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第1―15話
羽鳥は出来上がった花束を受け取っている、総務部らしき女子社員に近づいた。
「すみません。
エメラルド編集部の羽鳥ですけど、桐嶋さんが再婚するっていうのは…」
すると一人の女子社員が「ギャーッ」と叫んで羽鳥を睨みつけた。
「私、ずっと羽鳥さんのファンだったのにー!!
羽鳥さんの馬鹿ッ!」
もう一人の女子社員も冷たい目で羽鳥を見る。
「行こ行こ。話したってどうにもなんないし」
「だね!じゃあ失礼しますッ!!」
羽鳥は去って行く二人をポカンと見つめた。
俺、桐嶋さんのことを聞いたよな?
何で…馬鹿?
うーんと考え込む羽鳥に、花屋の店員がオアシスにふんだんに飾られた花束を羽鳥の元に持ってきた。
羽鳥は電車に乗るとLINEの『紅組』を開いた。
みんなそれぞれ頑張っている様子が微笑ましい。
それに桐嶋はスムーズに進んでいるのがよっぽど嬉しいのか、画像を貼って進捗具合をみんなに報告したり、みんなの画像やトークにツッコミを入れたりして、アミやルイやミホに『真面目にやって下さい!!』と怒られている。
横澤の為にこれだけ浮かれて編み物をしている桐嶋が再婚?
羽鳥は軽く頭を振る。
桐嶋は子供がいるとはいえ、昔から親戚は勿論、仕事関係者からのお見合い話が絶えない。
たぶんそのお見合い話に尾ひれがついて『再婚』という噂になったのだろう。
それにしても…。
なぜ俺まで馬鹿呼ばわりされるんだ?
だが羽鳥がいくら考えても答えは出なかった。
羽鳥は吉野のマンションの合い鍵を使うのが気が引けて、インターフォンを押した。
無言で柳瀬が出てきて玄関の扉を開く。
羽鳥がその後に続く。
リビングに入ると、吉野がパジャマにカーディガンを羽織ってソファに座っていた。
羽鳥がまとめ買いしてやったパジャマを着て、大きな黒いタレ目を見開いて、羽鳥を見上げる吉野が愛しくてたまらない。
今にも泣いてしまいそうだ。
羽鳥は早口に「見舞いだ」と言うと、ローテーブルにオアシスに飾られた花束を置いた。
「何か食べたい物でもあるか?
あるなら買ってきてやる」
羽鳥の問いに吉野は笑って答える。
「優がいっぱい買い置きしてくれたから平気。
あんま食欲無いからフルーツも買ってきてくれて」
「…そうか」
「んじゃ俺は帰るわ」
突然柳瀬が言って、バッグを持って立ち上がる。
「柳瀬、お前もソファに座ってくれ」
「何でだよ」
「話がある。頼む」
「マジめんどくせーやつだな」
そう言いながらも、柳瀬は吉野の隣りに座ってくれた。
羽鳥はガバッとその場にしゃがむと、次の瞬間、土下座した。
「な、何してんだよ…トリ…」
吉野の声が震える。
羽鳥は土下座したまま言った。
「吉野、俺のせいで病気にさせて本当に済まなかった。
吉野が償えというなら何でもする。
何でも言ってくれ。
柳瀬、吉野を助けてくれて本当にありがとう。
お前の言う通り、お前が吉野を見つけてくれなかったら最悪の事態になっていた。
この通りだ」
羽鳥は床に額を擦り付ける。
吉野が慌てて羽鳥に駆け寄り、羽鳥の肩を抱く。
「やめろ…やめろよ、トリ!
トリのせいじゃない!
