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第3話
屋敷の中同様、やはり真っ暗な室内。その室内を、複数のPCモニターが照らしている。
ズラリと並んだモニターに囲まれるようにして座っているのは、確かに黒執レンだった。
だがしかし。
その容姿は、いつぞやの入学式で皆の目を釘付けにしていた美少年のソレとは大きくかけ離れている。
黒ぶちの眼鏡をかけ、寝起きそのままなのかあちこち寝癖のついた頭にはヘッドホン。右手はPCのキーボードを素早くタイプしながら、左手はゲームのコントローラーを忙しなく操作している。更に片足をイスの座面に載せ、よく見るともう一方の足は床に置かれたゲームパッドを操っている。
難病? 死亡? 幽霊?
どれもとんでもない。
今目の前に居る少年は、どう見ても『完全引き籠りニート』もしくは『重度ネトゲ依存症』だ。
あの青白さは病気なのだろうかと少しでも案じた自分が腹立たしい。この暗闇でこんな生活をしていれば、不健康にもなるはずだ。
呆れと驚きと怒りとで最早放心状態の晴人だったが、どうやらヘッドホン装着でゲームに熱中しているレンは、こちらに全く気付いていないらしい。
隣で同じく呆れた様子で肩を竦めたアリシアが、ツカツカと室内に足を踏み入れ、背後からレンのヘッドホンを奪い取った。
「……っ! 何すんだよ、アラン!」
唐突に現実に引き戻されて椅子の上で軽く飛び上がったレンが、腹立たしげにアリシアを振り返った。
「その名前で呼ぶなって言ってるでしょ」
アリシアの手からヘッドホンを奪い返そうとするレンを揶揄うように、アリシアはその手の届かない位置までヘッドホンを持ち上げる。……どうやら彼の本名はアランというらしい。
「アンタ、またこんな物ばっかり飲んで。どうせ野菜と果物しか食べてないんでしょ。そんなんじゃ栄養にならないって、何度言えばわかるの」
「うるさい。関係ないだろ」
そう吐き捨てて、ヘッドホン奪還は諦めたのか、レンは再びモニターに向き直った。
よく見ると、そのモニターの前にはあり得ないほど大量の鉄分サプリが並んでいる。ここまで大量に飲んで大丈夫なのかと心配になるほどの量だ。
だとすると、やはり相当重度の貧血はあるのだろうか。……生活習慣にかなり問題がありそうな気はするが。
「……くっそ、折角いいトコだったのに、邪魔するから負けた!」
部屋の入り口に突っ立っている晴人には気付く気配のないレンが、苛立ち紛れにコントローラーを床へ投げつけた。まるで駄々っ子のようなレンの行為に、傍観していた晴人もさすがにカチンときた。
アリシアはレンのそんな反応も慣れっこといった様子だったが、それでもレンの身を気遣ってくれている相手にその態度はないだろうと思う。
それに何より、どんな手を使っているのか知らないが、こうして毎日引き籠ってゲームをする為に、担任の谷川に欠席理由を上手く誤魔化させているのだとしたら、尚のこと腹が立った。
「いい加減にしろよ、黒執! 大体お前、学校休んでなに悠々とゲームしてんだ!?」
思わず声を荒らげた晴人に、レンはそこでやっとその存在に気付いたようだ。眼鏡の奧の瞳を驚きに見開いて、こちらを凝視している。
「な……なに……何で……?」
まるで晴人の方が幽霊になったのかと思うほど、レンは晴人の姿に動揺して、金魚のように数回口を開閉させた後、キッとアリシアを振り返った。
「どういうことだよ!? なんで人間がここに居るわけ!? アラン、お前が連れてきたのか!?」
「ワタシはこの家の前で立ち尽くしてたお客様を招き入れただけ。誰かさんが部屋にこもって来客を無視してる所為でしょ」
「家の前でって……誰だよお前!? 何しに来た!?」
再び晴人に向き直ったレンが、鋭い眼光で睨みつけてくる。
