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第七話

 龍哉に連れられて、柚斗は卓巳が暮らしているのだという建物までやって来た。  造りは先ほどまで女性と居た建物とよく似ていて、二階建てでどちらの階にも扉がいくつも並んでいたが、こちらの建物はまだ新しいのか、随分と小綺麗だった。  車から降ろされた柚斗は、龍哉に支えてもらいながら、力の入らない足を引き摺るようにして何とか階段を上がる。  女性に渡された抑制剤を飲んだ直後は、身体の火照りも少し治まっていたのに、龍哉と二人きりになってからは全身がまたじわじわと熱を帯び始めていた。 「………ッ」  蔵に父がやって来たときのように、身体が勝手に龍哉を求めてしまいそうで、堪えるように柚斗は必死に唇を噛む。それに気付いた龍哉が、困ったように小さく息を吐いた。 「ごめん、僕が傍に居ると辛いよね」 「……いえ……龍哉さん、助けに来てくれたのに……自分の身体が、どうなってるのか、わからなくて……」 「Ωの発情は特にαを強く誘うから、αの僕と居ると、本能的に君の身体が反応するんだよ」  ということは、同じように柚斗が反応してしまった父もまた、αなのだろうか。 「……卓巳さんも、α……なんですか?」  階段を上がってすぐの扉の前で足を止めた龍哉が、「……いや」と少し眉を顰めながらガチャリと鍵を開けた。 「────兄さんはβだよ」  扉を引き開けながら、龍哉は苦い表情で呟く。その顔はまるで、卓巳がβであることを認めたくないという風に、柚斗の目には映った。  αだとか、βだとか、Ωだとか、柚斗には第二の性がどんな意味を持つのかわからない。  柚斗を助けてくれた女性も、柚斗がΩだとわかったとき、何故か謝っていたけれど、βやΩだと何かいけないのだろうか。そんなことを考える柚斗の背後で、静かに扉が閉まる。  まだ卓巳が帰ってきていない、シン…と静まり返った部屋の明かりを龍哉が点けると、コップや食器が置きっぱなしのテーブルと、椅子の背凭れに適当に引っ掛けられた衣服がまず目に留まった。よく見ると、床にもタオルやTシャツが畳まれていない状態で放置されている。  柚斗の知らない卓巳の姿が、垣間見えた気がした。 「あーあ、たった数日でもう散らかってる」  室内を軽く見渡して龍哉が呆れた声を上げたが、柚斗は室内に踏み込むことを思わず躊躇った。足を止めた柚斗の顔を、龍哉が「どうしたの」と心配そうに覗き込んでくる。 「……俺、本当にここへ来て、良かったんですか……?」 「良かったも何も……兄さんから直々に頼まれてるんだよ?」 「でも……俺に関わった人は、みんな、苦しそうです……。俺が、Ωだから……?」  身体の火照りに息を切らせながら問い掛ける柚斗に、「苦しそうなのは君だよ」と苦笑して、龍哉が柚斗の身体を担ぐようにしながら、部屋の奥にある扉を開け、ベッドのある部屋まで運んでくれた。勝手に使って良いのかと思うより先に、部屋の中央に置かれたベッドへ半ば強引に横たえられる。  ボフッ、と柚斗の身体がベッドに沈んだ瞬間、微かに卓巳の匂いがして、柚斗は無意識に熱い息を零した。  そんな柚斗の頭に一瞬手を伸ばしかけた龍哉が、苦笑交じりにその手をそっと引っ込めた。 「君が触れられたいのは、僕じゃないよね。……でもこれだけは覚えておいて。君がΩに生まれたことは、何も悪いことじゃないよ。だから、そんなに自分を責める必要なんかない」  言いながら、龍哉がこの部屋の床にも散らばっている衣服や雑誌を、一つ一つ拾い上げていく。 「この通り、兄さんは放っておくとすぐに部屋を散らかすし、君に出会うまでは、しょっちゅう夜遅く────酷いときは朝まで遊び歩いてるような人だったんだ。だけど偶然君に出会ってからは、僕が何度注意しても止めなかった夜遊びも一切しなくなって、本当に毎日毎日、君のことばかり考えてた。あんなにも何かに必死になってる兄さんは、それこそ僕も初めて見たくらい」  部屋を片付ける龍哉の口から、知らなかった卓巳の素顔が語られて、柚斗は黙って耳を傾ける。  世間どころか、自分自身のことすらろくに知らない柚斗と違って、卓巳は何でも出来て何でも知っている、ヒーローみたいな人だと思っていた。けれど実際はそんなことはなく、むしろ柚斗よりも片付けが下手だったりすることを知って、少しだけ卓巳に近付けたような気がする。  