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第12話
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「お前、俺が知ってる限りではそうやってゲームばっかやってて、運動だって壊滅的なくせに、何で頭だけはそんなに良いんだよ」
晴人が居る為、ヘッドホンは首に引っ掛けた状態で、PCモニターを見つめて両手を忙しなく動かしながら、レンは「何の話?」と声だけを返してきた。
耳だけは辛うじて晴人の方へ傾けられているようだが、それ以外はゲームに没頭しているレンの背中を眺めて、晴人は彼のベッドに腰掛けたまま陰鬱とした息を吐いた。
「中間の結果の話だよ」
「ああ……今朝廊下に貼られてたやつか」
今日は、先日行われた中間テストの結果が発表される日だった。
朝一で廊下に張り出されたその結果を見たとき、晴人は驚いて言葉も出ず、代わりに隣で大和が「おお、黒っちすげえじゃん」ともうレンのフルネームを覚えることは諦めたのか、呑気な声を上げていた。
晴人が強引に誘い出したお陰で、ここ最近は怠そうな顔をしながらもレンは毎日ちゃんと学校に来るようになった。
けれどそれは、ほんの二週間ほど前からの話だ。
レンが学校に出てきて間もなく中間テストが行われた為、これまで全く授業を受けていなかったレンは、きっとその内容もさっぱりだろうと晴人は思っていたのだ。
ところが。
今朝張り出されたテスト結果の順位表の一番右端────つまり一位のところには、『黒執レン』の名前が、しかも堂々の満点という文句の付け所のない結果で掲示されていたのである。
「逆にあの程度の問題、何で正解できないのかがわからない」
「お前……それ、学校のヤツらの前で絶対言うなよ。大半の人間敵に回すことになるぞ」
「そう言えば、お前の名前がなかった」
相変わらずモニターを見つめたまま、思い出したように呟くレンに、晴人は思いっきり眉を顰めて「あったよ、お前と真逆くらいのとこに」とぶっきらぼうに答えた。
レンが学校に来るようになって以来、晴人は二、三日に一度、部活の後にこうしてレンの家を訪れるようになっていた。
レンがどのくらいの頻度で晴人の血を吸わなければならないのか、晴人にはいまいちよくわからない。それにレン自身も、晴人に出会うまで常に小腹が減っている状態が当たり前だったからか、下手をすると知らない内に血が足りない状態に陥ってしまいそうだったからだ。
そう思っていたのはアリシアも同じだったらしく、今ではレンの家の合鍵まで、アリシアから託されている。
いくら何でも他人の家の鍵を預かるのはどうかと晴人は遠慮したのだが、レンは一度自室に引きこもればインターホンが鳴っても応じることはないし、アリシアも毎日来られるわけではないので、レンの様子見も兼ねて…と、強引に押し付けられてしまったのだ。
実際アリシアの言葉通り、レンは本当に晴人がインターホンを鳴らしても、毎回ゲームに熱中していて全く出てこようとはしない。
だから今となっては合鍵がとても役立っているのだが、そんな感じでいつ来てもゲーム三昧のレンは、一体いつ勉強をしているのだろう。
少なくとも、晴人はレンがこの部屋でゲーム以外のことをしている姿を見たことがない。
一度だけ例外だったのは、晴人の血に飢えてベッドに潜っていた、あのときだけだ。
「お前がやってるゲームって、実は高校の学習内容も入ってたりするのか?」
「そんなわけないだろ」
誰がそんなつまらないゲームやるんだよ、とレンが器用に右足でも床のゲームパッドを操作しながら一蹴する。
ゲームに関してはこれだけ素早く手足が器用に動くのに、体育の授業で走るとなると途端に危なっかしい足取りになって、挙げ句派手に倒れたレンを思い出し、面白いヤツだと晴人はこっそり笑う。
最初の頃は晴人が来る度に「帰れ」と悪態を吐いていたレンだが、晴人が合鍵を託されて訪ねるようになってからは、それも言わなくなっていた。
かと言って、晴人が訪れる度に血を吸うかというと、そうでもない。
ここ二週間ほどの間に、レンが晴人の血を吸ったのは二回だけだった。しかもその二回とも、レンから求めてきたわけではなく、晴人の方から「そろそろ飲んだ方がいいんじゃないのか」と半ば強引に飲ませたのだ。
アリシアは週に二、三回は吸血しているらしいので、それから考えるともっと吸った方が良いのでは、と晴人は心配になるのだが、今のところレンの顔色は特に悪くはなさそうだ。
晴人の血はレンにとっては特別らしいから、腹持ちも良いのかも知れないが、晴人にはレンが未だに晴人の血を吸うことに、どこか遠慮しているような気がしてならなかった。
「今日も、血は飲まなくていいのか」
一向にゲームをプレイする手を止める気配のないレンの背中へ向けて問うと、「まだそんなに腹は減ってない」と素っ気ない答えが返ってくる。
