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第7話
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「お先に失礼します」
部室でまだ談笑している先輩たちに頭を下げ、晴人は大和と揃ってサッカー部の部室を後にした。
「あー、今日もつっかれたわー……」
グーッと両腕を伸ばした大和が、気怠げに荷物を背負い直す。
晴人たちの所属するサッカー部は、毎年全国大会でもそれなりに好成績を残している入賞常連校で、毎日の練習はなかなかハードだ。
特に晴人たち一年生は練習に加えて雑用や後片付けもこなさなければならない為、部活上がりはさすがに晴人も毎日クタクタだった。
けれど、そうやって何も考えられないくらいハードな練習が、今は有難いとも思う。
「お、ちょっと日、長くなってきたな」
少し前までは部活が終わると外は真っ暗だったが、今はこの時間になっても空は薄ら明るい。
その空の高い位置にぼんやりと浮かぶ青白い月を見て、晴人はひたすら自分を拒んでいたレンの顔を思い出した。
それから、そんな彼が晴人の指から流れる血を見た途端、まるで何かに取り憑かれたようにその血を求めてきたことも────
アリシアに記憶を弄られていたことがわかった時点で、彼らが人間ではないのだと実感してはいたが、あのとき実際に晴人の指に噛み付いてその血を味わっているレンの姿を見たとき、改めて本当に吸血鬼なんだと、どこか他人事のように納得する自分が居た。
どちらかと言えば、動揺していたのはレンの方だ。
自室に引きこもられ、晴人は結局レンと殆ど何も話せないまま、屋敷を後にするしかなかった。
そしてそれからも、やっぱりレンは学校へ登校してくる気配はない。
血が嫌いだと、アリシアから差し出された心臓に口をつけることも酷く嫌がっていたのに、あのときレンは何故晴人の血に反応したのだろう。
そのことには、晴人以上にレン本人が驚いているようだった。
「……───と、おい晴人!」
隣からバシッと肩を叩かれ、ハッとなって晴人は隣を歩く大和に視線を移す。
「お前、またボーっとして人の話聞いてなかっただろ」
「……悪い」
「まーたあの黒ナントカのこと、考えてたワケ? 一時期は名前なんか覚えてないとか言っといて、その癖いきなり授業中に名前叫んだり、お前と黒ナントカって一体何なの?」
「……それはむしろ俺が知りたい」
ボソリと独り言ちるように呟いた晴人に、大和は訳がわからないといった顔で肩を竦めた。
晴人自身だって、どうしてレンのことばかり考えてしまうのか、レンは何故晴人の血を嫌がらなかったのか、わからないことばかりだ。
だが、肝心のレンが逃げて引きこもってばかりなのだからどうしようもない。
「取り敢えず、腹減ったから晩飯食ってくか?、って聞いたんだけど」
呆れ声の大和に、「ああそうだな……」と頷きかけた晴人は、校門を出たところで思わず足を止めた。
歩道にピタリと横づけされた真っ黒な高級外車に、寄り掛かるように立つ長い黒髪の人物。
待ち兼ねたとばかりに掛けていたサングラスを外したアリシアが、ヒラリと晴人に片手を振って見せた。
「……悪い、大和。晩飯、やっぱ今日はナシ」
「は? え、なに、どういうこと!? あの美人、お前の知り合いなの!?」
アリシアと晴人を交互に見比べて唖然としている大和に、アリシアが調子づいて投げキスを送る。
……あの人がただの人間の知人女性なら大和にもきちんと紹介するところだが、さすがに実は吸血鬼のオネエだ、とはややこしすぎて説明出来ない。
大和には今度ゆっくり紹介するからと謝って、晴人はアリシアに促されるまま、車の助手席に乗り込んだ。
放心状態の大和をその場に残して、アリシアは静かに車を発進させた。
「サッカー部って、随分と遅くまで活動してるのね」
「見てたのか?」
「どうしても、アナタに話したいことがあったから」
慣れた様子で車を走らせながら、アリシアが静かな声音で答える。
「また、俺の記憶を消しに来たのか?」
晴人が嫌味を込めて向けた言葉に、アリシアは「まさか」とハンドルを握ったまま肩を竦めた。
「どうやらレンの言う通り、記憶は完全に戻ってるみたいね。これでも、今まで洗脳を解かれたことなんて一度もなかったのよ。一体どうやって解いたの?」
「そんなの、俺にわかるワケない」
「ワタシたち吸血鬼が口封じの為に相手を洗脳出来るってことは、アナタももうよくわかってるとは思うけど、それが解けたことで、自分が殺されるかも知れないとは思わなかった?」
「……別に。もしもアリシアが本気で俺を殺すつもりなら、もっと早くに俺は殺されてるだろ」
「随分あっさりしてるのね。でもアナタにとっては、ワタシたちみたいな吸血鬼と関わらずに済むなら、その方が幸せだったんじゃない?」
同じようなことを、レンも言っていたことを思い出す。同時に、微かな苛立ちが晴人の胸を焼いた。
「黒執もそんなこと言ってたけど、俺にとって何が幸せかを決めるのは、アンタらじゃなくて俺自身だろ。アリシアに記憶を弄られてから、ずっと頭の中がモヤモヤしてた。何か忘れてる気がするのに、全然思い出せなくて。……多分、俺自身が気になってることを、誰かに勝手に邪魔されるのが、我慢出来なかったんだと思う」
レンのことを思い出すまでの記憶を辿りながら語った晴人の答えを聞き終えたアリシアは、一瞬驚きに瞠った目をチラリと晴人に向けてきた。
そして小さく噴き出したかと思うと、そのまま肩を揺らして笑い始めた。
真面目に答えたつもりだったのに、心底可笑しそうに笑われて晴人はムッと顔を顰める。
だがひとしきり笑ったアリシアは、フロントガラスの先を見据えたまま、何かを愛おしむようにマスカラがたっぷり塗られた瞳を細めて微笑んだ。
「まさかそんなものにワタシの洗脳が解かれるとはね。でも、そこまであの子を気にかけてくれてありがとう。自覚のないあの子に代わって、お礼を言わせて」
「……? 別に、礼を言われるようなことじゃ……」
晴人自身、レンのことがこうも気にかかる理由は、未だによくわかっていないのだ。
それなのに、アリシアの優しい横顔を見ると、どうにも擽ったいような気分になる。
「そんなこと言う為に、俺のこと待ってたのか?」
居心地の悪さを誤魔化すように問い掛けた晴人だったが、そこでアリシアは浮かべていた笑みをスッと引っ込めて、途端に神妙な顔になった。
「……実は、レンが死にそうなの」
「え!?」
思わずシートベルトの存在も忘れて、晴人は運転席の方へ身を乗り出した。
(死にそう……!?)