それに何より、卓巳に出会って以来、柚斗がずっと卓巳のことを想い続けていたように、卓巳もまた柚斗を想ってくれていたことに、嬉しさで胸が詰まった。  一通り床に散らばった物を掻き集めた龍哉が、それらを抱えたまま、ゆっくりと柚斗を振り返る。 「……だから兄さんも僕も、君が居てくれて良かったって、思ってるんだよ」  柚斗に向けられる龍哉の笑顔が、初めて柚斗の頬に触れてくれた卓巳の笑顔と重なる。無性に卓巳のことが恋しくなって、会いたくて、柚斗は涙が溢れそうになる目元を咄嗟に腕で覆った。  そんな柚斗の心中を察したように、龍哉が困ったように苦笑する。 「さっき兄さんから、『今から帰る』って僕の携帯にメッセージが来てたから、多分じきに帰ってくると思う。僕が同じ部屋に居ると辛いだろうし、正直僕にとっても君の『匂い』は結構キツイから、兄さんが帰るまで向こうのダイニングに居るよ。何かあったら声掛けて。……君の携帯は、ここに置いておくね」  柚斗の携帯を枕元に置いて、龍哉は少し苦しげな息を零しながら、静かに部屋を出て行った。  卓巳も龍哉も、柚斗を助けてくれた女性も、柚斗は悪くないと言ってくれたけれど、それならどうして皆、柚斗の前で苦しそうな顔をするのだろう。もしも柚斗がΩではなかったら、何か違っていたのだろうか。  出るはずのない答えを、上手く働かない頭で探し求めていると、不意に扉の向こうからバタンと大きな音がして、続けざまに慌てた様子の卓巳の声がした。  漸く会える、と思った途端、柚斗の全身がドクドクと脈打ち始める。何やら龍哉と遣り取りしているようだったけれど、煩い動悸が鼓膜まで突き破りそうな勢いで響いていて、よく聞き取れない。  早く……早く……!、と柚斗の本能が卓巳を求める。 「柚斗!!」  心の声に応えるように部屋へと飛び込んできた卓巳が、ベッドに横たわる柚斗を見るなり、力強く抱き締めてくれた。  ずっと求めていた温もりに、柚斗の心と身体から、堪えていた悦びが一気に溢れ出す。  もう関わらない、関わってはいけないと、あれだけ自分に言い聞かせていたのに、欲求が抑えきれずに卓巳の背に腕を伸ばしてしまう。 「ごめん、なさい……ごめんなさい……ッ」  何度も謝罪を繰り返しながらも、卓巳に縋りつかずに居られない柚斗の唇が、不意に何かに塞がれた。それが卓巳の唇だと気付いたのは、何秒か経ってから。そしてその行為がキスだとわかったときには、卓巳の舌が柚斗の咥内に滑り込んでいた。 「ん……っ」  舌を絡め取られただけで、頭からつま先へ電気が走ったみたいに、ビリビリと痺れるような感覚が全身を駆け抜ける。柚斗の意思が働くよりも先に、勝手に反応してしまう自身の身体の変化が怖い。 「……っ、俺の身体、どうなってるん、ですか……?」  やっと解放された唇で酸素を求めながら、不安に揺れる瞳で卓巳を見上げる。その間にも、柚斗の身体は更なる刺激を卓巳に求めて、浅ましく震えていた。 「お前がおかしくなったワケじゃねぇよ。Ωなら、発情期が来たら誰でも必ずこうなる」 「……怖くて仕方ないのに、卓巳さんにもっと……もっと触って欲しいって、思ってしまうんです……っ」  悲痛な声で訴える柚斗の両手が、卓巳の手によって強くシーツに縫い留められる。真上から柚斗を見下ろす卓巳の顔は、初めて見る大人の雄の顔をしていた。  ゾク…、と恐怖とは違う何かが、柚斗の背を這い上がる。 「柚斗。今から俺は、お前にとって初めてのこと、いっぱいする。怖い思いも、苦しい思いもさせるかも知れねぇ」 「卓巳さん……」 「……それでも俺のこと、信じてくれるか?」  この先一体何をされるのか。自分の身体がどうなるのか。柚斗には全く想像も出来なかったけれど、卓巳になら、何をされてもいいと思えた。むしろ柚斗の身体が、そうされることを望んでいる。 「はい」と涙声で頷いた柚斗の唇に、再び卓巳のそれが深く重なった。  そこから先はもう、何かを考えるような余裕なんてまるで無かった。  あっという間に服を脱がされ、卓巳の大きな手が柚斗の素肌の上を滑っていく。その度に次から次へと柚斗の内側から溢れて来る熱い液体が下肢を濡らしていたが、それが自身の体液だと認識することすら、この時の柚斗には出来なかった。  零れる雫を掬いながら、卓巳の指が柚斗の性器に絡む。 「あっ、ゃ……!」  そもそも卓巳以外の人からまともに触れられた記憶がない柚斗にとって、信じられない場所にまで卓巳が躊躇いなく触れてくることに衝撃を受ける反面、身体は素直すぎるくらいに反応して勝手に声が漏れた。 