19 / 23

第1―19話

その夜、横澤はとことん逸見に付き合った。 逸見は一軒目の居酒屋でもう呂律が怪しくなり、二軒目に行ったカラオケでは歌を歌うどころでは無く、人目を気にしなくていいからか、「横澤さんが可哀想過ぎます!」と繰り返し言って、泣いた。 「横澤さんはあんなに桐嶋さんに尽くしてるのに、桐嶋さんは横澤さんに内緒で女の子を紹介して貰ったり、井坂さんに仲介までして貰って見合いまでしてるんですよ!」 『桐嶋さんに尽くしているのに』 その言葉に横澤は一瞬ギクリとしたが、逸見は一般論で言っているのが分かっていたので、横澤は焦らなかった。 桐嶋と横澤の関係を知らない人から見れば、上司と部下でもないのに、桐嶋家の為に世話を焼く横澤は、桐嶋と会社の枠を越えた存在に映るだろう。 家族ぐるみの付き合いが出来る程、親しい間柄。 桐嶋より年下の横澤が、桐嶋の人間性に惚れ込んで、献身的に桐嶋の手助けをしてると思われてもおかしくない。 その桐嶋が横澤に家事や娘の世話まで押し付けておいて、横澤に内緒で女の子を紹介して貰ったり、社長自らお見合いまでセッティングして貰っている。 この話を聞けば、誰しも横澤に同情するだろう。 だが、横澤は動画を観ても、画像を見ても、別にショックを受けなかった。 来るべき時が来たと思っただけだ。 横澤はカラオケを出て半分寝ほけている逸見をタクシーに乗せると、その足で24時間営業の量販店に向かった。 横澤は量販店で買った段ボールを片手に桐嶋宅に帰宅した。 もう0時半を過ぎている。 ダイニングテーブルの上に桐嶋の母親からのメモがあった。 『横澤さんへ 日和はぐっすり寝ているので心配ありません。 日和ってば私の作った夕食にケチつけるんですよ! 横澤のお兄ちゃんの夕食が食べたいって何度言われたことか!笑 でも横澤さんもお仕事お忙しいでしょうし、いつでもピンチヒッターを引き受けますから、遠慮なく連絡くださいね。 おやすみなさい』 横澤はそのメモを大切にしまった。 翌日、金曜日。 横澤はいつもと変わらない朝を迎えた。 桐嶋の寝室を覗くと、桐嶋はいつもの様に死んだように眠っている。 日和に朝食を食べさせて、髪を結ってやる。 日和は輝くような笑顔で「お兄ちゃん、行ってきまーす!」と学校に向かう。 横澤もいつもの様に出勤する。 営業部に入ると逸見がもじもじしながら横澤の元にやって来たかと思うと、ガバッと頭を下げる。 「横澤さん!昨夜はすみません! 横澤さんに動画と画像を見せたことは覚えているんですが、その後を丸っきり覚えてません! 俺、失礼なことしませんでしたか!?」 「してねーよ」 横澤が笑って答えると、逸見はあからさまにホッとした表情を浮かべた。 「今日はバリバリ働きますから! 何でも言って下さい!」 生真面目に言う逸見に横澤は「その言葉忘れんなよ!」と笑った。 終業時間が来て、横澤は真っ直ぐ桐嶋のマンションに帰る。 日和がパタパタと玄関先まで出迎えに来る。 「お兄ちゃん、お帰り! 今日は早かったね!」 日和は嬉しそうに満面の笑顔だ。 「ああ。今日は昨夜のお詫びにひよの好物を作るから」 「やった! 私も手伝うね! お父さんに自慢しちゃおう!」 日和はうきうきとキッチンに向かう。 その姿を見て、初めて横澤の胸が痛んだ。 夕食後風呂にも入ると、横澤は桐嶋宛にLINEした。 『桐嶋さん、久しぶり。 実は俺のマンションでピッキングの被害が続けて起きた。 