俺が水性インクのことを言わなかったから…」
「それも俺のせいだ。
きちんとインクの印を見ていれば…」
「ウゼー男」
柳瀬がため息混じりに言う。
吉野がキッと柳瀬に振り向く。
「優!トリは謝ってんだぞ!」
「違うぞ、千秋。
俺にはお礼を言ってんだよ」
「え…あ、そ、そうだけど…」
「羽鳥、お前が土下座する相手は千秋だけでいーんだよ。
まあ千秋の身体を見たら、土下座どころか切腹したくなるだろうけどな。
俺はお前に礼を言って欲しくて千秋を助けたんじゃねーよ。
あんな千秋を見たら誰だって助けた。
たまたまそれが俺だったってだけだ。
それに千秋に散々ありがとうって言われたしな」
そう言うと柳瀬は立ち上がり、今度こそリビングを出て、吉野のマンションを後にした。
それから10分後。
まだ土下座をしている羽鳥を、吉野は懸命に起こそうとしていた。
だが、体格差のせいで羽鳥はビクともしない。
吉野はため息を吐くと、そんな羽鳥の背中におんぶするように乗っかった。
「…何してんだ」
「子供の頃さあ、どっちが力持ちかって、しゃがんだ状態でおんぶして立てるか勝負したじゃん。
あの頃はトリの方がちっちゃくて、俺が全戦全勝だったけどな!
今は出来る?」
「出来ない訳ないだろう。
お前みたいな痩せっぽち!」
羽鳥が吉野をおんぶして立ち上がる。
「ほら、みろ」
得意気な羽鳥に吉野がクスクスと笑う。
「何だ?」
「やっと起き上がった」
「あっ…」
「なあ、トリ…」
吉野が照れ臭そうに囁く。
「俺も風呂に入る前に、トリにインクのことを言わなかったのはドジだったし、トリがあの印を見てキスマークだって誤解して怒ったのも分かる。
それで俺が勝手に倒れたままでいたんだ。
だから喧嘩…はしてないけど、喧嘩両成敗でいいじゃん!」
「だけど俺が突き飛ばさなかったら、お前は倒れることも無かったんだ」
「だからーそれはさっき謝ってくれたじゃん!」
「だがな…」
「つーかさ」
吉野がまたクスクス笑い出す。
「俺達おんぶしながら何喋ってんの?
間抜けじゃねー?」
「そ、それはお前のせいだろ!
そうだ。
柳瀬がお前の身体を見たら俺は切腹だとか何とか言ってたな。
見せてみろ」
「えーもういいよ~」
羽鳥は嫌がる吉野を何とかソファに座らせ、カーディガンとパジャマを脱がせる。
吉野の身体の左側には、打撲のような跡が広がっていた。
「これは…俺が突き飛ばしたからか…?」
羽鳥が真っ青になる。
「違うって!!」
吉野はパジャマを素早く着ながら、慌てて言う。
「俺が同じ体勢で何時間も倒れてたから鬱血しただけ!
直ぐ消えるって!」
「吉野…」
羽鳥が吉野をそっと抱きしめる。
「千秋、ごめん」
「トリ…」
吉野は驚いていた。
羽鳥が泣いている。
羽鳥が吉野の前で泣いたのを見たのは小学生以来だ。
「千秋…千秋…ごめんな…」
「トリ…」
吉野は小さな白い手で羽鳥の顔を包むと、唇に触れるだけのキスをする。
吉野がへへっと真っ赤になって笑って、羽鳥の二重の切れ長の瞳からまた涙が零れる。
「好きだよ、千秋」
「…知ってる」
吉野が真っ赤なまま横を向く。
今度は羽鳥がその頬にキスをする。
『知ってる』
そう、千秋は俺が千秋を好きでたまらないことを知ってる
知っててキスしてくれる
幸せだ
俺は世界一幸せだよ…
羽鳥は幸せに酔っていて、桐嶋の再婚説のことも、女子社員に馬鹿と怒鳴られたことも頭から吹っ飛んでいた。
明日は高野が馬鹿呼ばわりされ、丸川書店に嵐が近づきつつあるというのに。
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