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最終話

「清水柚花が、昨日警察へ出頭したそうだ」  卓巳と龍哉が父の私室へ入った途端、開口一番父から告げられた言葉に、二人ともすぐにはその意味が理解出来なかった。  そもそも卓巳も龍哉も、『清水柚花』などという名前は聞いたことがない。 「……誰だよ、ソレ」  眉を顰めた卓巳の前で、デスクチェアに腰掛けた父の龍馬は「そんなことも知らなかったのか」と呆れた息を吐いてから、数枚の写真をデスクの上に並べた。 「どうして……」  先に驚いた声を上げたのは、隣に立つ龍哉だった。卓巳も写真を見詰めたまま思わず絶句する。  並べられた写真には全て、古いアパートの入り口で黒髪の女性と対面する龍哉のツーショットが映っていた。間違いなく、発情している柚斗を龍哉に迎えに行って貰ったときのものだ。 「……何で、アンタがこんな写真持ってんだよ……」  呆然と呟く卓巳を見詰めながら、龍馬が椅子の背に凭れて腕を組む。 「以前も言っただろう。これまでお前の夜遊びの火消しに、どれだけ手を焼いたと思っている。お前と龍哉がコソコソと東條の家に出入りしていたことも含めて、お前たち二人の行動は把握済みだ」 「ずっと、尾行させてたってことかよ……。けど何で、アンタが彼女の名前なんか知ってるんだ」  彼女が東條の家と関わりがあることは明らかだが、Ωの彼女と父の間に接点があるとは思えない。千夏のパーティーに卓巳と龍哉だけを行かせたくらいだから、父と聡一郎の間にも、特に深い交流があったわけではないはずだ。  卓巳の疑問に答えるように、龍馬は更にもう一枚、新たな写真を取り出した。そこに映っているのは、長い黒髪を高い位置で纏め、華やかなドレスを纏った柚花の姿だった。言われなければΩだとはわからないほど美しい柚花がそこには居たが、卓巳の知っている着飾っていない彼女の方が綺麗だと、思わずそんな感想を抱く。 「清水柚花は、かつては都内の高級クラブでホステスとして働いていた。トップ企業の経営者や官僚なども多数来店する、有名な店だ。彼女の容姿が目を惹くこともあって、当時から東條聡一郎と清水柚花が密かに交際していることは、一部では有名な話だった。……たださすがに私も、あの二人が子供を儲けていた上に、その子供を東條家で引き取って監禁していたとまでは思わなかったが」 「そこまで知ってて、俺らのことまた泳がせてたのかよ!?」  卓巳の夜遊びの後始末に苦労したと言いながらそれを咎めることもなく、卓巳が家を出て行っても連絡すら寄越さない。そして柚斗の件も、ただ黙って見ているだけで、西園寺の名前に傷さえつかなければそれでいい……父にとっては、所詮その程度のことだったのか。  怒りと失望で拳を震わせる卓巳へ、「兄さん」と宥めるように龍哉が声を掛けてくる。  だが、そんな卓巳を見遣った龍馬は、「これだからお前は甘いと言っているんだ」と、いつか兄の龍司に言われた言葉と同じ呟きを落とした。 「お前たちが東條の家に通っていたのは知っていたが、その理由が東條家の隠し子だったとわかったのは、東條聡一郎が放火という暴挙を起こしてからだ。お前たちがどういう経緯でその存在に気付いたのかは知らないが、あの子供には戸籍すらないということを、お前は知っていたのか、卓巳」 「……戸籍がない……?」 「本来なら、彼は清水の籍に入っているはずだった。だが、彼が生まれる前に清水柚花の存在に気付いた東條香夏子は、生まれた子供が男児であれば、その子供は東條聡一郎と香夏子の息子として引き取ると、生まれて間もない男児を強引に引き取った。この件は、既に清水柚花に確認している。だがその後東條の籍に入れられるはずだった子供は、東條の籍にも入っていない。αの跡取りに固執している東條家のことだ。あの子供がΩだったことが関係しているのだろうが、彼は正に存在しないものとして、長年監禁されていたということだ」  父の口から淡々と語られる衝撃の事実に、卓巳も龍哉も、押し黙ることしか出来なかった。  