入学式の日も近寄り難い雰囲気はあったが、どちらかというともっと儚げな印象だっただけに、余りのギャップに頭が若干追いつかない。
しかもたった一日とはいえ顔は合わせているのに、晴人の存在はレンの記憶には全く残っていなかったことに、ほんの少しがっかりもした。
「……俺は高坂。高坂晴人。お前のクラスメイトだ」
「クラスメイトって……学校とか、もう関係ないし」
「関係ないって何だよ? お前、担任の谷川先生に何かしただろ? お前の欠席理由聞いたとき、明らかに先生の様子がおかしかった」
「仮にそうだったとして、お前に何の関係があるんだよ? 俺はお前のことなんか知らない。学校ももう行かない。そもそも入学式だって、アランが行け行けってうるさいから、嫌々行っただけだし」
そう捲し立てて、レンはふいっと顔を背けてしまう。
晴人は大和に妙な誤解を受けるくらい、レンのことを考えていたというのに、そのレンから「知らない」と呆気なく突き放されて、胸の奥が鈍く軋んだような気がした。
ショック、というよりも、衝動的に掴みかかりたいような、荒々しい感情が腹の奧でグルグルと渦巻いている。
どうしてこんな気分になるのだろう。
これまで、付き合った相手に「思ってたような人じゃない」と突き放されたときにも、こんな感情は起こらなかった。ああ、やっぱりな…と、むしろあっさり受け入れられたくらいだ。
なのに、今日初めて言葉を交わしたレンに突っぱねられたくらいで、どうしてこうも胸がモヤモヤするのだろう。自分はそもそも、ここへ来てレンにどんな対応を求めていたんだろうか。
グ…、と無意識に拳を握り締めていた晴人の傍へやってきたアリシアが、宥めるようにそっと肩へ手を置いてきた。
「レン、いつまでもそんなワガママ言って、兄さんや義姉さんを困らせないで。学校だって、アンタに余りにも社交性がなさすぎるのを心配して、兄さん達が手配してくれたんだから。それに折角お友達の方から来てくれたのよ? 好き嫌いを克服するチャンスかも知れないじゃない」
「好き嫌い……?」
前半はともかく、後半はアリシアの言う意味がわからず、晴人は首を傾げる。
自分が訪ねて来たこととレンの偏食に、何の関係があるのだろう?
「……有り得ない。絶対飲まない」
(飲まない……?)
さっきから会話にイマイチついていけない晴人の前で、「じゃあ仕方ないわね」とアリシアが肩を竦めて、持っていた荷物の中から保冷剤に包まれたタッパーを取り出した。
一体何が入っているのかとアリシアの手元を覗き込み、直後に激しく後悔した。
タッパーに入っていたのは、ついさっきまで生きていたものから抜き取ってきたのかと思えるほど生々しい、文字通り血も滴る臓器だ。
思わず「うっ」と口元を押さえて顔を背ける。テレビだったら間違いなくモザイク物だ。
「な……何だ、それ……?」
「心臓よ」
「心臓!?」
ケロリとした顔で答えたアリシアが、そのタッパーを躊躇いなくレンの前に差し出す。
「え、おい、心臓って誰の……!? つかそもそも、そんなモン食って大丈夫なのか!?」
「安心して、人間のじゃないわ。それにこの子の場合は、こんな物でも食べないと血が摂れないのよ。ホラ、週に一回なんだからちゃんと食べなさい」
差し出されたタッパーを、レンは全力で拒絶している。これはさすがに、晴人でも食べろと言われたら間違いなくレンと同じ反応を返してしまうだろう。
「俺にはよくわからないけど、サプリ大量に飲んでるみたいだし、何も生の心臓なんか食わせなくてもいいんじゃないのか?」
思わず二人の間に割って入った晴人に、アリシアは困惑したように溜息を零した。
「こんなサプリなんかじゃ、ワタシたち吸血鬼には全然足りないのよ」
「でもこれだけ飲んでれば……って、え……────?」
(……今、何て言った……?)
アリシアの言葉を脳内で何度も反芻して、晴人は目の前の二人を交互に見遣る。
……キュウケツキ?