「────ッ!」  軽く扱かれただけで、呆気なく達した柚斗の先端から吐き出された白い欲が、パタパタと裸の胸や腹に散る。自分の身体に何が起きたのかわからないのに、頭の芯がジンジン痺れて思考もどろりと溶け出していく。  卓巳の手の動きに合わせて柚斗の唇から零れる声が、自分自身のものとは思えない。思い通りにならない身体を持て余して涙を流す柚斗の目尻に、「大丈夫だ」と卓巳が何度も口付けてくれる。  止めどなく溢れてくる体液ですっかり濡れそぼった柚斗の後孔へ、不意に熱い何かが触れた。 「ゃ……、何……ッ!?」  事前に卓巳から念押しされていたとはいえ、未知の行為への不安に、上擦った声が出る。なのにそんな柚斗の胸中とは裏腹に、身体は確かに卓巳を欲していて、体内から新たに体液がじわりと溢れてくるのがわかった。  不安と欲望の合間で震える柚斗の耳許に、卓巳の顔が近付く。 「……柚斗、ゆっくり息吐け」  耳許に卓巳の熱い吐息を感じて、柚斗の背がゾクリと震えた。涙の滲んだ目でぼんやりと見上げた卓巳の双眸も、確かな熱を帯びていて、柚斗は言われるまま息を吐く。その呼吸に合わせるようにして、柚斗の中に、硬い熱塊が挿り込んできた。  生まれて初めて身体を暴かれる衝撃に、柚斗の背が大きく仰け反る。 「あぁッ…────!」  悲鳴を上げる柚斗の腰を捕らえて、短く息を詰めた卓巳がグッと強く引き寄せた。最奥を突かれた刺激で再び達した柚斗は、自身を貫いているのが卓巳の熱だということも、すぐにはわからなかった。  待ち侘びた熱を受け入れて、柚斗の身体が歓喜に慄く。狭い体内を内側から押し拡げられているのに、痛みや苦しさは全く感じず、それどころかもっと、と強請るようにビクビクと腰が跳ねた。  卓巳と繋がった箇所から、身体中が甘く蕩けていくような感じがする。 (……気持ちいい……)  快感、なんて柚斗は知らなかったけれど、柚斗のΩとしての本能が、全身でそう叫んでいた。  何度絶頂を迎えても、卓巳に突き上げられる度に、芯を持ったままの柚斗自身から雫が溢れて止まらない。 「────…っ、あ、あっ……! も、やだ……ッ、こわい……!」  訴えた傍からまたすぐに達してしまい、本当にこのまま、全身が溶けて無くなってしまいそうだった。「助けて」と譫言のように繰り返す柚斗の細い腕を、卓巳が自分の背中へ導く。 「……しがみついてろ」  柚斗の身体を揺さぶる卓巳に促されるまま、柚斗はその背中へ縋りついて啼き声を上げる。そんな柚斗の耳に、「ごめんな……」と苦しげな呟きが届いた。  何が…?、と朦朧とした頭で目の前の顔を見ると、歯痒さを噛み締めるように、卓巳が切なげに眉を寄せていた。  柚斗が苦しい思いをするかも知れないと案じてくれていた卓巳の方が、苦しそうな顔をしているのは何故なんだろう。 「卓巳、さん……?」 「俺がβじゃなくαだったら、いっそお前と番って、ラクにしてやれるのにな……」  番、とはαとΩの間でのみ結ぶことが出来る契約。その強い繋がりは、一度結べばどちらかが死ぬまで決して解くことが出来ないと、確か本に書いてあったっけ……と柚斗はぐずぐずの思考で必死に思い出す。  そう言えば龍哉も、卓巳がβであることを告げたとき、複雑そうな顔をしていたけれど、そもそも番うことでどうなるのかもよく知らない柚斗には、卓巳がαでもβでもΩでも、何だって構わなかった。  卓巳に触れて貰えるなら、それだけでいい。こんな風に自分を蕩けさせるのは、卓巳でなければ嫌だった。  ずっと何かを欲して疼いていた柚斗の身体が、今は卓巳で満たされて、悦びに悲鳴を上げている。なのに、そんな柚斗を揺さぶる卓巳は、ずっと苦しそうにも哀しそうにも見える表情で、柚斗を見下ろしている。  ……卓巳にこんな顔をさせることが、本当に正しいことなんだろうか。柚斗が気持ちよくても、卓巳が苦しいならそんなのは間違っている。 「柚斗……ッ」  歯を食いしばりながら柚斗の名を呼んだ卓巳が短く息を詰め、柚斗の身体の深いところに、熱い何かが叩きつけられるのがわかった。その刺激に一際大きく背を震わせた柚斗の先端から精が散り、同時に眦から一筋、静かに涙が零れ落ちた。  柚斗に覆い被さるようにしてベッドに沈んだ卓巳が、浅い呼吸を繰り返す柚斗の髪をそっと撫でつけながら口を開く。 「……柚斗。