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第1―10話
羽鳥は素早く会議室を出ると、電話に出た。
「俺だ」
『よう』
柳瀬は羽鳥と話す時はいつも不機嫌だが、今日は普段に輪をかけて不機嫌に言う。
『千秋が40度の熱を出した。
今、病院から帰ってきた。
あと3~4日は動けないだろう。
お前は来んなよ』
「40度って…何で…」
羽鳥の声が震える。
『何で、だと?
お前が千秋を裸にひん剥いて、脱衣所で突き飛ばしたんだろーが!
千秋は一晩中そのまま倒れてたんだよ!』
柳瀬が吐き捨てるように言う。
「そんな…吉野はどこか打ったのか!?」
『打ってねーよ。
打ってたらお前を警察に突き出せるのにな。
とにかく千秋の具合が良くなるまで、マンションに来んなよ。
じゃあな』
「待て!柳瀬、待ってくれ!
お前に聞きたいことがある。
でも電話じゃ話せない。
会ってくれないか?」
『俺は無いぜ』
「頼む!頼むから!
俺に出来ることなら何でもするから!」
柳瀬がフウッと息を吐く。
『その言葉、忘れんなよ。
じゃあ今夜、千秋とお前んちの最寄り駅前のDっていうカフェに8時な』
それだけ言うと柳瀬の通話はプツリと切れた。
羽鳥が会議室に戻ると、羽鳥の席に大きな紙袋が置いてあった。
ルイが「トリちゃん、用意出来たよ~!」とにっこり笑う、
ルイの笑顔に吉野の面影が重なって、羽鳥は奥歯をぐっと噛むと、ルイに「ありがとう」と笑いかけた。
「今、陽介先生が編み方の資料作ってるから。
でも直ぐ終わると思う。
あ、そうそう翔子ママがいちいち質問されるの面倒だから、アタシ達でLINEのグループ作ろうだって!
それがさぁ、グループ名が『紅組』だよぉ?
怖くなぁーい!?」
「…そうだな」
羽鳥は短く返事をすると、会議室を見渡す。
皆、それぞれ楽しそうに材料を見たり資料を見たりしている。
羽鳥は早く8時にならないかと、それだけを思っていた。
それから夕方まで、桐嶋と高野と羽鳥と雪名は、翔子にみっちりしごかれていた。
だが、高野にはアミ、羽鳥にはルイ、雪名にはミホという優秀なアシスタントがいるので、スムーズに作業は進む。
しかも桐嶋達は偶然にも選んだ作品が全員編み物だったので、分からないところは皆で教えあえる。
大変なのは桐嶋だ。
生来の不器用さに加え、翔子がピッタリとくっついてビシバシとスパルタで教えていく。
「あー真っ直ぐ編めないってどゆこと!?」
「禅ちゃん、それさっきも教えたよね!?」
「何で同じことが出来ないの!?」
「そこからは減らし目!
資料に書いてあるじゃん!」
翔子に大声で指摘され、その度に桐嶋が「ハイッ!」と健気に返事をしている。
桐嶋さん、気の毒に…
高野と羽鳥と雪名は、桐嶋に同情の目を向けずにはいられなかった。
そして夕方5時になり、一同は解散した。
皆、大体の手順は理解したので、進行具合や、細かい部分で分からない時や、会って教えて貰いたい時は『紅組』にトークするようにした。
羽鳥は紙袋を下げ、一度帰宅した。
まだ8時には2時間以上あるし、駅前まで徒歩で10分ちょっとだ。
夕食を食べておこうと思ったが、食欲が湧かない。
それでも羽鳥は柳瀬に会うことに備えて、吉野の為に作り置きしておいた混ぜご飯のお握りを二つ解凍して食べた。
吉野は勝手に羽鳥のマンションにやって来ては、羽鳥のベッドで寝ているか、起きていても突然夜中に「腹減ったー」と言い出すので、羽鳥は腹の足しになるような物を常備している。
混ぜご飯のお握りは吉野のお気に入りだ。
吉野が混ぜご飯のお握りを頬張って、「トリのごはんは最高ー!」と笑う顔が目に浮かぶ。
吉野…あれからずっと裸で床に転がっていたなんて…
どんなにか寒かっただろう。
泣いていたのだろうか?
吉野を突き飛ばした感覚がまざまざと両手に蘇る。
羽鳥は教室で貰った紙袋から、ほんの小さな編みかけの毛糸をそっと取り出す。
柳瀬に会えば、分かる。
嘆くのはそれからでも遅くない。
吉野が受け入れてくれるなら、どんな謝罪でもしよう。
例え、吉野の恋人じゃなくなることになっても…。
夜、7時半。
羽鳥はマンションを出て、柳瀬に指定された駅前のカフェに向かった。
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