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第1―20話

話は金曜日に遡る。 結局、朝比奈の言う通り井坂から高野に木曜日中に連絡は無く、井坂と連絡がついたのは金曜日の朝イチだった。 高野はまだ出勤しておらず、自宅のスマホで電話を受けた。 高野が日曜日と月曜日に翔子達に会ったことが社内中の噂になっていて、その噂の内容を説明すると井坂は高らかに笑った。 『盛り上がってんなー! 予想通りだぜ!』 「……はあ?」 『高野、何でお前達をブックスまりもがある池袋東口で待ち合わせさせたと思う? しかもサイン会のある日に』 「それは…翔子さんの手芸教室が池袋にあるからじゃないんですか?」 『ばーか。よく考えてみろ。 翔子ママの教室があるからってラーメン屋に並ばなくてもいいだろーが。 部外秘で動いてるお前達を本当に隠す気なら、俺だったら直接教室で待ち合わせさせるね』 「まさか…井坂さん…」 高野が息を呑む。 『やっと気付いたか! お前エメラルドの編集長なんだから、もっと発想が柔軟じゃないとな! 読者に置いてきぼりにされるぞ!』 「じゃあ…月曜日にカフェで会ったのも…」 『そーだよ。 わざわざ丸川の真ん前のカフェで、しかも外から丸見えの席に座ったんだ。 いやーしっかし上手く行くもんだなー。 俺は天才だな!』 「ですが、いくら社内が噂で盛り上がったって、誌面には関係ないじゃないですか!」 『アホか、お前! これで△△誌の緊張感は高まる。 お前達を噂に巻き込んだんだから、それを払拭するような誌面作りにしなきゃいけないと張り切る。 そういうのは絶対読者に伝わる。 社内の噂だってそうだ。 お前らは今編集後記の為に作っている物をホワイトデーに恋人にプレゼントする気だろ? つまり噂のタイムリミットは3月14日だ。 ハッピーなホワイトデーを迎えてお前達の雰囲気が変わる。 すると噂をしてた奴らは、じゃああの噂は何だったんだってことになる。 そこで△△誌の4月号で誤解が解ける。 じゃあ次は誰?って期待が高まる。 そーゆー会社の勢いっつーのも読者は敏感に感じ取るんだよ! 読者のワクワク感に作用するんだ。 お前もそーゆーやり方してないとは言わせねーぞ!』 高野は言葉を失った。 全て井坂の計画だったとは…。 しかもこうなったら、ホワイトデーまで本当のことを恋人だけにでも説明することは許され無いだろう。 社内で噂している連中に説明するなんて論外だ。 ……井坂さんがバックにいるから、井坂さんの金儲けに関係してるかもしれない噂を、皆自分達にハッキリ話してくれなかった訳だ… 羽鳥の言う通り、「馬鹿」って言うのが精一杯だったんた… 脱力している高野の耳に『朝比奈ー!一気に喋ったから喉乾いたー』という井坂の能天気な声が虚しく響いた。 高野は出勤すると羽鳥を会議室に呼び出し、井坂の話を説明した。 羽鳥のポーカーフェイスが仏頂面へと変わっていく。 だが羽鳥も一呼吸置くと「仕方ないですね」と言った。 そして「桐嶋さんにも説明しておいた方が良いんじゃないでしょうか?」と付け加えた。 高野もそれもそうだと考え、会議室の電話からジャプン編集長席に内線を掛けた。 だが生憎桐嶋は不在で伊集院先生のところに直行直帰だという。 メールでもしておこうかとも考えたが、微妙なニュアンスが伝わりづらくて誤解を生んだら大変だし、LINEのグループ『紅組』でトークするなんてもっての他だ。 井坂もメンバーなのだから。 それに翔子ママも目を光らせているだろう。 だがその日、桐嶋は伊集院先生の手前スマホを留守電にしているらしく、夜になっても桐嶋とは連絡が取れなかった。 そうして高野が帰宅して、やきもきしながら編み物をしていると、夜中の1時過ぎに横澤から電話が掛かってきたのだった。 横澤は短く『桐嶋さんの家を出ることになった。当分居候させて欲しい』と言った。 高野は横澤があの噂を誰かから聞いたんだとピンと来た。 横澤が自分のマンションに帰れば桐嶋が必ず訪ねて来るから、せめてプライベートでは身を隠すつもりなのだ。 しかし真相を説明することも出来ない。 その時、高野の目に編みかけの編み物が目に入った。 ……マズイ!! うちに来られたら編み物をしているのを見られてしまう! 編み物なんてしたことも無い高野が編み物をしているのを見たら、世話好きの横澤のことだ「何してるんだ?」という流れになるだろう。 高野が小野寺のホワイトデーのプレゼントを作っていると言えば、横澤は秘密にしてくれて他言もしないだろう。 が。 だが万が一、編集後記の企画のことを勘づかれたら…? 横澤は優秀な営業マンだ。 勘も良い。 自分の担当ではなくても、井坂が力を入れているホビー本の目玉記事くらい頭に入っている可能性もある。 ホワイトデーまであと10日を切っている。 ここまできて失敗する訳にはいかない。 高野は頭を抱えながら、横澤にいつ桐嶋の家を出るのか尋ねた。 横澤は土曜日には荷物を纏めて高野のマンションに宅配して、日曜日の朝、桐嶋のマンションを出る予定だと言う。 高野は取りあえず、折り返し電話をするから一度電話を切らしてくれと言った。 横澤も了承した。 高野は横澤との通話を切ると、こうなったら秘密を共有している仲間、羽鳥に相談するしかないと思った。 直ぐに羽鳥のスマホに電話を掛ける。 羽鳥はまだ起きていたらしく、ワンコールで出た。 『羽鳥です。 高野さん、何かありましたか?』 高野は横澤の事を手短に説明した。 羽鳥も戸惑うかと思ったら、羽鳥は高野の話が終わると間髪入れずに即答した。 『分かりました。 横澤さんが住む場所は心配しないで下さい。 俺から直接横澤さんに電話します。 横澤さんは電話を待ってるでしょうから、これから直ぐに電話を掛けますので、高野さんには明日連絡します』 そう言って通話は切れた。 高野はポカンと切れたスマホを見つめていた。

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