お前、もう東條の家には戻るな」 「トウジョウ……?」 「お前の育った家だ。……つっても、あんな蔵に閉じ込められてたんだから、あの家で育ったって言うのもおかしい気がするけどな。けど此処なら、もうお前を蔵に閉じ込める人間も居ない。例え東條の連中に見つかったとしても、自由さえあればいくらでも逃げ場はある」  卓巳の話からすると、ずっと知らなかった柚斗の姓は『東條』というのだろうか。でもそれを知っても、今更特にこれといった感情は湧かなかった。  柚斗を見てはいつも怒鳴り散らしていた女性。そして、幼い頃に柚斗を蔵に押し込めた末、漸く柚斗の前に現れたかと思えば、知らない誰かの名前を呼び続けていた父。とてもあの場所に、柚斗の居場所があるとは思えない。  次にあそこへ戻ったら自分はどうなってしまうのか、それを考えると怖かったし、戻りたくない。卓巳が言ってくれたように、このまま卓巳の傍に居たい。  けれど…────  それからどのくらい時間が経っただろう。  柚斗を腕に抱いたまま、傍らで卓巳は静かな寝息を立てている。  あれから柚斗の身体を綺麗に拭いてくれた後、ベッドで暫く柚斗を抱き締めてくれていた卓巳は、そのまま眠りに就いてしまった。卓巳のお陰なのか、柚斗の身体の火照りも、今は殆ど気にならないくらいに治まっている。  今日も、仕事をしてからすぐに柚斗の元へ駆けつけてくれたらしい卓巳。  これまでもずっと、柚斗が毎日本を読んだり絵を描いたり、蔵で好き勝手に過ごしている中、卓巳は仕事をしながら柚斗の為に奔走してくれていたのだろうかと思うと、嬉しいような申し訳ないような気持ちで胸が締めつけられる。  卓巳は何度も、柚斗に外の世界を見せてやりたいと言ってくれていた。実際、ずっと蔵の中で一人きりだった柚斗の隣に、今は卓巳が居る。  勢いだけで外に飛び出した柚斗を救ってくれた携帯電話に、卓巳の匂いがする柔らかいベッド。そして柚斗を抱き締めてくれる、力強くて温かい腕────蔵の中では絶対に得られなかったものを、卓巳は沢山与えてくれた。蔵の外へ出られたら、そんな幸せだけに満たされる世界が待っているのだろうと、柚斗は単純に夢見ていた。  けれど、何もわからなかった柚斗自身のことが少しずつわかってくるにつれ、本当にこれで良かったのだろうかという思いが、柚斗の胸をじわじわと侵食し始めていた。  卓巳は傍に居ろと言ってくれたし、龍哉だって、柚斗が居て良かったと言ってくれた。だが、もしも父が追ってくるようなことがあれば、例え一緒に逃げたとしても、それでは柚斗が卓巳の自由を奪ってしまうことになる。  それに何より、柚斗が発情期を迎えたことで、状況は一変した。  幼い頃に会ったきりの父は、柚斗を見ているようで違う誰かへ思いを馳せていたし、柚斗を助けてくれた見知らぬ女性も、何故か終始辛そうな顔をしていた。柚斗を迎えに来てくれた龍哉はあの女性を知っているようだったけれど、卓巳も龍哉も、発情している柚斗の前ではやっぱりどこか苦しそうだった。  発情期さえ来なかったら。  柚斗がΩではなかったなら。  父も、親切な女性も、龍哉も、そして卓巳も……皆、変わらずに済んだのだろうか。もしかしたら柚斗がずっと蔵に入れられていたのも、柚斗がΩだったことが関係しているんだろうか。  柚斗が安易に自分のことが知りたいなんて言ってしまったから、卓巳や龍哉を巻き込んでしまった。  柚斗が発情したから、父は柚斗の知っている父ではなくなってしまった。  柚斗を助けたから、優しい女性に辛い思いをさせてしまった。 (……俺が、居るから……)  目の前にある卓巳の穏やかな寝顔を見詰めていると、また涙が出そうになって、柚斗はギュッとシーツを握り込んだ。  卓巳を苦しめてまで自由になりたいなんて、柚斗には思えない。卓巳には、初めて柚斗の顔を見て笑ってくれたあの日のように、ずっと笑顔で居て欲しい。  初めての発情期に、初めての行為。それらは確かに怖くも不安でもあったけれど、それを卓巳と乗り越えられただけでも、充分過ぎるほど幸せだった。もしも卓巳に出会えていなかったら、想う相手と身体を重ねる幸せさえ、柚斗は味わうことが出来なかっただろう。 『一番大事なものは、絶対に手放してはダメよ。……でなければきっと、貴方はこの先一生、後悔することになるわ』  女性に言われた言葉が、柚斗の脳裏に蘇る。  出来るなら、柚斗だってこのまま卓巳の腕に抱かれていたい。