自由を奪われていただけでなく、柚斗は戸籍すら与えて貰っていなかったなんて、考えもしなかった。  卓巳でさえ、ちゃんと西園寺の籍に入っているし、住む場所も、遊び歩く自由も、昔から当たり前のように与えられてきた。けれど柚斗には、人として与えられるべきものが、本当に何もかも与えられていなかった────  いくら施設に保護されているとはいえ、今頃柚斗は捜査関係者から散々聞き取りをされ、恐らく知りたくなかった真実も次々に突き付けられているだろう。  何の罪もない柚斗が、一人でそれらを受け止められるのだろうか。ただΩとしてこの世に生まれただけで、何故柚斗がこれほどまでに理不尽な思いを強いられなければならないのか。  何よりも、そんな柚斗をいつも救えない自分自身が、情けなくて悔しかった。 「……何でだよ。αに生まれなかったことが、そんな悪いことなのかよ……! 第二の性なんか自分じゃ選べねぇのに、Ωに生まれたからって、アイツは全部諦めなきゃならねぇのか!?」  こんなことなら、本当に縛り付けてでも、柚斗を傍に置いておけば良かった。例えそれで柚斗に恨まれたとしても、一人にしてしまうくらいなら、その方がマシだった。 「落ち着いて、兄さん……」  悲痛な表情を浮かべて、龍哉が卓巳の腕をそっと掴む。その様子を黙って見ていた龍馬が、ふとほんの少しだけ、表情を和らげた。 「卓巳。お前は以前、自分はこの家に必要ないと言っていたが、本当にそう思うのか?」 「……は? 何だよ今更……その通りだろ」 「お前自身がどう思っているのか知らないが、お前に今の営業職を勧めたのは何故か────それはお前に、私や龍司にはない、人を惹き付ける話術があるからだ」 「え……?」  父から何かを褒められたことなど、記憶にある限りでは初めてで、卓巳は父の言葉がすぐには理解出来なかった。  呆ける卓巳の前で、父が目を伏せて僅かに口許を緩める。 「実際、お前は入社して数ヶ月で、既に社内外からも高評価を得ていると聞いている。お前にやる気が無いのであれば仕方ないが、私は将来的に、お前に今の職場を任せるつもりだ。だからこそ、家を出てまただらしのない生活を送るくらいなら、少しでも多く、仕事での経験を積めと言ったんだ」 「いや、言ってねぇよ! 単に家出ること反対しただけだっただろ! ……そんなモン、全部初耳だっつーの」 「今のお前が、戸籍の無い子供を安易に引き取って、やっていけるのか? 龍哉からは、既に相当だらしない暮らしぶりだと聞いているが」 「ちょっ……! 僕から言ったわけじゃないよ、父さんに聞かれたから答えただけで……」  ジロリと横目で睨んだ卓巳に向かって、龍哉が慌てて首を振る。  ……出て行った卓巳のことなんて、父は一切気にしていないと思っていたのに、実は龍哉に探りを入れていたということに、思わず笑いが零れた。ずっと放任されていると思い込んでいたが、意外にも不器用な父の本心を初めて知って、妙にこそばゆい感じがする。  こんな卓巳ですら、ちゃんと家族に認めて貰えていたのに、柚斗がたった一人で取り残されてしまっているのが、一層もどかしくなった。 「……だからって、このままアイツのこと見捨てる気には、やっぱりなれねぇ」  正面から父を見据えてキッパリと告げた卓巳に、父は小さく一つ息を吐いてから、白い封筒と一緒に四角いメモ用紙を差し出してきた。  何だ?、と首を傾げながら受け取ったメモには、『ふたば寮』と書かれた下に、住所と電話番号が記されている。 「東條聡一郎と清水柚花の息子が、保護されている施設だ」 「………!」  卓巳が今最も欲していた情報に、信じられない思いで父の顔を見る。少し決まりが悪そうに腕を組み替えた父が、静かに口を開いた。 「今の彼に必要なのは、戸籍を取得し、そしてこれから真っ当な生活を送る為の、正しい教育を受けることだ。戸籍に関しては、弁護士を通じて既に清水の籍に入る為の手続きを進めている。