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第16話

 ────時刻は一時間前に遡る。  一体もう何度目かわからない呼び鈴の音が、静かな屋敷に響き渡る。  レンは基本的に、呼び鈴が鳴ってもそれに応答することはない。この屋敷を訪ねてくる人物と言えば、口喧しい叔父と、更に口煩くておせっかいなクラスメイトくらいしか居ないからだ。  そんな彼らはどちらも合鍵を持っているので、レンがわざわざ応答せずとも勝手知ったる、といった様子で屋敷に上がり込んで来るし、仮にそれ以外に応答する必要がある来訪者が居るとすれば、レンが非常食に時々ネットで取り寄せている食糧やサプリを届けに来る宅配業者くらいだ。  宅配業者にはいつも配達日を指定してあるので、来訪のタイミングも大体わかる。だから、レンはそれ以外の不明な来訪者には、一切応じないと決めていた。  新聞の勧誘や、保険のセールスなど、レンの住む住宅街では、日中様々な来訪者がやってくる。今でこそ、晴人に強引に学校へ引っ張り出されるようになったので平日の日中はレンも留守にしているが、帰宅後や休日を狙って訪ねて来る連中が日々絶えないので、改めて煩わしい街だと思う。本家に居た頃は、来客の対応なんて屋敷の使用人がしていたから、引きこもりのレンには一層鬱陶しく感じられた。  しかしそんな煩わしい来訪者たちも、三、四回も呼び鈴を無視すれば、皆諦めて立ち去ってくれる。  ところが、今日の来訪者はどうやら余程諦めの悪い相手らしい。もうかれこれ十分以上、屋敷の呼び鈴を延々と鳴らし続けているのだ。  ゲームの音量を最大まで上げたヘッドホンでガードしつつ無視を決め込んでいたレンだったが、一向に鳴り止む気配のない呼び鈴の音に、段々イライラが増してくる。  そうして集中力が途切れた隙にうっかり操作を誤ってゲーム内の自キャラが倒れ、レンは舌打ちすると忌々しげにヘッドホンをテーブルに放り出し、椅子から立ち上がった。 「あー、もう! いい加減しつこいんだよ!」  応答する気なんて更々なかったが、これだけしつこい相手は一体何者なのかを確かめるべく、レンは明かりの点いていない廊下に出た。  窓際へ歩み寄り、そっと窓の端から門の方を窺ったレンは、懲りずに呼び鈴へ手を伸ばす長身の人影に、小さく息を呑んで咄嗟に身を引っ込めた。  夕暮れ時の薄闇の中でも、夜目が利くレンの目にはよく見知った男の顔がハッキリと見て取れた。  鍛え上げられた大柄の体躯にスーツを纏った、隻眼の男。 (ジェド……!?)   以前、レンの屋敷を突然訪ねてきて以来、姿を見せていない兄の傍にいつも護衛についているはずのジェドが、どういうわけか、レンの屋敷の呼び鈴を鳴らし続けている。 「……何でジェドが……」  動揺を隠せないレンに追い打ちをかけるように、またしても呼び鈴の音が響いて、レンはビクリと身を竦ませた。  窓の下にしゃがみ込み、恐る恐るもう一度窓の外を窺い見る。ジェドは呼び鈴を鳴らしては屋敷の方を見上げる、ということを繰り返していたが、その視線の向きからして、どうやらレンが見ていることには気付いていないようだった。  そのことには一瞬ホッと息を吐いたものの、彼の来訪の理由が全くわからないだけに、警戒は怠れない。そもそも、クリスたちにはもう二度とこの屋敷に近づかせないよう、アリシアが父に強く言ってくれていたはずだ。それをクリスならまだしも、父に忠実なジェドが破るというのは考えにくい。  そこで、レンはある異変に気が付いた。 (……そういえば、兄さんは……?)  ジェドの周囲へ視線を巡らせてみても、少なくともレンの視界に入る場所には、クリスの姿が見えない。