離れずに済むならそうしたい。……でも、それが卓巳を苦しめることになるのなら、柚斗はきっと、その方が何倍も後悔する。 (……卓巳さん、ごめんなさい)  起こさないよう、胸の中だけで呟いて、柚斗はそっと卓巳の腕から抜け出した。出来るだけ物音を立てないように、柚斗は床に落とされた服に素早く袖を通す。  もう一度卓巳と触れ合ってしまったら、きっと柚斗は、二度と引き返せなくなる。卓巳の手を、放せなくなる。  ……だから、今ならまだ戻れる。  目を覚ます気配のない卓巳を振り返って、柚斗は必死に寂しい気持ちを胸の奧へと押し込める。 (こういうの、何て言うんだっけ……)  過去に読んだ本の記憶を手繰り寄せ、ああそうだ、と柚斗はある言葉に思い至った。  確か、『後ろ髪を引かれる』と言うんだった。  ────だったら、引かれる髪が無ければいい。  壁際のデスクに置かれたペン立てのハサミが目に留まり、柚斗はそれを引き抜くと、大きく刃先を開く。もう何年も切っていない髪を、卓巳への想いと共に項でバッサリと切り落とした柚斗は、携帯を枕元に残したまま、静かに部屋を抜け出した。  卓巳の部屋を出て来た柚斗は、行く当てもなく、ただ目についた路地を裸足のままフラフラと歩き続けた。  そもそも龍哉の車で連れて来て貰ったので、元居た蔵に帰ろうにも、その術が全くわからない。  初めて歩く夜の街は、とにかく人の姿と眩しい光に溢れていた。もしも卓巳と一緒なら、その全てが眩しく輝いて見えただろうが、今の柚斗には手の届かない遠い世界のものに思えた。目の前にあるのに触れられない、本の中の世界みたいだ。  一人で彷徨い歩く柚斗を、すれ違い様、不思議そうに振り返る人も居たけれど、大半の人は柚斗になんて目もくれず、楽しそうな笑い声を上げて通り過ぎていく。  ずっと憧れていた外の世界は、一人で歩くには随分と寂しくて……心細い。  虚ろな顔で歩いていた柚斗の肩が、不意に誰かに掴まれた。  まさか卓巳か、それとも父か────ギクリと身を強張らせて振り向いた先に立っていたのは、ガッシリとした体格の知らない男性だった。 「君、ちょっといいかな」  柚斗の顔を覗き込むようにして声を掛けてくるその男性の服装は、どこかで見覚えがある。  全身が青系に統一された男性の服の胸元に書かれた『警視庁』という文字を見て、幼い頃に読んだ絵本に出てきた『おまわりさん』の姿が、真っ先に頭に浮かんだ。『警察官』とも言うんだったか……。  無言のまま、ジッとその姿を見詰める柚斗を見下ろして、警官は訝しむように首を捻る。 「君、未成年だよね? Ωの子供が、こんな時間に一人で何してるのかな」 「……Ωは、一人で外に居ちゃいけないんですか……?」  柚斗は単純に警官の質問の意味がわからなかっただけなのだが、警官は柚斗の返答に太い眉を顰めた。 「例えαでもβでも、こんな時間に子供が一人で出歩いてちゃ駄目でしょ。この辺りは飲み屋も多いから、Ωの君は特に、酔っ払いに絡まれでもしたら厄介だよ」 「……やっぱり、Ωは厄介なんだ」  外の世界にもお前の居場所はないのだと言われたような気がして、柚斗は裸足の足元へ視線を落とす。そんな柚斗を見た警官が「変わった子だなあ」と困った様子で項を掻いた。 「君、住所は? この近くに住んでるの?」 「住所……って、住んでる場所のこと、ですか? だったら、蔵です」 「蔵……?」  今度は警官の方が、意味がわからないと言いたげに首を傾げる。 「市区町村とか、番地とか、そういう意味で聞いてるんだよ」  「……ごめんなさい、わかりません」 「わからない? おいおい……もしかして、家無いの?」 「いえ、そうじゃなくて────」 「だったらその歳なら、自分の家の住所くらいわかるだろう」  柚斗は至極真面目に答えているのに、警官の口調には段々と苛立ちが滲み始めていた。  ……この人も、自分と関わると機嫌が悪くなるのかと、柚斗の胸がまたズンと重くなる。家の場所なんて、むしろ柚斗の方が教えて欲しいくらいだ。何せ柚斗の居場所は、あの蔵の中しかないのだから──── 「取り敢えず、ちょっとそこの交番まで来てくれる? 家の人に連絡するから」 「家の人……」  警官に腕を掴まれたところで、柚斗は卓巳から聞いた『東條』という名前を咄嗟に思い出した。 「あの……『東條』の家って、どこにありますか?」 「東條?」 「すごく大きな家で、広い庭のある……。