全てが片付いた後、彼が親元へ戻るかどうかは本人次第だが、一先ず我が家に引き取って教育を受けさせることは、両親も本人も承諾済みだ」  だが、とそこで一度言葉を区切った父が、小さく咳払いする。 「……生憎、私も龍司も、子供の相手は得意ではない。それは、龍哉が一番よくわかっているだろう」  父から視線を向けられた龍哉が、一瞬意外そうに目を瞬かせた後、卓巳に向かって苦笑した。 「……小さい時から、僕の相手をしてくれてたのはいつも兄さんだったよね。そんな兄さんが戻ってきてくれないと、誰がこの家で柚斗くんの相手をしてあげるの?」 「今日の夕方、施設へ彼を迎えに行くと伝えてある。必要書類は、今渡した封筒の中だ。どうするかはお前に任せる。……それに、この家で一番先に孫の顔を見せてくれそうなのも、お前だからな」  ボソリと最後に付け足した龍馬の顔は、西園寺家の当主ではなく、一人の父親の顔をしていた。  今までこの家で、温かみなんて感じたことは無かったのに。もっと早く父の本心を知っていたら、卓巳だって投げ遣りにならずに済んだのに。  αというのは、本当にどいつもこいつも面倒くさいヤツばっかりだと、卓巳は口許を綻ばせた。 「……相変わらず勝手ばっか言いやがって。龍哉、お前の車、借りるぞ」  精一杯の悪態を吐いて、卓巳は父から渡されたメモをポケットに押し込む。父の部屋を出る間際、「……ありがとな」とやはり精一杯の礼を告げて、卓巳は龍哉の車に乗り込み、柚斗の待つ『ふたば寮』を目指した。  メモを頼りに辿り着いた『ふたば寮』は、随分と年季の入った古めかしい木造家屋だった。  門柱に取り付けられた看板の文字は、辛うじて読み取れるくらいまで薄くなってしまっている。  それでも、門の奧から建物までの間に広がる園庭では、何人もの子供たちが賑やかな声を上げて走り回っていた。年齢も性別も様々な彼らは、きっとこの施設に居る理由もまた様々なのだろうが、それでも皆歳相応の眩しい笑顔を浮かべている。  本当なら柚斗にもこんな時期があったはずなのにと、つい思わずには居られない。  ひとまずザッと見渡した限り、園庭に柚斗の姿は見えず、卓巳は端の方で子供たちを見守っている若い男性スタッフに声を掛けた。 「あの、スイマセン。今日、迎えの予定が入ってる西園寺なんですけど……」  言いながら、父から託された封筒を差し出すと、それを受け取って中を覗くように確認したスタッフが「ああ、柚斗の……」と卓巳の顔を見て微かに笑みを見せた。首に提げられたネームプレートには『ボランティアスタッフ:御影悠』と書かれている。  柚斗がボランティアのスタッフからも親しげに呼ばれていることがわかって、ホッとする反面、仄かな嫉妬心が湧く。保護施設のスタッフに対してもそんな感情を抱いてしまう自分の狭量さに、思わず苦笑が漏れた。  柚斗に出会うまで、何に対しても特に執着することがなかった卓巳は、自分の中にこれほど強い独占欲が潜んでいたことを改めて思い知る。  そんな卓巳の胸中など知る由もないスタッフは、「どうぞ」と施設内にある、小さな応接室へと通してくれた。  扉で仕切られた応接室に居ても、施設の玄関を出入りする子供たちの足音や声が、建物の内外から響いてくる。  賑やかで、活気に満ちた、蔵とは正反対のこの場所で、柚斗はどんな風に過ごしていたのだろう────  窓の向こうに見える園庭を見詰めていると、不意に控えめなノック音がして、応接室に白髪の女性が姿を見せた。 「あら……? 西園寺さん、随分とお若くなられたと思ったら、貴方は息子さんかしら?」 「西園寺龍馬の息子の、卓巳です。父の代わりに迎えに来ました」  慌ててソファから腰を上げ、頭を下げた卓巳を見て、女性が優しそうな笑みを浮かべる。 「フフ、綺麗なお辞儀の仕方もお父様そっくりだわ。……初めまして、この施設の施設長を任されております、葉月千代子です」  父に似ている、なんて言われたのは初めてで、卓巳は反応に困って軽く項を擦る。