動揺と焦りで、一気に心拍数が上がるのがわかる。
そんな晴人の反応を「愛って凄いわね」とまた笑われて、性質の悪い冗談なのかと晴人はアリシアを睨みつけた。
けれど、アリシアは正面を見据えたまま、すぐにまた真面目な顔つきに戻った。
車は大通りを逸れ、いつしか住宅街へと入っていた。
「ちょっと大袈裟に言い過ぎたけど、でも今のままだとレンの命はもう長くはないわ」
「……どういうことだよ? 血が嫌いだからか?」
「そうじゃない。……アナタの血を、飲んでいないからよ」
ゆっくりと、車が停車する。窓越しに外を見ると、そこはレンの屋敷の前だった。
「俺の血を飲んでないから……?」
これまでは血を吸わなくても、何とかなっていたんじゃないのか?
首を捻る晴人には答えず、代わりにアリシアはサイドブレーキを引いて晴人へ向き直った。
「レンに会わせる前に、アナタに確認したいことがあるわ。アナタ、レンに血を吸われたのよね? そのとき、どう思った?」
「どう思ったって……」
一週間ほど前。埃っぽい書庫の中で、レンに血を吸われたときのことを思い返す。
最初に血を舐められたときは、とにかくまず驚いた。
それは恐怖や嫌悪からくる驚きではなくて、血が嫌いなはずのレンが、晴人の血に反応したことに対してだ。
その直後、指に噛み付かれたときには正直痛みもあったが、痛いといっても針で指を突く程度のもので、注射とさほど変わらないと晴人は思った。
そうして血を吸われても、やはり怖いとか、気持ち悪いという感情よりも、我を忘れた様子で晴人の血を吸うレンの様子にただただ驚いた、というのが正直な感想だった。
それと同時に、あれだけ嫌がっていた血を、レンはどうして夢中で啜っているのだろうと、やけに冷静な思考で思ったことも覚えている。
そのことをアリシアに伝えると、「そう」と目を伏せて短く呟いたアリシアは、運転席から降りるとわざわざぐるりと周って、助手席のドアを開けてくれた。
「レンは、いつも通り自室に居るわ。鍵はかけないように言ってあるから、入れるはず」
言いながら、アリシアは屋敷の門を開け、そっと晴人の背を押して中へと促す。
そして晴人が敷地内に入ったことを確認すると、彼は外から門を閉めてしまった。
「アリシアは? 一緒に来ないのか?」
「今日は、ワタシが居ない方がイイのよ。……高坂晴人、って言ったかしら? レンは、未だにアナタの血を吸うことを迷ってるの。でも前にも言ったように、吸血鬼は本能で血を求める生き物。……どうか、レンを助けてあげて、晴人」
そう言い残して、アリシアは再び車へ乗り込む。漆黒の車は、あっという間に住宅街の夜の闇に紛れて見えなくなった。
(俺が……黒執を助ける……?)
それは、晴人の血を吸わせてやれということなのだろうか。
アリシアの話通り、レンの命が本当に危なくて、それが晴人の血で救えるのなら、血くらいいくらでも飲ませてやる。
けれど先週あれだけ頑なに晴人を拒み続けたレンが、すんなり飲んでくれるのだろうか……と、本をぶつけられた手を思わず見つめた。
その指には、レンの残した噛み痕が、まだ薄らと残っている。
(……抵抗されても、死なれるよりはマシだ)
今の状況を完全に理解しきれてはいないが、晴人の血を飲んでいないから、なんて言われて万が一本当にレンの身に何かあったら、この先自分はずっと後悔し続ける気がする。
見つめていた手をグッと握り締め、晴人は玄関へと続く石畳をゆっくりと歩き出した。
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