あまりに現実離れしたその単語が、咄嗟に脳内で漢字変換出来なかった。
キュウケツキというのは、もしかして映画や本やゲームで散々見てきた、あの『吸血鬼』のことだろうか。
「ちょ……ちょっと待ってくれ……」
心臓を食べる食べないで攻防を繰り広げている二人から思わず一歩後退り、晴人は額を押さえた。
二人の様子からしても、冗談を言っているようには思えなかったが、かと言って「そうですか」とすんなり納得出来るわけがない。
「……つまり、アリシアも黒執も、どっちも吸血鬼……ってことなのか?」
吸血鬼、という存在が現実に、しかも目の前に居ることがまだ信じられない。信じられるはずがない。
狼狽する晴人に止めを刺すように、アリシアは「そうよ」と呆気なく肯定する。
「吸血鬼って、人の血を吸ってその相手も吸血鬼にするっていう────」
「待って」
あくまでも空想上の吸血鬼という存在を思い出して言いかけた晴人の言葉を、アリシアが少し強い口調で制した。そしてどこかげんなりした様子で、溜息を吐いて腕を組む。
「人間は吸血鬼って聞くとすぐにそれ。吸血行為はワタシたちにとってはただの食事よ? 食事の度に相手が吸血鬼になってたんじゃ、ワタシたちの血統なんてあったモンじゃないわ。それから日光に当たると灰になる、なんて思ってるのかも知れないけど、それも何百年前の話?って感じ。人間だって進化するように、ワタシたち吸血鬼も進化はしてる。確かにどちらかと言えば夜の方が好きだけど、日光に当たっても灰になったりはしないし、ニンニクや十字架だって、決して好きではないっていうだけ」
そういえば、入学式は当然日中に行われていたが、レンは別に日光を避けたりしている様子は見られなかった。だったら余計に、二人が吸血鬼だと言われても信じられない。
「……二人とも、人間の血を吸って生きてるのか?」
「吸血鬼は基本的に皆人間の血を好んで食してるわね。……目の前の誰かさんは違うけど」
どういうことかと視線を向けた先で、レンが煩わしそうに顔を背ける。
「レンは、血が大嫌いなの。吸血鬼にとって血液は最も重要な栄養源だから、これまで色んな人間の血を無理矢理飲ませてみたけど、どれも駄目だったわ。そもそも吸血鬼は本能で血を求めるものなのに、レンの好みときたら、イチゴにスイカにトマトなのよ? 笑っちゃうでしょ。そんなもので体力が維持出来るわけがないから、こうしてせめて週に一度でも、血液の多いものを食べさせるようにしてるんだけど、この通り嫌がるんだから、とんだ問題児よ」
アリシアに押し付けられたタッパーの中の心臓を、レンはこれ以上ない渋い顔でほんの一口齧ったかと思うと、すぐにデスクの端へとタッパーを置いてしまった。
さっき、レンの好き嫌いがどうこうと言っていたのはこういうことかと、そこでやっと合点がいった。だからこれほど大量の鉄分サプリが必要なのだということも。
……ということは、アリシアはレンに晴人の血を飲ませようとしていたのか、ということにも気が付いて、さすがにそれには微かな悪寒がした。
百歩譲って二人が本当に吸血鬼なんだとしても、蚊に血を吸われるのとは訳が違う。
血を吸われても吸血鬼になることはないとアリシアは言ったが、それなら吸われた人間は、一体どうなるのだろう。
「……アリシアは、人間の血を吸ってるんだよな?」
オネエではあるが、何だかんだで面倒見の良い人なのかと思っていただけに、複雑な気持ちで問い掛ける。そんな晴人の心中を察してか、アリシアは目を伏せて微かに笑いながら「そうよ」と肩を竦めて見せた。
「血を吸われた人間は、どうなるんだ。その……口封じに殺すとか……」
「ヤダ、そんな物騒なことしないわよ。人間同士だって、偶然出会った相手と一晩の夢を見ることだってあるでしょ? ……って、アナタにはまだ少し早い話だったかしら。勿論、殺そうと思えば容易いけど、そんなことはしないわ。ワタシは誰かさんと違って社交性のある吸血鬼だもの。ほんの一晩、甘い蜜を貰うだけ」
アリシアが妖艶な笑みを浮かべて、晴人の日に焼けた首筋をツツ…と指先で辿る。
「何なら試してみる?」
冗談めかして小首を傾げるアリシアを、レンが「おい」と椅子から立ち上がって制した。
レンに直接会って、不登校の理由を本人の口から聞き出すだけのはずが、とんでもなく想定外の話を聞いてしまった。
頭の整理が追い付かず、返答出来ずにいる晴人に「冗談よ」と笑って、アリシアは手を引っ込めた。いっそ吸血鬼だという話も冗談だと言って欲しかったが、そこは否定されなかった。
「人間相手に話し過ぎだ、アラン。とにかく俺は、こんな太陽臭いヤツの血を飲む気なんてない」
(太陽臭い……?)
