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番外編 ろくでなしの君はSleeping Beauty
「アキ~、なんで最近付き合い悪いの?」
透がトイレから教室に戻ってくると、喜多川の机が三人の女子に囲まれていた。
他校生ですか?、と問いたくなるほど、自由にカスタマイズされた制服に身を包んだ、明るい茶髪の彼女たちの顔には見覚えがない。他クラスか、もしくは他学年の生徒だろう。
透はさり気なく彼女たちの後ろを通って、自分の席に着く。
チラリと盗み見た喜多川は、気怠そうに欠伸で聞き流していた。その相変わらずな様子に、思わず内心ホッとする。
喜多川との関係は、勿論周囲には公言していない。
元々喜多川は、一夜を共にする相手にさえ、プライベートは一切明かしていなかったらしい。そんな喜多川の自宅へ、地味な男である透が通い詰める仲になっているなんて、傍で盛り上がる彼女たちは想像もしていないだろう。
それでも、校内では近寄り難いαとして有名だった喜多川が、最近透と共に委員会に参加していることは、ちょっとした噂になっていた。
「アタシたちとは遊んでくれないのに、実行委員とか真面目にやってんでしょ?」
「アキが委員とか、マジウケるんだけど!」
「まさか、Ωのフェロモンにアテられたとか言う?」
嘲笑と共に、濃い睫毛越しに視線が寄越されて、透は思わずギクリとなる。それでも敢えて聞こえていないフリで俯いていると、ガタン!と隣で大きな音がした。
流石にそれには透も、笑っていた女子たちも、教室内に居た全ての生徒が揃って息を呑んだ。
「うるせぇっつってんだろ。そもそもお前らに付き合った覚えなんかねぇよ」
立ち上がった喜多川が、鋭く冷えた目でジロリと三人を一瞥する。そのまま机の横に引っ掛けていたカバンを掴むと、喜多川は席を塞いでいた一人を遠慮なく押し退けた。
「えー、アキもう帰んの?」
「アタシもダルいし、一緒に帰ろっかなー」
気圧されるどころか、すぐにまたケラケラと高い笑い声を上げる女子たちを振り返ることもなく、喜多川はそのままさっさと教室を出て行ってしまった。
───もしかして、前みたいに庇ってくれた?
視線も気持ちも、つい上向きになった透の横で、女子たちは一斉に落胆の声を零す。
「なんか、ホントに変わっちゃったよね、アキ」
「やっぱウチの学校に来るαは、ワケありってことじゃん?」
好き勝手に捲したてて、三人は喜多川の机から離れていく。去り際に、その中の一人が透の方を振り返った。
「フェロモンでαが釣れるΩはイイよねー」
不意に投げつけられた言葉に、喜多川はそんなαじゃないと思えるくらいには、透も強くなった。けれど、それを口に出せる度胸は、まだ育っていない。
度胸というより、自信がなかった。
口をきいたことも無かった頃に比べればずっと、透は喜多川の近くに居る。喜多川のことは、少なくとも彼女たちよりは理解していると思う。
だが、喜多川にとって透はどういう存在なのか。その答えを、彼の口からハッキリ聞いたことは、まだ一度もない。
身体を重ねることも、同じベッドで眠ることさえも、発情期以外にはしたことがない。
傍に居ることは、許して貰っている。けれど、その理由は……?