家柄なんて関係のない相手からは、龍馬と卓巳も至って普通の親子に見えるのだろうか。 「書類は全て、確認させて頂きました。今、スタッフがあの子を呼びに行ってるので、もう少しお待ち下さいね」  卓巳が持参した封筒を軽く掲げて見せる施設長に、卓巳は「あの……」と躊躇いがちに口を開いた。 「……柚斗は、此処に居る間、元気にしてましたか?」  卓巳の問い掛けに一瞬目を瞬かせた施設長は、安心したように目尻の皺を深めた。 「良かった、あの子の引き受け先に、貴方のような人が居てくれて。……あの子は、育った環境も複雑だったようだから、この施設にも馴染めないみたいで。スタッフもなるべく気に掛けるようにしていたけれど、いつも一人で本を読んでばかりだったから、私もずっと心配だったんです」  子供たちの輪から外れ、ポツンと一人で読書に耽る柚斗の姿が目に浮かぶようで、卓巳の胸に苦い痛みが広がる。  狭い蔵の中とはいえ、幼い頃からずっと一人で過ごしてきた柚斗が、ある日突然知らない場所で、知らない相手と過ごせと言われても、当然戸惑いの方が強いだろう。 「此処に迎えた子は皆、過ごした時間の長さに関係なく、自分の子供も同然だと私は思っているんです。……だから西園寺さん。あの子のこと、よろしくお願いします」  施設長に深々と頭を下げられ、卓巳は身体を九十度折り曲げて、それに応えた。 「もう二度と、柚斗を一人にはしません」  力強く誓った卓巳の声に続くようにして、突然ガチャリと応接室の扉が開いた。顔を見せたのは、先ほど卓巳が封筒を託した男性スタッフだった。 「こら悠。ノックくらいしなさいっていつも言ってるでしょう」 「あ、忘れてた」  スンマセン、と悪びれない様子で卓巳にペコリと頭を下げた彼が「こっちだぞ」と扉の外へ声を掛ける。その声に促されるように、俯きがちにおずおずと部屋へ入ってきたのは、髪がバッサリとミディアムショートに切り整えられ、すっかり少年らしくなった柚斗だった。 「柚斗……」  やっと会えた、という思いからその名を呟いた卓巳の声を聞いて、驚いたように柚斗が伏せていた顔を上げる。卓巳の姿を見るなり、柚斗の大きな黒目が、零れそうなほど見開かれた。 「卓巳さん…────どうして……? 卓巳さんのお父さんが、迎えに来るんじゃ……」  今にも泣き出しそうに震える声で問い掛けてくる柚斗に、卓巳は意地悪く苦笑する。 「親父の方が良かったか?」 「………っ!」  唇を噛み締めてフルフルと首を振った柚斗の背中を、男性スタッフが「ほら」と軽く押す。それを合図に、ボロボロと涙を溢れさせた柚斗が、漸く卓巳の腕の中に飛び込んできた。  やっと卓巳の元へ戻って来た細い身体を、言葉に表せない想いを込めて強く抱き締める。胸元に感じる柚斗の熱い涙からも、柚斗の想いが染み込んでくるようだった。  男性スタッフが施設長を手招きし、気を利かせてくれた二人が応接室を後にする。 「一人にしてごめんな、柚斗」  卓巳の謝罪に、柚斗の嗚咽が一層激しくなる。宥めるようにその背中を撫でてやると、柚斗が卓巳の腕の中で再び小さく首を振った。 「……ッ、俺……海も、空も、見なくていい……。…────卓巳さんの笑顔が見られたら、それだけでいい……っ」  しゃくり上げる柚斗を抱く腕を緩めて、卓巳は少し腰を落とすと、柚斗の濡れた瞳を覗き込む。 「だったらお前もずっと、俺の傍で笑ってろ」  コツ、と額を合わせて笑った卓巳に、「はい」と頷いた柚斗が、泣き顔のままくしゃりと微笑む。それでも治まらない柚斗の嗚咽を、今度はキスで、卓巳は優しく遮った。  ◆◆◆◆◆  ────四年後。 「ホントに良かったのか?」  海岸沿いの道に車を走らせながら、卓巳は助手席の柚斗へ問い掛ける。 『東條家の隠し子監禁事件』発覚からもうすぐ五年。  結局あの事件で柚斗の母である柚花は不起訴となり、父の聡一郎は、執行猶予付きの実刑判決を受けた。  