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第2話

「へリッシュ」  目元の痛痒さに目が覚める。リズンテールの声にぼやけた視界で主を探す。暑苦しは消えている。 「…っ、リズンテール様…」  リズンテールは苦々しく眉を顰める。何が何だか分からない。身体が重く、何故ここにいるのかすぐに理解出来なかった。段々と繋がり段々と溢れてくる情報。まるで頭部を殴られたような衝撃に、勢いよく起き上がる。 「チェント…!」  好きな人が生きていた。立ち上がろうとして目の前のリズンテールに阻まれる。 「なんで止めんだよ!」 「落ち着きなさい」  リズンテールを包帯が巻かれ絆創膏だらけの手で払い除ける。このいけ好かない男に構わなくていい。床に足を着け立ち上がる。膝に体重がかかった途端にふらりと視界が回る。脚が重く、力が入らない。床に落ちた。リズンテールがすぐに脇へ寄り、腕を掴みベッドへ引き上げようとしたがリズンテールを再び下方へ突き飛ばす。床に2人で這った。 「あんたの世話にはならない!」  起き上がる前に迫り、拳を振り上げる。躱す素振りもない。拳に気を取られることなくへリッシュを見上げている。同情だ。拳を下ろすに下ろせない。居心地が悪い。美しい顔面を殴る。脚を引き摺って床へ擦りながら両手でドアへと向かう。ドアを引っ掻きながらドアノブへ手を伸ばし、下半身を引いて進む。絆創膏の下から血が滲む。チェントに会わなければならない。会うのだ。階段を下る。腰や腿に段差の角が当たり、手の着きどころが悪く転落していく。華美な天井画が視界いっぱいに広がった。真っ白い翼を持った人が白雲漂う青空へ手を差し伸べ微笑む姿。黒い髪とガーネットを嵌め込んだ瞳。髪も瞳も同じだった。だが圧倒的な差があった。安い銀に嵌った偽物のガーネットの指輪を贈った。崇高な理想は目の前で滲んでいく。チェントに会わなければならない。だがただ想い人を追うしか出来ない惨めで情けないこの姿を晒したくはなかった。だが今すぐに会いたい。起き上がって、また残りの階段を下りていく。後ろからゆっくりとリズンテールが追ってくる。長いエントランスへ入って、長い廊下を這って。 「もう、よせ」 「あんたにオレの気持ちは分からないんだ!」 「そうだよ、分からない。その通り。だから止める」  腕を掴まれ、振り払う。掴まれ、振り解く。 「みんなの世界が守れても、チェントの世界は守ってくれなかったくせに…!村のことは救ってくれなかったくせに…!」  強く腕を掴まれ、抵抗したが離すことが出来なかった。指が食い込み、今まで随分と手加減されていたことを知る。 「そうだね。…でも会うなとは言っていない。せめて薬が切れてからにしてほしい」 「…っ、」  身体が伴わない。あの長い螺旋階段を下りられる自信はない。だが行かねばならないのだ。リズンテールを無視して進む。 「へリッシュ」  背後から上半身を抱き込まれる。これでは進めないのだ。チェントに会わなければ。 「やめろ!」  喚いても暴れてもリズンテールは離れなかった。まるで恋人のような腕に身体が震える。すまなかった。本当にすまなかった。何度も謝られる。村のことは分かっている。仕方がなかった。チェントのことも、本当は。神を消す。ただでは済まない。だがチェントではない誰かを依代にして、自分には関わりのない悲劇の上に成り立った幸せだの平和だのであるなら浸ることを良しとした。 「放せよ…っ!」 「どこにも行かないで……まだ。動いてはいけない」  リズンテールは酷く弱々しい声音で言った。だが平生を装って続ける。螺旋階段へ向かう力が抜けて、強く抱き締められる。 「チェント…」 「彼を牢から出そう…ただ約束してほしい。意思に反して暴れることがある。その時は逃げてくれ。僕の口から言うのは烏滸がましいが…彼のためにも」  頷くしかなかった。チェントと居られるのなら。使用人に部屋まで担架で運ばれた。