空になった隣の席を見詰める透の胸には、女子生徒の去り際の一言が、小さな痛みと共に刺さっていた。
放課後。
真っ直ぐ帰宅するのも何となく落ち着かず、透は喜多川の自宅マンションへとやって来た。
てっきり部屋で寝ていたのかと思いきや、迎え入れられたリビングのテーブルには、複数のメモ用紙が散らばっていた。その真ん中で、ノートパソコンのディスプレイが光っている。
小さなメモ用紙には、時刻や地名、店の名前らしき単語、人の名前など、様々な情報が走り書きされている。これは決まって、喜多川が父親違いの兄である二宮の仕事を手伝っているときの作業だ。
「もしかして、今夜二宮さんに呼ばれてる?」
「明日の夜、手伝いに出る」
短く答えて、喜多川はノートパソコンに向き合う。
勝手知ったる、とばかりに、透はキッチンでコーヒーを淹れ、喜多川の元へ運んだ。ミルクも砂糖も無しの、少し濃いめのブラックコーヒーに、喜多川も慣れた様子で黙って口を付ける。
こんなにも自然に、傍に居させてくれるのに、それでも透は、喜多川と一夜を共にしたであろう数々の女性たちに、まだ届かない気がしてしまう。
「喜多川、今日泊まっていってもいい?」
明日は土曜日。
ここ最近、週末になると喜多川の自宅に泊まることも、透の親はすっかり受け入れてくれている。……もっとも、両親はあくまでも『友人』の家に泊めて貰っていると思っているだろうけれど。
ほんの少し距離を開けて、隣に腰を下ろした透に、喜多川がチラリと視線を向けてくる。
「明日は多分ろくに寝られねぇから、今日これから寝るぞ」
「俺、別にソファでいいし」
「お前がソファから落ちる音で目ぇ覚めんだよ。ベッド使え」
呆れた声を吐きながら、喜多川がノートパソコンを閉じた。散らかったメモもそのままに、ゴロンとソファへ寝転がる。
「え、もう寝るの?」
「だから、これから寝るっつっただろーが」
「あ、あのさ! その……俺は、まだ喜多川と一緒に寝ちゃダメ……?」
「あ? 前にも言っただろ。軽々しく言ってんじゃねぇ」
ソファに横たわったまま、喜多川が片目を開けて答える。
目の前に居るはずの喜多川との距離感が、よくわからなくなる。
同じ空間で感じる孤独は、とても寂しくて心細い。
「……俺が、Ωだから?」
気付けばそんな呟きが零れていた。言ってから、すぐに「しまった」と我に返る。
喜多川は、透がΩだからなんていう理由で受け入れてくれているわけじゃない。それは、恐らく透が一番よくわかっているはずなのに。
「ごめん、何でもない」
おやすみ、と誤魔化すように告げて、ソファから離れようとした透の手首が、不意に捕らえられた。振り向くよりも早く、強い力で引き寄せられる。
瞬きしたときには、目の前に喜多川の顔があった。
「きたが───」
その名を紡ぎかけた唇が、強引に塞がれる。キスだ、と理解したときには、熱い舌が咥内に捻じ込まれていた。
「んん……っ」
咄嗟のことで思考が追いつかない。逃れようにも、喜多川の手が透の後頭部を抑えつけていて叶わなかった。
喜多川に覆い被さるような姿勢のまま、抵抗出来ない透の口腔内を、喜多川の舌が容赦なく蹂躙する。
何度か透の舌へ歯を立てる荒々しいキスは、怒っているようにも、どこか拗ねているようにも感じられた。喜多川がこんな風に感情をぶつけてくることは珍しい。
「んぅ……っ、ちょ、喜多川苦しい……っ」
ぷは、と息継ぎをしながら訴えると、喜多川はそこで漸く透の身体を解放してくれた。
「次くだらねぇこと言いやがったら、マジで犯す」
喜多川の手が離れても、息を乱して呆然と座り込む透に、喜多川はやっぱり少し不貞腐れた声で言った。
掴まれた腕が、抑え込まれた後頭部が、重ねた唇が。喜多川に触れられた箇所の全てが熱い。
いつもクールな喜多川のこんな一面を知っている人は、どのくらい居るんだろう。
つい今しがたのキスが嘘みたいに、喜多川は普段の涼しい顔に戻って目を閉じている。
周りには見せない表情を貰っていてもまだ足りない。この寝顔も、いっそその夢までも、透だけのものであって欲しいと願ってしまう。
女生徒の言葉が胸に刺さったのは、きっとそんな貪欲さを、見抜かれたような気がしたからだ。
「……喜多川になら、犯されてもいいよ」
ポツリと呟いた透の言葉に返事はない。ソファの上で、規則的に上下している喜多川の胸。
「もしかして、もう寝ちゃったの!?」
大事にされ過ぎるのも考えものだ、なんて思うのは贅沢だろうか。
このままだと本当に、Ωとαという関係に透の方がつけ込んでしまいそうだ。
静かな寝息を立てる唇にそっと口付けてみても、喜多川は童話のお姫様みたいには目を覚まさない。
この綺麗な男が眠るのも目覚めるのも、透の隣であればいいのに。
「……今日、マーキングまだだよ」
苦笑混じりに囁いて、喜多川が使ったマグカップを洗いにキッチンへ立つ。
眠っているはずの喜多川の、「この馬鹿」という呆れた声が聞こえたのは、気のせいだろうか。
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