そこが、俺の住んでる場所です」 「大きな家の東條って……ひょっとして、東條グループの家か? 本当に?」  確認の為に先ずは電話番号を教えてくれと警官から言われたが、そんなもの、柚斗が知っているはずもない。  結局柚斗の言葉からしか情報が得られなかった警官は、半信半疑といった様子ながら、心当たりがあるという家までパトカーで柚斗を送り届けてくれた。 「……ここが本当に君の家なのか?」  パトカーから降り立った場所は、正しく柚斗が昼間、雨の中飛び出してきた東條家の立派な門扉の前だった。  今度この門を潜れば、金輪際もう二度と外には出られないだろうという覚悟を決めて、柚斗は「間違いありません」と頷いた。  だが警官の方は、柚斗の身なりと、塀に囲まれた東條家の広い敷地を交互に見比べて、まだどこか信じられないというような顔をしている。 「一先ず、家の人を呼ぶよ」  溜息混じりに柚斗に確認して、警官が門扉の脇にある四角い機器のボタンを押した。インターホンを見たことがない柚斗は、これで家の中の人が呼べるのか、と妙なところで感心する。  もしも父が出てきたら、素直に謝ってどうにか蔵に戻らせて貰おうと思っていた柚斗だったが、生憎機器からは聞き覚えのある女性の声が返って来た。 『こんな時間にどちら様ですの?』  それは幼い頃、ほぼ怒鳴り声しか聞いたことのない女性の声だった。  ……しまった。あの人には、何て言い訳をしたら良いのかもわからない。  焦る柚斗を余所に、警官が機器に顔を寄せて申し訳なさそうな声を返す。 「夜分遅くにすみません。S警察署の者です」 『警察……?』  女性の声が、ピクリと一瞬強張るのがわかった。息を呑むような気配の後、『お待ちください』と声が返ってきて、一分ほどしてから、キツイ顔つきの女性が開いた門扉から姿を見せた。その目が柚斗の姿を捉えた瞬間、驚愕に見開かれる。蔵に居るはずの柚斗が何故こんなところに…、と言っているようだった。  柚斗もまた、過去の苦い思い出が蘇って、僅かに視線を背ける。  そんな二人のピリピリとした空気に割って入る形で、警官が乾いた笑いを零した。 「こんな時間に申し訳ない。実は先ほど、S区内の繁華街でこちらの少年が一人で歩いているのを保護したんですが、彼がこの家に住んでいると言っていたもので……」  警官の言葉を聞いて、女性がキッ、と強く柚斗を睨みつける。 「こんな薄汚いΩが、この家の子供なわけないでしょう!? 貴方、警官なのにそんなことも見てわからないの!?」  ……ああ、そうだ。こんな風に、幼い頃の自分も毎日怒鳴られていた。  耳を塞ぎたくなる柚斗の前で、警官も彼女の迫力に半分気圧されながらも「しかしですね」と食い下がる。 「確かに彼の言動はちょっとよくわからない部分もあるんですが、この家の外観に加えて、敷地内のことも知っているようでしたので、念の為に連れて来させて貰ったんですよ。家の住所も電話番号もわからないって言う割に、住んでいる場所はこの家だと、それだけはハッキリ言うもんですから」 「とにかく! うちはそんな汚いΩとは、一切関係────」  ない、と言いかけた女性の言葉が、不意にバタバタと門の奧から駆け寄ってくる若い女性の「ママ!」という悲痛な叫びによって遮られた。 「何なの千夏! 今取り込み中だから、部屋に戻ってなさい」  ……千夏、というのは誰だろう。その名前の響きに薄ら聞き覚えはあるような気がするけれど、ハッキリとは思い出せない。 「こっちも大変なのよ! パパが、灯油を持って庭に出て行ったの……!」  真っ青な顔で、「千夏」と呼ばれた女性が訴える。  庭、と聞いて、真っ先に嫌な予感を覚えた柚斗は、警官も女性たちも、皆を押し退ける形で門を潜り、急いで蔵へと向かった。背後で「おい、君!」「ちょっと待ちなさい!」と声がしたが、聞こえないフリをした。  庭を駆け抜け、林に飛び込んで蔵に近付くにつれ、鼻をつく嫌な匂いがして柚斗は思わず顔を顰めた。  木々の隙間から見えた蔵の扉は、開け放たれた状態になっている。  ────まさか。  そう思った次の瞬間、蔵の一階部分に、真っ赤な火が灯るのが外からでも見てとれた。  慌てて後ろから追ってきた女性二人も気付いた瞬間悲鳴を上げ、警官が「消防と救急を…!」と動揺した声で無線機に手を掛ける。  ……燃える。  今となってはたった一つの、柚斗の居場所が。  やっと再会出来た、父が。 「………っ!」  