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最終話

  ◆◆◆◆◆  脚の傷もすっかり癒え、部活を終えた晴人は、黒執家に向かっていた。  明日からは期末テスト前の部活動禁止期間に入る為、サッカー部も暫く休みになる。  レンも今ではすっかり一年A組の一員に戻っており、そこそこゲームが好きな大和とは時々新作ゲームの話をするようにもなっていた。  そんな学校生活の何気ない会話の中で判明したのだが、レンは本やゲームには相当詳しい一方、テレビを見る習慣がなく、映画も全く観たことがないらしい。  夏休みに入ったら、レンを外に連れ出す意味も込めて映画にでも誘ってやろう、などと考えながらレンの屋敷までやってきた晴人は、門を潜ってすぐ、視界の隅に映った人影に、思わず我が目を疑った。 「黒執……!?」  いつもなら、学校から帰宅すれば必ず自室にこもってゲームをしているレンが、一人で庭にしゃがみこんでいる。  一瞬、具合でも悪いのかと慌てて駆け寄った晴人だったが、よく見るとレンの手には軍手が嵌められ、更に片手には園芸用のスコップが握られていた。 「ああ、おかえり」  やってきた晴人に気付いたレンが、スコップで土を掘り起こしながら、顔だけを晴人の方に向ける。  ……これは何の天変地異の前触れだろうか。  晴人が何度誘っても未だに外出を嫌がるレンが、自ら屋敷の外に出て、おまけにガーデニングとは……。 「黒執……お前、熱でもあるのか……?」  思わず隣にしゃがみ込んで、長い前髪の下に掌を滑り込ませる。触れたレンの額は熱いどころかむしろひんやりとしていて、どうやら熱はないらしい。 「熱があったらこんなことしてるワケないだろ、馬鹿」  晴人の手をレンが振り払ったとき、 「そりゃあ、アンタのその姿見たら誰でもそう思うわよ」  晴人とレンの斜め後ろから、突如アリシアの声が飛んできた。  しゃがんだまま晴人が振り向くと、アリシアは何やら苗がいくつも並んだカゴを抱えて此方へ歩いてくるところだった。 「晴人、いらっしゃい。────ほらレン、頼まれてた苗、買ってきたわよ」  アリシアが、レンの傍らに持っていたカゴをドサリと下ろす。 「……ありがと」  呟くような声音で礼を言うレンの髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜて、アリシアは満足そうに笑う。  相変わらず憎まれ口の方が遥かに多いレンだが、最近は「ありがとう」や「ごめん」といった言葉は、小声ながらもちゃんと口にするようになっていた。何でも、ジェドがクリスに物言いを指導していた際、巻き込まれる形でレンも教育された結果らしい。  そのクリスとジェドも、つい三日前、漸く怪我も完治して、無事帰国の途に着いた。 「もしかして、ジェドにガーデニングの指導も受けたのか?」 「そんなワケないだろ。ジェドは庭師じゃない」  晴人の問いに素っ気なく答えながら、既に充分耕された土へ、レンは早速アリシアが持ってきた苗を丁寧に植えていく。 「それ、何の苗なんだ?」 「野菜」 「野菜って、何の?」 「色々。取り敢えず、今の時期に合ったヤツ」 「何でいきなり野菜なんか育てようと思ったんだよ? 部屋からもまず出てこないお前が庭に居るから、何かあったのかと思った」 「クリスたちが帰国しちゃったから、何だかんだで寂しいのよね?」  揶揄うアリシアを「そんなんじゃない」とジロリと睨んで、レンは随分と慣れた手付きで次々に苗を植えていく。 「さて、ワタシは頼まれてた買い物も済んだし、食事にでも出掛けてくるわ。あとは若者同士でごゆっくり~」  ヒラヒラと晴人たちに手を振って、アリシアは長い髪を靡かせながら門を出て行った。 「……で? 本当の理由は何なんだ?」  アリシアが去ったのを見届けてから、晴人がレンに向き直って再度問い掛けると、苗の周りに土を掛ける手を止めてレンがポツリと零した。 「……枯れてたから」 「枯れてた? ……何が?」 「本家の畑」  そう言って、レンは再び手を動かし始める。 「本家の畑って、お前向こうで畑仕事なんかしてたのか?」  引きこもりゲーマーのレンと農作業がどうしても結びつかず、晴人は予想外の答えに目を丸くする。 「畑仕事ってほどじゃない。ただ、自分が食べる分をこっそり育ててただけ」 「自分が食べる分って……ああそうか、向こうに居た時はお前まだ────」  血が飲めなかったからだ、と漸く気付く。だからこんなにも、苗を植える作業が手慣れているのか。 「でもお前、こっちでは野菜とか全部ネットで頼んでなかったか?」 「本家じゃ、宅配便とか全部使用人が受け取るようになってるから、通販なんか利用出来なかったんだよ」 「今は通販出来るのに、わざわざ育てるのか?」 「………」  晴人の質問にふと黙り込んだレンは、最後の苗を植え終えると、畝に等間隔で並んだまだ小さな苗たちを見詰めて目を細めた。 「……誰にも世話されずに枯れてた畑が、寂しそうだったんだ」  そう呟いたレンの声音の方が寂しげで、晴人は反射的にレンの身体を強く抱き寄せていた。  勢いで尻もちをつく形になったが、制服が汚れるのも構わず、晴人は驚いた顔のレンを腕の中に抱き込む。  何となく、レンは枯れた畑と自分を重ね合わせているような気がしたからだ。 「おっ、おい……! いきなり何だよ、服汚れ────」 「お前は、俺に会わなかったら寂しかったか?」 