ベッドの上に乗せられる。暫く待って、部屋へとチェントが運び込まれた。へリッシュが乗せられた担架よりも横幅が広い。長い布を外され、ぐったりとしていた。明るい茶髪が伸び、俯いた顔を隠す。ぼろぼろになった大きな翼が床に寝そべっている。 「チェント…」  呼ぶが顔を上げない。枷がじゃらじゃらとなった。へリッシュは少しずつ動くようになった脚を慣らしながらチェントへ近付く。 「『来…ル、な…っ』」 「だめ。行く」  チェントの元に寄り添って、座る。チェントの顔を真正面から捉えると、顔を背けられる。 「オレ、チェントが思ってるよりチェントのこと、好きだ。チェントがオレのこと、もうどうでも良くても、チェントがオレのこと嫌いになってほしくても…」  首から下げられている指輪にへリッシュは目を見開いた。少し変形しているが、へリッシュが前に送ったものだ。ガーネットを模した安い石が嵌め込まれている。 「『俺、ハ…汚イカ…ら…、醜クナってしまッた…』」 「やだ!そんな風に言うならもっと上手いこと言ってフってくれよ。諦めきれない…」  チェントが顔を上げる。長く濃い睫毛は相変わらずだった。消え果てた村から見た空と同じ色をした瞳がへリッシュを見据える。 「『なラ…抱ケ。こんナ俺を、オまエは抱けルノか…?』」  不安に揺れていた。当たり前だろ。悔しくなってチェントを抱き締める。感触が違ってもチェントであるならそれでいい。 「『だ、メだ。…ソンなこト、しなクテイイ…!』」  撥ね退けられ、チェントは前にのめって首を振る。驚いた顔は以前と変わらない。 「ううん、抱く。抱かせろよ」 「『俺ハ、色んナ人に、抱かレた…デなイと、腹ガ減っテしま…っ』」  言葉の途中で唇を塞いだ。 「『真剣に…話ヲしテイるんダ…!俺ハ…』」 「チェント。俺はチェントを抱きたいんだ」  変貌したほうの目元へキスを落とす。頬、口角を辿る。首筋に顔を埋めて硬い皮膚を吸った。人の肌のように唇にフィットはしなかったが、それでも前にチェントを抱いた時と同じ手順を踏む。贈った指輪も拾い上げ、唇を捧げる。 「『へ、リー、や…メロ…っ、』」  へリッシュはやめない、と意思表示する。胸元を辿って、長い布の上から胸を摩る。硬い皮膚でも細かな感覚はあるのだろうか。胸を愛撫し、布の上から唇を落とす。硬い掌が肩の上に置かれたためへリッシュはチェントを見上げた。わずかな欲情を漂わせたチェントに促されるままへリッシュは倒される。下半身を退廃した大きな翼が隠す。覆い被さるように乗られ、口付けられた。冷たい舌が差し込まれる。積極性を見せたくせ狼狽したその舌がやはりやめるとなる前にへリッシュは出迎えた。舌もまたざらざらとした慣れた質感ではなくなっていた。 「『っぁ、ぅ…』」  手枷が嵌められた硬い手に指を絡ませる。長い爪によって指の皮膚が裂けながら、指を絡めた。逃げ惑う舌を吸い、甘く噛む。角度を変え、頬や顎に触れる質感の違いを味わった。この人が好きだ。溢れる唾液を送り込む。舌先を舌で巻くように回し、また相手の口腔へ戻す。チェントには長い牙があった。歯列をなぞってからその牙の先を舐める。少し膨らみをもった下腹部に下腹部を擦り寄せられた。口を離す。2人の蜜が別れを惜しんで滴った。 「『…ッ、ヘリー…』」 「チェント、好きだよ」  胸を撫でる。よくいじめていた敏感な肉粒は消えていた。だがあるように撫で回す。それだけでへリッシュも気持ち良くなった。 「『や、ダ…優しク、すルな…っ』」 「だめだよ。傷付けたくない」  チェントは硬い感触を押し付けて腰を揺らした。 「後ろ、慣らすよ」  たとえそこも変貌を遂げ、硬く肉を裂く作りになっていたとしても、繋がる気でいた。陰茎が変質化しているようだ。後孔その可能性がなくはない。 「なぁ、チェント」  手枷の鎖が鳴る。幼い顔でへリッシュを見る。震える膝で立つのを支えながら股の間に手を伸ばす。緊張が伝わり、まずは言いたいことを言うことにした。 