それに、本家に居た頃からクリスの気配にレンは相当敏感に反応出来るようになっているのだが、今はその気配も感じない。  クリスから離れ、更に父の言いつけを破ってまで、どうしてジェドは此処へ来たのだろう。  何となく嫌な胸騒ぎを感じたレンの視線の先で、アリシアの黒い車が屋敷の前へと停車するのが見えた。一先ずレンの味方が登場したことで、思わず胸を撫で下ろす。  車から降りたアリシアがジェドに詰め寄って、険しい表情でジェドに何かを言っている。一方のジェドはいつものように落ち着いた様子で応じていたが、少しの間やり取りを交わした後、ジェドの言葉を聞いたアリシアが愕然としたように一瞬硬直した。 (何だよ……一体何の話してるんだよ……!?)  動揺とも困惑とも取れる様子で顔を覆うアリシアの姿に、レンの中でどんどん不安が膨らんでいく。心臓がドクドクと音を立てて、煩いくらいだった。  恐らくアリシアはジェドを追い返そうと言葉を掛けたのだろうが、あのアリシアが動揺するほどのことが、ジェドの口から伝えられたのだ。  わざわざジェドが一人で伝えに来るほどの話なのだから、きっとクリスに関することなのだろうということは、レンにも想像出来る。ただ、アリシアの様子から、その話が喜ばしい内容ではないこともまた予想出来て、胸騒ぎが治まらない。  早くジェドを追い返して、アリシアからいつものように「またゲーム?」と呆れた声を聞かせて欲しい。ジェドの来訪なんて、「何でもない」と一蹴して欲しい。 「アラン……」  窓枠に掛けた指先に無意識に力を込めながら、願うようにレンが呟いた直後、アリシアがジェドに何かを言い捨てて、門を潜った。  ジェドは特に言葉を返すでもなく、その場を離れて行った。その一方で、アリシアは険しい表情のまま、足早に玄関へと突き進んでくる。  そこでハッと我に返ったレンは、覗き見していたことがバレないよう、急いで自室へ引き返した。  大音量のBGMが流れっぱなしのヘッドホンを装着して、どうにか心を落ち着けようと試みるが、動悸が一向に治まってくれない。 (アランなら、きっといつもみたいに『大丈夫よ』って言ってくれる……)  力の入らない手でコントローラーを握って画面に向き合ったところで、レンの部屋の扉が開く気配がした。  ……早く、いつもみたいに呆れた声で何か言えよ……!  心の中でそう叫んだレンの願いも虚しく、無言のまま室内へ踏み込んできたアリシアは躊躇いなくレンのヘッドホンを奪い取ると、「出掛けるわよ」と緊迫した声音で短く告げた。  やっぱり何かがあったのだという焦燥感と、それを信じたくない虚勢から、レンは更に煩くなる動悸を堪えて声を絞り出す。 「……出掛けるって、どこに。学校以外に俺が外に出るわけないって、アランが一番よく知ってるだろ」 (だからそれ以上何も言うなよ……!)  必死なレンの祈りを、アリシアが重い溜息で掻き消した。 「……晴人が危ない」  低く紡がれたその言葉は、レンが最も聞きたくないものだった。アリシアの表情が滅多に見せない怒りを湛えていて、それが性質の悪い冗談などではないことを物語っている。  愕然とするレンの手の中から滑り落ちたコントローラーが、床の上でゴトリと鈍い音を立てた。  アリシアの車で学校にやってきたレンは、車を飛び出して校門を潜った瞬間、鼻先を掠めたレンにとっては何よりも甘い匂いに思わず足を止めた。  突然立ち止まったレンの背に、追ってきたアリシアがぶつかりそうになって、よろめきながら急停止する。 「ちょっと、いきなり止まらないでよ!」 「…………アイツの血の匂いだ」 「え?」  驚いた様子で微かに鼻を鳴らすアリシアが、怪訝そうな顔をする。 「ワタシにはわからないけど……って、ちょっとレン!?」  感知出来ないらしいアリシアを無視して、レンは仄かに漂ってくる晴人の血の匂いを頼りに、校舎へと駆け込む。  