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第1―6話
「トリ…?」
吉野がタレ目の大きな黒い瞳に困惑の色を浮かべて羽鳥を見上げる。
「この身体の跡はなんだ?」
羽鳥の冷たい声に、なぜか吉野は照れ臭そうに笑った。
羽鳥の眉間に深い皺が寄る。
吉野は嬉しそうに続ける。
「優に頼まれてっていうか、優が俺の為に…」
ビュッ。
空気を切り裂く音がして、バシンと吉野の頬スレスレに壁が叩かれる。
吉野は目を見開いてポカンと羽鳥を見つめている。
羽鳥は黙ったまま、今度は吉野の身体を裏返し洗面台に押し付ける。
「トリ…痛っ…」
吉野の真っ白な背中にも赤い跡は散らばっていた。
羽鳥は吉野の身体を片手で固定し、片手でデニムと下着を一気に下ろすと、シェービングクリームを吉野の後孔に乱暴に塗りたくる。
吉野は冷たさに唇を噛んだ。
冷たいと文句のひとつも言ってやりたい。
けれど今の羽鳥は怒っている。
ビリビリと空気を震わせる程に。
鈍感な吉野すら怯えさせる程に。
そんな羽鳥にかける言葉が吉野には見つからない。
羽鳥の太い指がぐっと蕾に侵入してくる。
いつものやさしく解すような指使いでは無く、何かを確認するようにグリグリと内壁を押しながらグルリと大きく指を回される。
思わず吉野が「ああっ…やあ…っ…!」と声を上げると、指が抜かれた。
そして羽鳥は下ろされていたデニムと下着を吉野の足から抜き取ると、全裸の吉野の肩を掴み、自分に向かせる。
「セックスはしてないな。
じゃあ何をした」
羽鳥の声は怖いくらい冷静だ。
「…トリ?」
「柳瀬と何をした?
そんなに楽しくて嬉しいことか?」
「ゆ、優は…俺の為に…」
羽鳥は吉野を思い切り突き飛ばした。
軽い吉野は簡単に床に転がる。
「柳瀬とお楽しみの後、俺と風呂に入るのか?
随分、舐められてるんだな、俺は」
吉野はグッタリと羽鳥を見上げる。
吉野の瞳に涙が浮かぶ。
羽鳥にこんな風に怒りに任せて思い切り突き飛ばされたりするのは、生まれて初めてだ。
それでも震える声で何とか言った。
「トリ…話聞いてくれよ…優は…優は…」
羽鳥は無言で洗濯籠に入れたセーターを着直すと、脱衣所を出て行った。
羽鳥が玄関を出て行く音が吉野の耳に微かに届く。
吉野は裸のまま、脱衣所の床に丸まって転がっていた。
涙がとめどなく流れる。
俺って何て馬鹿なんだろう。
トリを風呂に誘った時、ちゃんと話しておけば…。
トリ、ごめん。
もう遅いかもしれないけど…。
トリ、ごめん。
もう伝えられないかもしれないけど…。
吉野は泣きながら眠りに落ちていった。
羽鳥は怒りに身を委ねていた。
そうして歩いていると、いつの間にか自宅マンションに着いていた。
バッグをソファに放り投げ、冷蔵庫から発泡酒を取り出し一気に飲み干す。
吉野の言葉が蘇る。
「優に頼まれてっていうか、優が俺の為に…」
「ゆ、優は…俺の為に…」
「トリ…話聞いてくれよ…優は…優は…」
優!優!優!
羽鳥がダイニングテーブルに拳を叩き付ける。
柳瀬が吉野にキスマークを付けるのが、吉野の為ってどういう事だ!?
あれだけキスマークの跡があったんだ。
何も無い筈はない。
挿入はしなくても、男同士で達する方法はいくらでもある。
それを受け入れて、尚且つそんな身体で自分と風呂に入ろうとする吉野の神経が羽鳥には信じられない。
羽鳥はノロノロとソファに座る。
あんなに楽しみだった手作りの『仕事』も、今となっては虚しいだけだ。
吉野は関係無く、仕事として割り切ろうと決心する。
それなのに羽鳥はバッグの中から、今日吉野が漫画の資料から好きだと選んで、こっそりコピーしておいた紙を取り出す。
白いチュニック。
吉野にきっと良く似合う。
作ってやりたかった。
ホワイトデーに喜ぶ顔が見たかった。
そして。
自分の手作りのチュニックを着る吉野が見たかった。
でも、それももう終わりだ。
羽鳥はその紙をクシャリと潰すとゴミ箱に投げ入れた。
けれど、次の瞬間。
その潰した紙をゴミ箱から拾い上げ、ローテーブルの上に置き、クシャクシャの紙の皺を丁寧に伸ばす。
「吉野…どうして…」
今頃になって、思い切り突き飛ばして床に転がった吉野に怪我が無かったか、心配になってくる。
せめて話を聞いてやれば良かったと後悔する。
「馬鹿だな、俺は…」
羽鳥はフフッと笑う。
自分の愚かさに。
吉野に裏切られても、愛してる。
そしてクシャクシャの紙を胸に抱く。
「好きだよ、千秋」
羽鳥の呟きと共に、涙が一粒、胸に抱いたクシャクシャ紙に零れて落ちた。
そしてその頃、桐嶋は横澤の前で正座していた。
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