「まさか、また前みたいにやせ我慢してるわけじゃないだろうな」
「……別に、そんなんじゃ────」
ない、と言おうとしたレンが、不意にガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「……黒執?」
一体何事だと見つめる晴人の前で、レンはこれまで見たことがないほど顔を強張らせていた。
持っていたコントローラーや首元のヘッドホンをデスクに投げ捨てると、慌てた様子でパソコンのコンセントを片っ端から引き抜いていく。
日頃そんなにパソコンを弄ったりしない晴人でも、さすがにそんな電源の切り方は良くないことくらいわかっているので、今度は晴人が慌てて腰を上げた。
「おい、いきなり何やってんだよ!?」
「いいから黙って! そうだ、お前は隠れてろ……!」
ブツッ、と音を立てて、PCモニターやパソコンの電源が次々に切れていく。
突然「隠れてろ」と言われても、どこに、何から隠れれば良いのか。
レンが何故急に慌てだしたのかもわからない晴人が呆然と動けずに居ると、不意にレンの部屋の扉が無遠慮に開いた。
自分以外にこの部屋に勝手に入ってくる人物が居るとしたら、それはアリシアくらいだろうと思っていた晴人は、扉の向こうに立つ人物を見て思わず目を瞠った。
浮世離れした美少年が二人になった────そんな感想が咄嗟に頭の中に浮かんで、ついつい見惚れてしまうほど、レンとよく似た銀髪の男がそこに立っていた。
レンより少しだけ背は高いものの、細身で色の白いその男は、緩く癖のある長い髪を首の後ろで束ねていた。
映画なんかで中世貴族が着ているような、フリル付きの白シャツにリボンタイという、街中では相当浮いてしまいそうな服装だったが、目の前の男には妙にしっくり馴染んで見える。
(……誰だ……?)
見覚えのない相手を前にただ唖然として立ち尽くす晴人の横で、「だから隠れろって言ったんだ」とレンが小さく舌打ちした。
「……兄さん、どうしてここに?」
「兄さん……!?」
確かにレンと雰囲気が似ているとは思ったが、それでも驚きを隠せずに晴人は思わず声を上げて二人を見比べる。
レンに兄が居たなんて初耳だ。
というか、そもそも晴人はレンの家族構成も詳しく聞いたことがない。
アリシアから、レンの両親は海外で多忙な生活を送っているということを聞いたくらいだ。
思えば幾ら叔父が時々面倒を見てくれているとはいえ、高校生をこんな広い屋敷に一人で生活させているなんて、一般家庭ではさすがに不自然だ。
どうしてもっと早く疑問に思わなかったのだろうと、今更思う晴人を背中に庇うようにして、レンが「兄さん」と呼んだ相手と晴人の間に立った。
小柄なレンの陰に晴人が隠れるわけはないのだが、それでもレンはどうにかして兄だという男から晴人の存在を隠したいようだった。
アリシアや晴人が勝手に部屋に入って来てもゲームの手を休めることなんてしないレンが、ここまで慌てるなんて余程のことだ。
目の前の華奢な背中から、ピリピリとした緊張感が伝わってきていた。
「兄が弟の様子を見に来て何が悪い」
落ち着いた、それでいて妙に威圧感のある声で、男は遠慮なくレンの自室へ踏み込んでくると、先ずはデスクに並ぶモニターの数々を見て呆れた溜息を零した。
「相変わらず、父さんの心遣いを無駄にして、くだらない趣味に没頭してるのか」
冷えた眼差しでレンを見つめて、男が嘲笑う。
実の弟に対するものとは思えない冷たい声音に、晴人は思わず眉を顰めた。
「……学校なら、今はちゃんと通ってる」
「『今は』、か。……そうして通い始めた学校で、今度は人間をペットにする趣味に目覚めたのか?」
レンの背後から二人のやり取りを見守っていた晴人にまで嘲笑が向けられて、さすがの晴人も思わずカチンとくる。
「……誰がペットだ。それにさっきから黙って聞いてれば、随分な言い様だな。アンタ、ほんとにコイツの兄貴なのか?」
「おい、よせよ……!」
ズイ、と目の前のレンを押しのけて前に出た晴人を、レンの腕が必死に引き留める。
二人の兄弟仲があまり良好ではないらしいことは簡単に推察できたが、さすがに「ペット」などと言われて黙っていられる晴人ではない。
「下賤な趣味を持つ者には、どうやら似た輩が寄って来るらしいな」
「兄さん、コイツは別に、大した知り合いじゃないんだ! 今日はたまたまウチに来てただけで……」
「おい、大した知り合いじゃないって何だよ? 血を飲ませてやってるなんて、俺にとっては大したどころの話じゃない」
晴人がそう言い返したところで、レンの兄がピクリと片眉を跳ね上げた。
「……血を、飲ませているだと?」
晴人の顔を見つめて一瞬呆然とした表情を見せた相手に、だったらどうしたとばかりに鼻を鳴らした晴人だったが、レンは何故か隣で「この馬鹿!」と頭を抱えた。
「────なるほど。どうやら思ったほど単純な仲でもなさそうだ。……お前、名前は?」