「オレの全部をあげるわ。だから、傍にいてくれ…オレのこともう好きじゃないなら、オレはチェントの道具でいいから…」  絆創膏を剥がし指を舐めて丈の長いチェントの衣類の裾を捲った。逆立った鱗状の皮膚へ迫る。 「『や…、ヘリー、だ…メ、いヤ、だ…っ』」  その器官は存在していた。他の人々に抱かれたといっていたのだからあるのだろう。念のためもう一度指を舐めて、傷付けないよう侵入する。柔らかくうねりながらへリッシュの指に絡みつく。点々と痼が指にいくつも当たる。前はなかった。吸盤のようにも思えた。指に強く吸い付き奥に誘おうとしている。ここもまた器官はあるが変貌を遂げている。長い裾を被った茎の様子も確かめた。薄かった下生えが消え去り、そのまま鱗状の皮膚が続いたまま茎になっている。括れからの先端だけ鱗はないが質感はやはり硬い。人間との性交で挿入は危険だろう。扱いてみると外的刺激も感じるのかびくびくとチェントは腰を揺らした。へリッシュの手の筒を突き上げている。かわいい。だが口にすればやめてしまう。見た目が大きく変わっても、へリッシュがチェントを好いた部分は変わっていない。冷ややかな美しい顔も好きだったがそれでもチェントが生きていることが今はただ何より。 「『俺のコとはイい、か…ラ…も…気持チ良くナって…?』」  窄まりがきゅうきゅうと指を甘噛みする。そう言っておきながらも陰茎が惜しげにへリッシュの掌に擦り付けられている。 「チェントが気持ち良くなきゃオレ嫌だよ」  解れてきて挿入する指をさらに増やす。高い声を上げたチェントの唇を塞ぐ。窄まりが収縮する。2本の指を痼が食い締める。 「『ヘリー……ッ、俺…っ』」  劣情を孕んだ目が潤んでへリッシュを見る。一度大きく上半身を倒してへリッシュの何か耳打ちしようとしたのか顔を近付けた。だが何も言わずに身を引く。 「何…?どうした?」  チェントは首を振る。何でもないのだと必死に。牙が見えた。カチカチと鳴らす。 「『ッ…ぅ、』」  軋む音がチェントの腹から聞こえた。噎ぶような弱々しい音。 「腹、減ってる?」  欲にまみれて虚ろな瞳にへリッシュが映る。首を振ったが、また軋む悲痛な音が響く。分かってしまった。普通の食生活でないということに。 「食ってくれ、オレを」  チェントは首を振って行為の先を急かした。 「食えよ。このままオレだけのうのうと死んで土に還りたくない…お前の一部にさせてくれよ」  また強く首を振り、へリッシュの陰茎を揉み込んだ。好きな人に触れられたら、すぐに勢いづいてしまう。衣類を下ろされ、へリッシュの指を咥えた体内が大きく蠢いた。肩を掴まれ、もう片方の硬い掌で陰茎を固定される。指を抜いた。チェントはへリッシュの楔へ腰を落としていく。 「ぁあっ…ぅ、」  内部の突起が弱いところを的確に刺激する。あまりの快感に息を呑み、さらに固く膨らむ。 「『ぅン…あ…っ』」  だがまだ半分も入っていなかった。赤く目元を染め、想い人は自らに楔を打ち込んでいく。 「む、り…するなよ…、」  快感に溺れそうになってチェントの脚を撫でる。硬い感触だ。熱っぽい目がへリッシュに気を許しているようだった。なかなかチェントは全てを呑み込めずにいた。突き上げそうになる欲求を堪える。セックスがしたいのではない。チェントと愛し合いたいのだ。 「『ヘリー…、』」  呼んで、目が合って、見つめ合う。柔らかな微笑み。ずくりとまた陰茎に血が通う。長い睫毛が伏せられ、一気に腰が落ちた。 「『あぁッ、んンンっ、ゥ…っ』」 「チェ、ントっ…!」  根元まで駆け抜ける衝撃と気持ち良さに視界が点滅する。互いに深く息を整えた。余裕もないくせ様子を窺うチェントを抱き寄せたくて仕方がない。下腹部に置かれた腕を握る。 「すごく…気持ちいい…」 「『動、いて…イい、カら…アッぁっ、あっ』」  堪らなくなって突き上げる。チェントが跳ねているように揺さぶった。チェントはへリッシュを欲望に染まった眼差しで見下ろす。