きっと、晴人の血のあの独特な甘い匂いを嗅ぎ分けられるのは自分だけなんだ。そんな特別な存在を嬉しく思うのと同時に、階段を上がるごとに強くなる匂いに、レンの胸が焦りと不安と恐怖で支配されていく。  さすがに二階まで上がったところでアリシアも血の匂いに気が付いたのか、「この近く!?」とレンの後ろで叫んだ。 「……っ、もう一階……上……っ!」  日頃こんなにも走ったり階段を駆け上がったりなんてしたことがないレンは既に息切れ状態で、ゼェゼェと肩で息をしながら三階へと続く階段を更に足早に上がっていく。  体育の授業ならとっくに倒れていただろうけれど、晴人のことになると自分の身体はこれだけ動くのかと、レンは自身の変化に驚いていた。  いつだって、全身に太陽の匂いを纏って、レンの心配ばかりしてくる晴人。  サッカーが好きで、汗まみれになって走り回っても楽しそうにしていて、レンとは対照的に健康優良児な晴人。  そんな晴人の身に、何かあったなんて考えたくない。  そう思いながら辿り着いた三階の廊下を曲がり、恐らく晴人が居るであろう一年A組の教室を目指して、レンは全身の力を振り絞って走った。  案の定、他の教室は既に扉が施錠されている中、A組の教室だけ、入り口の扉が開きっぱなしになっている。此処まで来ると、軽い眩暈を覚えるほど、晴人の血の匂いは強くなっていた。  やっと辿り着いた教室のドアに縋りつくようにして、肩で大きく息をしながら、教室内を覗き込む。直後に視界に飛び込んできた光景に、レンは悲鳴のような声を上げた。 「晴人……っ!!」  教卓に凭れ掛かるようにして、ぐったりと座り込んでいる晴人の姿。意識がないのか、レンの声にも晴人は指先一つ動かさなかった。そんな晴人の脚から、床に大量の血が流れ出している。 「嘘でしょ……」  レンに続いて教室内を覗いたアリシアが、走って乱れた髪もそのままに、呆然と呟いた。  この状況を見て、漸くレンはジェドが屋敷にやってきた訳を理解した。晴人を傷つけたのはクリスに間違いないだろうけれど、ジェドはそのことを知らせにきてくれていたのだ。  吸血鬼には、吸血行為を除いて、決して人間を傷つけてはならないという掟がある。それは、生きる為に血を与えて貰っている人間に対する、吸血鬼なりの『礼儀』だ。だからこそ、抵抗されて不必要に傷つけない為に、人間を洗脳する術も持ち合わせている。  クリスの護衛で、いつもクリスに従順だったジェドが何故今回、単身レンの屋敷にわざわざ伝えにきてくれたのか。その理由はわからないが、ジェドも吸血鬼としての掟を破ったクリスには、さすがに思うところがあったのだろうか。  けれど、ともかく今はそんなことを考えている場合じゃない。 「とにかく、止血しなくちゃ……!」  アリシアが、晴人の傍に駆け寄って制服の上から傷口を確かめる。  レンもそれに続いて晴人の傍らに屈みこみ、床に出来た血だまりを見つめた、その時だった。  ────ドクン!  全身が竦み上がるほど、レンの心臓が大きく一つ脈を打つ。 「……っ!?」  思わず服の上から胸を抑え込むレンを、アリシアが「どうしたの?」と心配そうに覗き込んできたが、それに答えることが出来ないまま、鼓動は益々大きくなっていく。  ドクン、ドクン、とまるで耳元で心臓が脈打っているようで、アリシアの声や周りの音が徐々に遠ざかっていく。同時に視界も余計なものはぼんやりと霞んで見え、切られた制服の下から流れ出る晴人の血だけが、鮮明な紅色に映り、目が離せなくなる。 「レン! ちょっとレン!?」  レンの異変を察したアリシアが隣から肩を揺さぶってきたが、その声も手の動きも、今のレンには一切響かなかった。 (駄目だ……。今だけは絶対駄目だ……!)  