「え……?」  あちこち土だらけだからと抵抗していたレンが、ピタリと動きを止める。 「……そんなの、もう出会ってるからわからない」 「そこは『寂しい』って言うとこだろ」  相変わらず素っ気ない答えを返してくるレンの、薄らと土のついた頬を軽く抓って晴人は笑う。思わず抱き締めたくなるようなことを言ったかと思えば、次にはもう愛想の無い発言をする。  死にそうになりながら、晴人に会いたいと遥々遠い異国から戻ってきて、おまけに煽情的に血を求めてきたかと思ったら、少し肌に触れただけでも照れて途端に悪態を吐いたりするのだから、この吸血鬼は本当に一筋縄ではいかない。 「お前って結構罪作りだよな」 「……? どういうことだ?」 「そうやって、自覚してないとこだよ」 「……よくわからない。だって、もう出会ってるのに、出会ってなかったらどうだったかなんてわからないだろ。ただ……お前に出会ったから、『寂しい』っていう感情がわかるようになった気はする。ずっと独りで居ると、寂しいのかどうかもわからないから」 「黒執……」  またしても思いきり抱き締めたい衝動を堪える晴人の気持ちを他所に、レンは軍手を外し、「土ついてる」と晴人の制服の肩口を払う。そんな無自覚すぎるレンの姿に「あー、くそ!」と自棄気味に叫んだ晴人は、細い手首を捕らえると、そのまま噛み付くようにレンの唇へ口付けた。  驚いて逃れようと僅かに身を捩るレンの身体を抱き込むことで抑え込み、そのまま強引に舌で唇を抉じ開ける。 「ん……ッ」  不慣れなキスに、ギュッと目を閉じて晴人に縋りつくレンの口内を散々貪って、漸くその唇を解放すると、力が抜けたようにくったりと晴人の肩へ凭れ掛かって浅い息を繰り返すレンが、「この馬鹿……!」と毒づいた。  最早晴人の制服もあちこち土まみれになっていたが、もういっそこのまま押し倒して喰らい付きたい衝動に襲われる。頬から耳朶へ唇を滑らせる晴人からその欲求を読み取ったのか、ハッと身を起こしたレンに「ストップ!」と容赦なく突き飛ばされ、晴人は見事に土の上に転がる羽目になった。 「……お前……さっき、服汚れるとか何とか言わなかったか?」  転がったまま恨めしく見上げる晴人に、レンは一瞬グッと言葉に詰まった後、 「お、お前が調子に乗るからだろ!」  と、トドメに軍手を投げつけ、空になったカゴとスコップを手にさっさと屋敷の玄関へ歩き出す。その顔が耳まで紅くなっているのが薄闇の中でもハッキリと見てとれて、晴人は喉の奥で笑いながら急いでレンの後を追いかけた。  素っ気ない背中を見詰めながら、晴人はふと気がつく。恐らく、これまで何度か異性と付き合っていたときの晴人も、相手から見るとこんな風にずっと素っ気なかったのだろう。  一つだけ違うのは、レンは本当に素っ気ないわけではなくて、レンなりに一生懸命、晴人と向き合おうとしてくれているのが伝わってくるところだ。  それを思えば晴人もレンも、出会った頃から比べると、これでも随分と距離は縮まっているのだろう。散々「帰れ」と晴人を拒絶していたレンが、今はこうして晴人が隣に居ることを、当然のように受け入れてくれているのだから。 「あの野菜、育ったらどうするんだ?」 「食べる」 「え、お前まだ野菜食ってるのか?」 「一番好きなのはお前の血だけど、別に野菜が嫌いになったワケじゃないし」 「……ちょっと待った。一番好きなもの、何だって?」 「お前の血」 「だからそこはな……」  血、は要らないだろ、と自分で言うのはさすがに悔しく、晴人はきょとんと首を傾げる手強い吸血鬼に深い溜息を吐く。  まさか自分の血に嫉妬する日がくるなんて、思いもしなかった。  まだ屋敷の敷地内とはいえ、レンが部屋から庭に出るようになったことは大きな進歩だが、このままではレンが育てる野菜にまで嫉妬してしまいそうで、そんな自分の狭量さにうんざりする。  取り敢えず、レンに今最も必要なのは恋愛講座だ。普段晴人はまず観ることはないが、夏休みには何か良さそうな恋愛映画でも観に行くのもいいかも知れない。  悶々とする晴人の内心など知る由もないレンが、「なあ……」と遠慮がちに晴人の顔を見上げてくる。 「……お前も、一緒に野菜作る?」  嫌なら別にいいけど、と付け加える素直じゃないお誘いが、レンなりの必死のコミュニケーションなんだとわかって、余りの世間離れっぷりにまたも晴人の理性が崩れかかる。  これまで付き合った相手に、映画や買い物やカフェに誘われたことはあっても、ガーデニングに誘われたことなんて初めてだ。しかも、レンはジョークでも何でもなく、至って大真面目に誘っているのだから、愛おしいことこの上ない。  大体、野菜を育てる吸血鬼なんて、晴人は見たことも聞いたこともない。  明らかに落ち着かない様子で晴人の返答を待っているレンの髪に口付けを落として、晴人は「やる」と二つ返事で頷いた。その返答を聞いたレンがホッとしたような表情を見せるものだから、晴人は「血飲んでいいからちょっとだけ触らせろ」と結局また目の前の華奢な身体を抱き締めずに居られないのだった。  二人で野菜を育てれば、取り敢えず野菜には嫉妬しなくて済むかも知れない。  今日植えた野菜が実るのが早いか、晴人とレンの関係が進展するのが早いか。その結末は、神のみぞ知る。

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