柚斗は施設を出た後、年に数回両親と面会していたが、この日も両親に会いに行っていた柚斗は、迎えにきた卓巳に「今日で最後にしてきました」とどこか清々しい顔で告げたのだ。  いくら聡一郎が前科を背負ったとはいえ、折角巡り会えた本当の両親と、この先柚斗は会わなくて良いのだろうかと思ったのだが、助手席の柚斗は「良いんです」と迷いのない声で言い切った。 「元々、お父さんの執行猶予期間が切れるまで…って、ずっと決めていたので」 「……何でだよ? 猶予期間が切れたら、それこそ今までより気兼ねなく会えるんじゃねぇのか?」  確かにそうなんですけど、と苦笑して、柚斗は窓の向こうに広がる海へと視線を向ける。 「お父さんとお母さんはこれまでずっと、二人で過ごしたくてもそれが叶わなかったと思うんです。俺は本当の両親を知ることが出来たし、今はこうして卓巳さんが傍に居てくれます。……だけど二人は長い間ずっと会えないままだっただろうから、その分の時間を、取り戻して欲しいと思って」 「だからって、お前が遠慮する必要もないんだぞ?」 「遠慮なんてしてませんよ」  卓巳の方へ向き直って、柚斗が口許を綻ばせる。  この数年間でかなり背が伸びた柚斗は、今では卓巳と頭半分ほどしか身長も変わらなくなり、見た目も少年から青年のそれに変わりつつある。お陰でふとした拍子に笑った顔も、随分と大人びてきた。 「俺にとって今一番大事なのは、卓巳さんと過ごす時間です。だからそんな時間を、お父さんたちにも気兼ねなく味わって欲しいんです。……それに、大事な人に会いたくても会えない辛さは、俺も凄くよくわかるから」 「……すっかり頼もしくなったな、お前」  泣いてばかりだった柚斗を少し懐かしくも思いながら、卓巳はゆっくりハンドルを切る。  卓巳が運転する車は海岸線を逸れ、高台へ続く坂道を上った先にある自宅の駐車場へと滑り込んだ。  自宅と言っても、此処に暮らしているのは卓巳と柚斗の二人だけ。元々西園寺家が所有していた別荘の一つを、卓巳たちは二人の住まいとして譲ってもらった。  西園寺の家に引き取られてすぐに通信制高校に入学した柚斗は、持ち前の記憶力の良さや頭の回転の速さでみるみる学力を伸ばし、きっちり三年で高卒資格を取得した。  父の龍馬は大学に進学するなら援助すると言ってくれていたが、柚斗は通信制高校に通う傍ら、ずっとやってみたかったのだという執筆活動に手を広げ、そして卒業とほぼ同時期に書き上げた小説が、見事某出版社の新人賞に輝いた。 『ガラクタの恋』────そう名付けられた物語の舞台は、限りなく人間に近い感情を備えた、AI搭載ロボットが活躍する近未来。  感情豊かだが動作不良の不具合があるロボットと、多様な動作が可能だが感情の乏しいロボット。そんな二体が、不良品として送られたスクラップ工場で出会い、廃棄処分から逃れる為に互いを補い合いながら、やがて『恋』という一つの感情を共有し合うまでの物語だった。  柚斗曰く、「卓巳さんと出会ってからの体験を、フィクションとして書き起こしただけなので、この話が出来たのは卓巳さんのお陰です」とのことだったが、柚斗らしいピュアな視点で綴られたその物語は、まるで柚斗から卓巳への真っ直ぐな告白のようで、卓巳は嬉しい反面、少しこっ恥ずかしくもあった。  そんなデビュー作をきっかけに、若き作家として才能を開花させた柚斗は、執筆活動に集中出来る環境に居る方が良いだろうということで、この別荘へ移り住むことにしたのだ。高台に建てられたこの別荘の窓からは海も見渡せる為、卓巳も昔から気に入っている場所だった。  ……だが、柚斗を西園寺の家から連れ出した理由は、それだけではない。  車から降りた柚斗は、家に入るなりそのままテラスへ直行する。そしてそこに干してあった洗濯物を嬉々として取り込むと、リビングの床へ洗濯物の山を作り、ボフッとその上へダイブした。これは、晴れた日に柚斗が必ずする、お決まりの行動だ。 「あー……今日もいい匂い……!」  洗濯物の山に顔を埋めたまま、柚斗は心底幸せそうな声を上げる。  