そう思っているのに、レンの意思とは関係なく、ゴクリと喉が鳴る。  こんな状態の晴人の血を吸ってしまったら、それこそ晴人は死んでしまうかもしれない。なのに、レンの身体が、本能が、蠱惑的な甘い匂いの誘惑に抗えない。 (頼むから、いつもみたいに俺を止めろよ……晴人……っ!)  レンの本能が暴走しそうになったとき、必ず止めるよう「約束する」と言った晴人の声が頭の隅に浮かんだけれど、その言葉に縋る前に、思考もぐにゃりと曖昧になって、次第に晴人の血を吸うことしか考えられなくなっていく。そうなっても必ずレンの理性を取り戻してくれていた晴人も、今はピクリとも動かない。   ────思う存分、飲んでもいいんだ。  ぼんやりと霞む思考の中、もう一人のレンが、歓喜の声を上げた。 「レン、やめなさい!!」  アリシアがレンの肩を掴んで必死に止めようとする。最早無意識にその手を振り払って、レンは身を屈めると、晴人の太腿に喰らい付こうとした────その時。 「レン……!!」  アリシアがそう叫んだのと、殆ど同じタイミングだった。  小さく呻いて意識を取り戻した晴人が、薄く開いた視界の中、今正に自分の脚に牙を突き立てようとしている『憎い』吸血鬼を、咄嗟に突き飛ばした。 「……っ!」  渾身の力で晴人の腕に突き飛ばされ、傍の壁に身体を強く打ち付けたレンは、その痛みから一瞬で我に返った。  自分は一体何をしようとしていたのだろうという恐怖や、ともかく晴人がまた自分を制止してくれたことへの安堵で、頭はまだ少しグラグラしていたが、お陰で理性は取り戻せた。  それより晴人は……と顔を上げた先、レンを睨みつける晴人の瞳に、レンは思わず身を竦ませた。  晴人の瞳は、これまでに見たことがないほどの怒りと憎しみでギラギラと揺れている。その気迫に、背筋がゾクリと大きく震えた。 (……晴人……?)  今目の前に居る晴人は、レンが知っている晴人だとは思えない。  これまでは、散々悪態を吐いたり理性を失くしかけたレンのことも受け入れてくれていたのに、今レンを睨みつけている晴人は、全身でレンのことを拒んでいるように感じた。 「……お前、何やってんだよ」  怒気を含んだ声で、晴人が低く問い掛けてくる。  もしかして、この状況でも我を忘れて血を求めてしまったことを怒っているんだろうか。確かに、あのまま血を吸ってしまっていたら、レンは本当に晴人を殺めてしまっていたかも知れないし、さすがにそれは晴人が怒るのも無理はない。 「わ、悪い……。何とか抑えようとしたんだ……!」  もうしないという意思表示に、アリシアが応急処置として止血するのを手伝おうとレンが再び晴人の傍へ這い寄った瞬間。 「寄るな!!」  痛みからか、晴人が僅かに顔を顰めながらレンを怒鳴りつけ、レンだけでなくさすがのアリシアも思わずといった様子で動きを止めた。 「……ちょ、ちょっと晴人……一体どうしたの?」  自分が巻いていたストールを晴人の脚に巻きつけながら、「アナタらしくないわよ?」とどうにか場を和ませるべく茶化した口調でアリシアが問い掛けたが、晴人はそれには応じず、憎々しげにギリ、と奥歯を鳴らした。 「人の脚切りつけておいて、ふざけるなよ……」 「え……?」  晴人の言葉に、レンとアリシアの声が重なる。  思いがけない晴人の言葉に、すぐには言われたことが理解出来なかった。 「切りつけた……? 俺がお前の脚を? そんなこと、するわけない……!」  晴人が部活でサッカーをしているとき、本当に楽しそうな顔でグラウンドを駆け回っていることを、レンは知っている。そんな晴人にとって脚は勿論、健康が一番大事で、晴人の血を貰うときも、レンは晴人の健康を損なわせてはならないと、何よりそれが気掛かりだった。  だからこそ、レンが晴人の血を吸うことに夢中になって理性を失いかけたときには止めてくれと頼んだ。