焦げ臭い匂いが流れ出てくる蔵の中へ、柚斗は躊躇いなく飛び込んだ。蔵の外から「戻りなさい!」と警官が叫んでいたが、柚斗は無視して一階部分の奧で炎に囲まれて立ち尽くす父に駆け寄った。 「お父さん……!」  しがみつくようにその腕を引っ張った柚斗を、父がゆっくりと振り返る。その右手には青いタンクが、そして左手にはライターが握られていた。  蔵にある推理小説に出て来た犯人が、今の父のようにガソリンとライターで館に火を放ったシーンを思い出す。この状況は、正にその場面と同じだった。 「何でこんなこと……早く出よう!」 「柚斗……随分、大きくなったな……」  出口に促す柚斗の手をさり気なく振りほどいて、父は疲れ切った顔で場違いな言葉を呟くと、柚斗の頭を一度だけ撫でた。今度はハッキリ柚斗の名前を呼んでくれたけれど、こんな状況で呼ばれたくなんかない。  父は一階の最奥に火を点けたようで、すでに蔵の一階部分を半分以上覆い尽くしている炎など気にも留めず、ゆっくりと二階へ上がっていく。既に充満し始めている煙に噎せながら、柚斗も必死でその後を追った。 「……そうか。こんなに、成長してたのか……」  二階に上がった父は、柚斗が暇潰しに柱に刻んでいた身長をそっと指で辿りながら、口元だけで微かに笑う。その直後、父は持っていたポリタンクから、恐らく先ほど千夏が言っていた灯油らしき液体を、床に撒き始めた。 「お父さん、止めて!!」  父にしがみつくようにしてその手からライターを奪い取り、柚斗は開いたままになっていた二階の窓からそれを投げ捨てた。 「何で、こんなことするの……」 「発情期も迎えてしまったお前を、これ以上隠しておけるわけがない。……もう、終わりにした方がいいんだよ。東條の家も、何もかも」 「終わりにする……?」  呆然と呟いた柚斗の背後で、不意にバキッと何かが崩れる音がした。短く息を呑んだ父に、強く腕を掴まれて引き寄せられる。何が起きたのかわからない柚斗の背後へ、階段の上にある梁が激しい音と共に落ちてきた。  間一髪で下敷きになるのを免れて青褪める柚斗の手を解き、父もホッと息を吐く。そんな父の行動に、柚斗は疑問を抱かずには居られなかった。  終わりにすると言いながら、どうして父は咄嗟に柚斗を助けてくれたのだろう。そもそも父は本当に、こんなことを望んでいるのだろうか。  崩れ落ちてきた梁によって、一階への退路は完全に断たれてしまった。そんな中、炎は徐々に階下から迫ってきている。 「終わりってどういうこと……」  一刻も早く逃げなければならないとわかっているのに、父も柚斗も、その場を動けなかった。  父は何かを諦めようとしているし、柚斗も唯一残されていた居場所を失おうとしている。  助けてくれた女性も、柚斗を卓巳の元まで連れて行ってくれた龍哉も、そして何より、決して離れたくなかった卓巳の温もりも、全てを捨てて戻ってきたのに、この蔵も無くなってしまったら、柚斗の居場所は一体どこにあると言うのだろう。  卓巳に出会うまで、何年も何年も、自分は大事に守られているのだと、そう信じて疑わなかった。だからこそ、ここにしかもう望みはないと思っていたのに、これでは柚斗の存在なんて、端から意味はなかったということじゃないのか──── 「……こんな形で終わるなら、俺は一体、何から守られてたの……?」  蔵の中に充満し始めている煙に加え、柚斗たちの元へどんどん迫ってくる炎のお陰で、全身が熱い。息を吸う度に咳が出て、上手く呼吸が出来なくて苦しい。  絶望感と虚しさで溢れ出した涙が、頬を伝ってポタリと床に滴っていく。 「柚斗……すまない。私にはお前を守ることも、東條の家を守ることも、出来なかった……」  父が、今にも消えてしまいそうな哀しい顔で笑う。その顔は、柚斗を助けてくれた女性を連想させた。  ……どうして皆、こんなにも苦しいんだろう。どうしてもっと、ただ笑って、幸せに過ごすことが出来ないのだろう。  決して言いたくなかった、考えたくもなかった言葉が、涙と一緒に零れ落ちた。 「……俺は、居ない方が良かったの……」 「そうじゃない……っ!」 「だったらどうして終わりにするんだよ!? ……東條の家なんか知らない。俺は自分が『柚斗』だってことしか知らない。何でΩなのかもわからない。────だからお父さんだって、ただの『お父さん』じゃ駄目なの!?」 「………っ」  柚斗が嗚咽混じりに捲し立てた言葉を受けて、父が一瞬何かを思い出したようにハッと目を瞠った。  