それで鍵を取り替えることになった。 悪いが俺んちの合い鍵をダイニングテーブルの上に置いておいてくれないか?』 桐嶋からは直ぐに返事があった。 『そうか!物騒だな! 分かった。明日の朝にはダイニングテーブルに合い鍵を置いておくから心配すんな!』 『ありがとう』 その時、不意に横澤の瞳から涙が零れた。 ありがとう 桐嶋さん、今まで本当にありがとう。 桐嶋さん、今まで俺みたいな男を愛して大切にしてくれて、ありがとう。 桐嶋さんがひよと幸せになる邪魔は絶対にしないから。 LINEだけど、最後にさよならじゃなく、ありがとうと言えて嬉しいよ。 ありがとう… 翌日、土曜日。 桐嶋は約束通り、ダイニングテーブルに横澤の部屋の合い鍵を置いていてくれた。 横澤は桐嶋とお揃いキーケースに鍵を付けた。 横澤が日和と一緒に朝食を食べていると、珍しく桐嶋が朝早く起きてきた。 「桐嶋さん、早いな。 今日も仕事か? メシどうする?」 「んー…仕事っちゃあ仕事。 メシは食う!」 その時、桐嶋と日和が目を合わせ笑った。 横澤はさっとキッチンに向かう。 今日も見合いかもしれない… それにひよも嫌がってない… 良かった。 これでいいんだ… 横澤は手早く桐嶋の朝食を用意しながら、微笑んでいた。 桐嶋は朝食を終えると、直ぐに出かけて行った。 横澤はさり気なく、日和の今日の予定を聞いた。 日和は仲良しの由紀の家でホワイトデーの友チョコのお返しを相談すると言った。 昼食も由紀の母親が用意してくれる。 帰りは門限だ。 横澤は日和に気付かれないように、安堵の為、息を吐いた。 これなら予定通りいく。 横澤はまたさり気なく切り出す。 「なあ、ひよ。 俺のお願いきいてくれないか?」 「なに?なに?」 日和が瞳をキラキラさせて、横澤を見上げる。 「実は俺も明日仕事で、朝早くに家を出なくちゃならない。 俺も桐嶋さんに合い鍵を返すから、俺が出ていった後、ひよが玄関の鍵を掛けてくれないか? どーせ桐嶋さんは寝てるだろうしな」 「そうだね~! お父さんはきっと寝てるね! いいよ!私、鍵掛ける!」 横澤は日和に、なぜ桐嶋に合い鍵を返すのか訊かれずにホッとしていた。 だが表情には出さず、笑って 「でも6時だぞ?起きれるか?」 と言った。 日和がプーッと膨れる。 「大丈夫だもん! 私はいつも6時半に起きてるんだから!」 「そうだったな」 まだ笑っている横澤に日和が小さな小指を差し出す。 「じゃあ指切りげんまんしよ!」 「ああ」 細くて小さな指に横澤は祈る。 日和の幸せを。 翌日、日曜日。 日和は約束通り6時に起きて来た。 桐嶋は当然起きていない。 ダイニングテーブルには桐嶋家の合い鍵。 だが日和は合い鍵には気付かずに『お兄ちゃんのお仕事の手伝いをする』ことで頭が一杯だ。 例え、それが家の鍵を掛けることだけだとしても、横澤の役に立つのが嬉しいのだ。 横澤は玄関に立つと「ひよ頼んだぞ」と、ちょっとおどけて言う。 日和はえへんと胸を張って「任せて!」とやる気満々だ。 「じゃあ行ってくる」 「うん!行ってらっしゃい!」 「ひよ、ありがとな」 「うん!」 玄関の扉が閉まる。 日和が鍵を掛ける。 横澤はまだ薄暗いポーチに立って、微笑む。 ひよにも最後にさよならじゃなく、ありがとうと言えて嬉しいよ。 ありがとう… 横澤はエレベーターホールに向かって歩き出した。

ともだちにシェアしよう!