それに、本家を出て初めて、アリシア以外にレンの傍に居ていつも心配してくれる晴人を、切りつけるなんてもっての外だ。  そもそも傷つけるくらいなら、倒れそうな思いをしてまで走って駆けつけたりはしない。 「お前の脚が大事なことくらい、俺だって知ってる。それを傷つけるなんて────」 「黙れよ!!」  激しい怒号に遮られて、レンは言葉を詰まらせて息を呑んだ。  いつもこれ以上ないくらいおせっかいで、素直じゃないレンの心もお見通しだとばかりに笑ってくれていた晴人からは想像も出来ない声音に、ズキンと胸の奥が鈍く痛む。 「図々しく血まで吸おうとしてたくせしやがって……出て行けよ。二度と俺に近付くな……!」 「………っ」  絞り出すように吐き捨てた晴人は、苦しげな息を吐いて再び意識を失ってしまった。  一方レンもまた、容赦ない拒絶の言葉に、それ以上何も言うことが出来なかった。本家に居た頃、最初は兄が、それ以降はレンの侍従や近しい人物が両親を除いて次々にレンの元を離れていった記憶が蘇る。  けれど、これまでの誰に言われた言葉よりも、晴人からの拒絶の言葉はレンの胸を鋭く貫いた。  ……晴人だけは、自分の傍に居てくれる。何の根拠もなかったけれど、晴人と話しているとレンはそう思えるようになっていた。  なのにどうして、こんなことになってしまったのだろう。素直じゃなかった自分が悪いんだろうか。  ショックで言葉を失うレンの肩を抱いて、アリシアが耳元に顔を寄せてくる。 「……落ち着いて、レン。どう考えても、いつもの晴人じゃないわ。恐らく、クリスに洗脳されてる」 「……兄さんに……?」 「こんなの晴人じゃないって、アンタが一番よくわかってるでしょう?」  囁くように言って背を撫でてくれるアリシアの声を聞いて、悪戯にレンの背に触れて笑っていた晴人の声を思い出す。あの時は気恥ずかしくて拒んでしまったけれど、晴人に触れられるのも、じゃれ合うようなやり取りも、レンは嫌いじゃなかった。  そう。嫌いなんかじゃなかった。  ……────本当は、好きだったんだ。  レンが小さく頷いたのを確認してほんの少し安堵したように笑ったアリシアが、レンの腕を掴んで引き起こした。 「一先ず応急処置はしたし、ワタシたちが下手に関わったことがバレたら余計にややこしくなるわ。後は、学校の人間に任せましょう。ワタシは適当な教師を捕まえて上手く言い含めるから、アンタは先に車に戻ってなさい」 「でも……」  教室の入り口まで手を引かれ、レンは後ろ髪を引かれる思いで晴人を振り返る。  見つけたときと同じように、動かない晴人。  さっき晴人の血を吸おうとして突き飛ばされたとき、ぶつけた肩が今になってジンジン痛む。約束通り、晴人はレンを制止してくれた。けれど本当は、あんな風に止めて欲しかったんじゃない。いつもみたいに少し意地悪く、でも甘やかしながら止めてくれる晴人が恋しくて堪らなかった。  どうしてもっと早く、素直にそう伝えておかなかったんだろう。  いくらクリスの手が及んでいるとはいえ、あれだけハッキリと拒絶されて、これ以上晴人の傍に居られないとわかっているのに、何故なのだろう……ここで別れたら、もう二度と会えないような気がしてしまうのは。 「大丈夫よ、レン。ワタシの洗脳だって解いたんだもの、晴人を信じましょ」  レンの不安を察してか、アリシアにそっと背を押されてレンはもう一度だけ晴人の方を振り返ってから、アリシアの車を目指して走り出した。  しかしこのときレンの感じた不安が、すぐに現実のものになってしまうことを、レンはまだ知らなかった────。

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