蔵中を覆う煙が、段々濃くなってくる。既に階段は全焼しかかっていて、このままだと二階部分もいつまで持ち堪えられるかわからない。  ゴホゴホと何度も咳きこみながら、必死に服の袖で口元を覆って、柚斗はどうにか逃げ出す方法を考える。そこでふと、部屋の隅に束ねて置いたままの縄梯子が目に留まった。  幸い、蔵の裏側の窓に近い柱は、まだ炎の影響は受けていない。考えるより先に縄梯子を取りに走った柚斗は、一度で覚えた結び方で、手早く柱へ縄を固定する。 「柚斗、一体何を……」 「……もうこれ以上、誰かが苦しんでるのは見たくない」  卓巳が障害を取り払ってくれた窓から縄梯子を放り投げるように垂らして、柚斗は父に向き直った。 「俺、梯子を下りるの苦手だから、お父さんが先に行って手本見せて」 「柚斗……」 「早く!」  迫り来る炎や煙から逃げるように、柚斗は父の手首を掴んで強引に窓際へ引っ張った。 「……やっぱり、お前が先に行きなさい」  そっと柚斗の背中へ手を添える父に、「嫌だ」とキッパリ首を振る。  このまま柚斗が先に下りてしまったら、父は自分一人、この場に残ってしまうような気がした。 「……その芯の強さも、母親譲りだね」  懐かしむように目を細めた父が、ポツリと呟いてほんの少し微笑む。  え?、と問い返す柚斗には答えず、父は観念したように先に梯子を下り始めた。やはり柚斗と違って、父はあっという間に地上に着いてしまった。それを追う形で、柚斗も窓から後ろ向きに身を乗り出す。  梯子に両脚を掛けた瞬間、階段から昇ってきた炎が、二階の床に撒かれた灯油に引火して激しく燃え上がった。勢いよく燃え広がった炎は、柱に固定された縄へも燃え移る。  マズイ…!、と思ったその直後。ブツッと縄が焼け切れる音がして、支えを失った縄梯子が柚斗の身体ごと、ガクンと落下する。 「────っ!!」  もう駄目だ、と目を閉じた柚斗の身体は、地面に叩きつけられるかと思いきや、ドサッと何かの上に落下した。それなりに衝撃はあったものの、予想していたような痛みは一向に襲ってこない。  恐る恐る顔を目を開けると、まるでいつかの卓巳のように、父が柚斗の下敷きになる格好で地面に倒れ込んでいた。 「……っ、お父さん……!」  急いで柚斗は父の上から飛び退く。何処かを痛めたのか、地面に横たわったままの父が、顔を歪めながらも柚斗の顔を見て安堵したように笑みを浮かべた。 「柚斗……怪我、しなかったか」 「俺は大丈夫だけど、お父さんは……!? どこか痛むの!?」  怪我をしているかも知れないと思うと、迂闊に触れて良いものかもわからず、ただ狼狽えるしか出来ない柚斗を見上げて、父が苦笑する。 「私も、大丈夫だよ」  少し足が痛むくらいだ、と言った父の手が、不意に柚斗の顔へと伸びてくる。そのまま涙の跡が残る頬を一度だけそっと撫でて、父は僅かに目尻を下げた。 「……漸くちゃんと、お前を守れた」  父の呟きが、けたたましいサイレンの音に掻き消される。バタバタと騒々しい足音が次々に近付いてきて、あっという間に蔵の周囲が防火服を纏った消防隊員に取り囲まれた。 「こっちに二名居ます!」 「君、大丈夫か!?」  駆け寄って来た消防士の一人に抱え起こされて、柚斗は完全に炎に包まれた蔵から強引に引き離される。複数の隊員に囲まれて運ばれていく父との距離が遠くなる。  ……やっと、父の本音が聞けた気がしたのに。  まだまだ聞きたいこと、話したいことが山ほどあるのに。  初めて『お父さん』として、父が柚斗を見てくれた気がしたのに。  安全な場所に下ろされた柚斗の視線の先で、一斉に蔵目掛けて放水が開始される。既に屋根の上まで炎の上がった蔵が、轟音と共に崩れていく。  柚斗の居場所が、崩れていく────  足を負傷しているらしい父が、新たに駆け付けた救急隊員によって、先に林の向こうへ運ばれていくのが見えた。父が、柚斗の手の届かないところへ行ってしまう。  父も、蔵も、そして卓巳も……柚斗にはもう何も、残っていない。  煙を吸い続けていた喉がヒリヒリと痛む。  その痛みの所為なのか。悲しいのか、悔しいのか、苦しいのか、寂しいのか。  理由のわからない涙で歪んでいく視界の中、炎と黒煙を夜の空に巻き上げながら、柚斗の全てがゆっくりと崩れて落ちていった。

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