レンの言葉に、晴人は思わず眉を寄せる。
部活の後なので、汗臭いとか泥臭いと言われるならまだしも、「太陽臭い」なんて言われたのは初めてだ。そもそもそれは、どんな匂いなんだろうか。
吸血されたいなんて気持ちは全くなかったが、かといってここまで露骨に否定されると、晴人としても複雑な気持ちだった。
晴人には血の旨みなんてわからないが、飲んでもないのに否定されるのはどうなんだと思ってしまう。
ここまで血を毛嫌いするレンも、好みの血を持つ相手がもし現れたなら、そのときは喜んでその血を吸うのだろうかと思うと、また腹の奧がドロリとした感情で重くなった気がした。
頑固者、とレンの頭を軽く小突いてから、アリシアはやれやれとばかりに首を振って、改めて晴人の前へとやってきた。
「折角訪ねてきてくれたのに、我が儘な甥っ子でごめんなさいね」
そう言って晴人の顔を見下ろすアリシアと目を合わせた、その瞬間。
「………っ!?」
晴人の身体の自由が、一切きかなくなった。
自分の身体がまるで石にでもなったみたいで、指一本動かすことさえ出来ず、声も出せない。出来ることと言えば、辛うじて息をすることと、真っ直ぐに晴人を見下ろすアリシアの目をただジッと見つめ返すことだけだ。
(何だコレ……っ!? 一体どうなって……!?)
心の中で必死に叫んで、何とか抵抗を試みるが、晴人の身体は硬直したままだった。
一体何がどうなっているのかわからない。そこで初めて、晴人はアリシアたちが吸血鬼なのだという事実を思い知らされた気がした。
自分では全く動かせない背中を、冷えた汗が一筋伝い落ちていく。
そんな晴人を見つめるアリシアの瞳が、ほんの少し細められた。
「ワタシたち吸血鬼に口封じが必要ないことを、アナタの身体で証明してあげる。────今日ここで見たことや聞いたことは、全て忘れなさい。アナタは今日、黒執の家には来ていない。黒執レンのことには一切関心がない。学校を出た後、アナタは普段通り真っ直ぐ自宅に帰った。いいわね?」
そう言われた途端、頭の中に突然靄がかかったようになり、何も考えられなくなった。
自分が今居る場所が何処なのか。自分はここで何をしているのか。よくわからなくなってくる。
「……家に……帰る……」
無意識にそう呟いて、晴人は自分が数刻前の谷川と全く同じ表情をしている自覚がないまま、ゆっくりと踵を返した。
「……アナタならレンを変えてくれそうだと思ったけど、残念だわ」
背中で聞いた呟きが最早誰のものかもわからないまま、晴人はフラフラとした足取りで屋敷を出る。
まるで何かに操られるように歩いて、歩いて、そうしてふと気が付くと、自宅の前に立っていた。
「………?」
見慣れた自宅の前で奇妙な違和感を覚えて、晴人は首を捻った。
学校を出てから、自宅に帰り着くまでの記憶がない。
何か大事なことを忘れている気がするが、思い出そうとしてもまるで記憶に霧がかかったようで思い出せない。
自分は帰宅中の記憶もないほど、呆けていたんだろうか。そう言えば放課後、大和からもボーっとしていると言われたが、あのときは一体何を考えていたんだったか。
自宅に入ってそれから眠りに就くまで、晴人は延々と考え続けたが、頭の中を覆う霧は濃くなる一方で、結局大事な何かを思い出すことは出来なかった。
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