晴人より小柄な相手がこちらを見上げながら、口調だけは上から目線で問うてくる。
初対面だというのにペットだ何だと散々失礼な発言を寄越してくれた上、名前を聞くなら先ずは自分が先に名乗るべきじゃないのかと晴人は顔を顰めたが、レンの兄だというなら少なくとも相手は自分より年上だ。
それに、目の前の男からはレンとは違う威圧的なオーラをひしひしと感じて、部活で上下関係が身体に沁みついている晴人は仕方なく先に折れることにした。
「……高坂晴人」
顰め面のまま答えた晴人に、男は「覚えておく」と薄く笑ったかと思うと、様子を見に来たという割にはそれ以上レンの顔を見ることもなく、そのまま踵を返して静かに部屋を出て行った。
その背中を見送ったレンが、ホッと安堵の息を吐いた直後、晴人に向き直って胸倉へ掴みかかってきた。
「お前、何で余計なこと言うんだよ!? 俺はよせって言っただろ!」
「余計なことって何だよ。お前が俺の血を吸ってるってことか?」
「そうだよ!」
感情任せに吐き捨てて、レンはドサッと椅子に座り直すと「最悪だ……」と顔を覆った。
二人の兄弟事情なんて全く知らない晴人には、兄の訪問にレンが過剰に慌てていた理由も、晴人の血を吸っていることが知られるとマズイ理由も、さっぱりわからない。
「何が最悪なんだよ。お前ら兄弟なら、当然兄貴だって吸血鬼なんだろ? だったら、お前が俺の血を飲んでるって知られたところで、別にどうってことないだろ」
首を傾げた晴人に、レンは覆っていた顔をガバッと上げると、何処か泣きそうな表情で睨んできた。
「どうってことないわけない! 兄さんは、未だに俺が大の吸血嫌いで、誰の血も受け付けないと思ってるんだ!」
「それなら尚更、普通はそれが克服できたことをむしろ喜ぶとこじゃないのか?」
「あの人はそうじゃないから問題なんだよ……!」
そう言って、レンは再び顔を覆って椅子の上で小さくなってしまった。
……どうやら晴人が思う以上に、レンの家庭は色々と複雑なようだ。
どこから聞けば良いのか躊躇っていると、今度は廊下からバタバタと慌ただしい足音が聞こえてきて、珍しく血相を変えたアリシアが部屋へ飛び込んできた。
「ちょっと……! 今玄関でクリスに会ったけど、あの子ここに来てたの!?」
「クリス?」
聞き覚えのない名前にポカンと問い返した晴人の傍で、顔を覆ったままのレンが「兄さんの名前」とくぐもった声で答えた。
「……この様子だと、図星みたいね」
椅子の上で絶望に浸っている甥っ子と、PCの電源が全て落とされたお陰で真っ暗な室内を見渡して、アリシアが困惑の溜息を零す。
「全く……クリスを此処へは来させないようにって、あれほど言っておいたのに。兄さんったら、監視が甘いわよ。……それで、あの子一体何しに来たの?」
椅子の上で丸くなるレンの頭へ、ポンと宥めるように手を載せて、アリシアが問う。
ほんの少しだけ顔を上げたレンは、緩々と首を振った。
「……知らない。様子を見に来たって言ってたけど、多分そんなの建前だと思う。それより、兄さんにコイツの血を飲んでること、知られた……」
どうしよう、と情けない声を上げて、レンがアリシアの腕を縋るように掴む。
そんなレンを見ていると、事情は全くわからないながらも、恐らく原因は晴人の失言の所為らしいので、酷く申し訳ない気持ちになってくる。
「……悪い。そのクリス?ってヤツがあんまり腹の立つ言い方するから、カッとなって俺が言ったんだ」
晴人が素直に白状すると、アリシアは何となく事情を悟ったのか、「そうだったの」と苦笑した。
「晴人はそもそもクリスに会うのも初めてでしょ? こっちの事情も知らなかったんだから仕方ないわ。それに、私たちだってまさかクリスがここに来るとは、正直思っていなかったしね」
そうでしょ、と諭すようにレンの髪を数回撫でてから、アリシアはさっきレンが投げ出したコントローラーをレンの手にそっと握らせた。
「取り敢えず、私は晴人を家まで送ってくるから、アンタはいつもみたいにゲームでもしてなさい。本家ならともかく、ここでは私が兄さんからアンタの世話を頼まれてるんだもの。今後は勝手にこの家に入らせないように、兄さんからキツく言って貰うわ」
「俺なら一人で帰れる。それより黒執についててやった方が……」
渋々コントローラーを受け取ったものの、まだどこか沈んだ様子のレンを晴人はチラリと見遣る。
けれどアリシアは「大丈夫よ」と笑って、車のキーをチャリ、と揺らして見せた。
「クリスのこと、晴人も気になるでしょ?」
確かにクリスとレンの関係やレンの家庭事情など、今の晴人にはわからないことだらけだ。
レンを一瞬でここまで沈ませてしまうクリスのことは確かに気になったので、晴人は素直にアリシアの申し出を受けることにした。
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