蔵に居る間、洗濯物を外に干したことがなかった柚斗は、西園寺の家に居た頃から外干ししたばかりの洗濯物の匂いが大好きで、毎日「干させてください!」と目を輝かせては、家政婦を困惑させていた。  それ以外にも掃除や料理など、柚斗はとにかく興味を持ったものは何でもやりたがったので、どうせなら気が済むまで自由にさせてやりたいと卓巳は思った。  だからこの別荘に来てからというもの、柚斗は日々色んな料理を作ってみたり、天気が良ければ服やタオルやシーツなどを思う存分洗濯したり、上機嫌で掃除機をかけたりと、いつも楽しそうに家事をこなしてくれている。引っ越してきたことで卓巳の通勤時間は少し長くなってしまったのだが、毎日そうして柚斗が家事を請け負ってくれるお陰で、部屋が散らかることもすっかり無くなった。  そして、二人で暮らすことを選んだ最大の理由はというと…──── 「……柚斗」  猫のように、洗濯物の山に埋もれてゴロゴロしている柚斗にソファから声を掛ける。ピクリと身を起こした柚斗が、誘われるように卓巳の元へやって来た。  片手をその腰に回し、もう一方の手で柚斗の手首を捕らえて引き寄せると、柚斗は素直に卓巳の膝の上へ乗っかった。  外へ自由に出歩けるようになっても、体質なのかあまり日に焼けない柚斗の白い頬へ掌を宛がう。卓巳の欲求を敏感に察知した柚斗が、項へ腕を絡めてきて、どちらからともなく唇を重ねる。  不慣れな頃は毎回泣きながら卓巳に縋りつくばかりだった柚斗も、今では卓巳の誘いに上手く甘える色気が身についていた。さすがにこういう行為は、幾ら龍馬や龍哉がある程度察してくれていたとはいえ、なかなか家族と同じ屋根の下ではやり辛い。 「……まだ、洗濯物畳んでませんよ」 「知ってる」  言いながら柚斗のシャツの中へ手を滑り込ませる卓巳に、柚斗が観念したように吐息を零す。そのまま柚斗の身体からシャツを奪い去って、卓巳は裸の腰を抱え直すと「なあ柚斗」と目の前の顔を見上げた。 「……お前、俺の子供産んでくれる気、あるか?」 「え?」  突然の問い掛けに、柚斗がパチパチと目を瞬かせる。  別に父に孫を見せてやりたい、なんてことを言うつもりはなかったが、何のしがらみもない自由なこの家で柚斗と家族が作れたら、どれだけ幸せだろうと卓巳は日々考えていた。 「……俺に、産めるんでしょうか……?」  少し不安そうに瞳を揺らす柚斗の額へ、卓巳は苦笑交じりに口づける。 「別に、今すぐ産んでくれって意味じゃねぇよ。ただ、いつかお前と、俺たちの子供と、一緒に家族で暮らせる日が来たらって思ったんだ」 「卓巳さん……」  少しの間黙り込んだ柚斗が、ギュッと卓巳の首に抱きついてきた。 「……子供を産むのがどういうことか、まだまだ俺にはわからない部分が沢山あるし、正直不安です。……でもそれでも、卓巳さんとの子供を産むことが出来たら、俺はきっと、物凄く幸せだと思います」  だからまずは沢山勉強しますね、と笑う柚斗を、卓巳は悪戯にソファへ押し倒してその耳許へ顔を寄せた。 「……子供の作り方なら、幾らでも実践で教えてやるぜ?」  耳許で囁かれ、擽ったそうに軽く身を捩った柚斗が、両手でそっと卓巳の頬を包み込む。 「それなら、俺も知ってます。……復習しますか?」  蠱惑的な柚斗の声に挑発されて、この日もまた、二人の甘い時間が始まる。  遠くから聞こえる潮騒に包まれながらの行為の中、卓巳は初めて、柚斗の項に歯を立てた。βの卓巳が柚斗の項を噛んだところで、番の契約は結べない。ただそれでも、柚斗の身体に卓巳の存在を刻みつけたかった。もう二度と離さないと、その身体に誓いたかった。  それに気付いた柚斗が、薄らと涙を浮かべて卓巳の背中を掻き抱いた。 「卓巳さん…────大好きです」 「ああ……俺もだ」  契約代わりのキスを交わす二人の向こうには、澄み切った空と果てしない海が広がっていた。

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