単なことじゃない?」 「え?」 「えっ、千景ちゃん、解決できるのー?」 赤い目を丸くした紗月くんと、おっとりとした表情の美和に見つめられる。期待に満ちた眼差しに、私はクールにビューティーに微笑んだ。 「寝ぼけてんなら、拳で分からせるまでよ」 「ちょっ……それは駄目ーッ!」 私が指を鳴らしたと同時に、華奢な身体からは想像もできない声量で紗月くんが悲鳴をあげた。空気がビリビリと揺れる。これには流石の美和もびっくりした。 「わわわっ、耳がキンキンするぅ」 「さ、紗月くん……!?」 紗月くんは顔をぐしゃぐしゃに歪めると、あの大絶叫を物ともせず爆睡し続ける兄貴の身体を胸に抱き、ふるふると首を振った。 「殴るなんて、カズくんが可哀想だよ!」 「はあああああああ!?」 紗月くんの甘ったれた言葉に血がのぼる。テーブルを荒々しく叩いて立ち上がった私は、烈火のごとく暴言を吐き散らす。 「可哀想!? なぁに言ってんだ! モンペか! モンペなのか!? 教育委員会にめちゃくちゃ言って困らせるペアレントですかぁっ!?」 「ひっ……」 「まぁまぁ、千景ちゃん。落ち着いて」 美和が私の手を握り、穏やかな声で宥めてくる。「千景ちゃんが殴ったら、和仁くんの顔が吹き飛んじゃうよぉ」 「吹き飛ばしゃあいいのよ! そしたら嫌でも我に返るわ。ええ、きっと、そうよ!」 怒りがおさまらない私を、美和は「まぁまぁ」と鎮めようとする。レディース時代は美和も相当気性が激しかったが、成人し、ハッカーとして大成した今では、温柔敦厚としたものだ。見習うべきなのだろうが、私には到底無理な話だ。 紗月くんは蛇に睨まれた蛙のように固まりながらも、腕のなかの兄貴を宝物のように抱きしめている。何があっても、この人だけは守る。そんな確固たる意志を全身に漂わせていた。 ……が、兄貴は誰かに守ってもらわないと生きていけないような、弱い男ではない。それが骨抜きにされている恋人なら、尚更だ。

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