腹部から悲鳴が聞こえた。 「チェント…っ」  唇を噛み締める姿。痛い目に遭わせたくなかった。抱き寄せる。キスしたかった。陰茎を包む快楽と、愛しい存在に全てを受け入れたくなってしまう。 「この体勢だと食いづらいよな」  体格差がそうないため、肉を食い千切りづらいだろう。繋がりながらであれば、怖くない気がした。チェントを倒し、覆い被さる。鎖の下を潜る。翼が大きく床に広がった。長い爪の生えた手が背に当てられると、満たされた気がして目の裏が沁みた。口元に肩を当てさせ、密着したまままた蕾を穿つ。掠れた声を上げて、へリッシュを離そうとする。 「『だめ…ダ。君ヲ、…』」 「喉、詰まらせるなよ」  首の後ろへ腕を回す。蕩けた顔をしてチェントは肩ではなく首へ向かって牙を剥いた。 「んっ…あぁ…っ」  鋭い牙が首筋の皮膚を突き破る。ピリッとした痛みが快感へと変換されて、チェントの腰を掴んで雄を打ち付けた。吸われていく感覚に酩酊する。頭が痺れて陰茎は快楽を、胸は密着した存在をさらに強く求めた。じゅるじゅると音がする。血を啜る音が大きく聞こえた。勢いよく迸りが抜かれていく。背中に立てられた爪が長く肌を裂いた。好きな人に与えられた痛みに溺れる。食われる。チェントに喰われる。甘美な響きだった。 「チェント、ごめ…イく…っ、!」  背に刺さる爪がさらに皮膚を抉ったのが合図だった。最奥を貫き、果ててしまう。チェントは甘く喘いでさらに牙が揺れたため深々刺さる。射精後の余韻に浸っている間のその刺激に身震いした。まだ足らない。緩やかに抜き挿しを繰り返し、まだチェントの中に留まる。体液を貪り飲まれる音に官能を刺激され、また中で芯を持つ。弱く動くと、うねりながら締め付けられて絞られる。脳内を蝕むような快感。視界が一瞬色を失う。力が抜け、チェントに体重をかけてしまう。首を噛み直され、また官能と化した痛みが首を襲う。口腔に己の血が流れ込み、嚥下する音を心地良く聞いていた。背中を抉った爪が引かれて、傷が描かれていく。 「好…き、だ…好…き…」  チェントに身を預けてしまう。丸齧りした果実を吸うような音がやむ。内部で微かに牙の先が動いた。 「ぅ…ッ」  牙が抜かれる瞬間に耐え難い快感に支配され大きく突くと大して動きもせずにまた果てた。チェントは口元から血を撒き散らした。ガクガクと震えて、何度も何度もへリッシュの陰茎を体内で扱く。身体を痙攣させ弛緩する。下腹部に広がる湿り。 「いい…?」 「『…っ、ヘリー、ごメ…、ごメ…んッ』」  視界がまた色を失いグリーンに染まる。目を開けていられない。快感に染まる顔を見たかったが腕が動かない。 「謝る、な。何されても、いいよ。オレはチェントの物だから」  寒気と倦怠感があるが甘えた声が出た。口元も緩む。首から塞がらない血が流れていく。 「『俺ハ、ヘリーのコト、傷付ケたクナ…いノに…』」 「傷付いたうちに入らねぇよ、心配すんな」  残った片瞳に水膜が張る。勿体ない。だが美しい。震えた肘に力を入れて目元になんとか唇を当てる。この男は優しいから耐えられないのだろう。分かっている。だがこの男の優しさに浸け込んでまでも、この男に寄り添いたいのだ。 「『へ、リー…』」  眉を下げられ、へリッシュはまた上体を少し浮かせ、笑いかけてから額と額を合わせる。 「大、丈夫だオレは。お前がいてくれるから」  転がりチェントの上から退いた。腕が上げられ、鎖が鳴る。その下から抜け出た。切ない表情を向けられ、頭を抱いた。 「一緒に暮らそ…な。も…離したく、ない。も…二度と…」  胸に埋めさせた頭が動く。鼻を啜る音がした。腕を硬い鱗に覆われた腕を慈しむ。またこうして2人で寝るのだ。場所は変わってしまったけれど。目蓋が重くなる。眠りに落ちる。  淡い夢だったらよかった。全て。傍にチェントはいない。倦怠感に目の前の仇のような輩の1人に怒りが湧いても殴るだけの力がなかった。首に巻かれた包帯が痒いが、これだけがあの幸せなひとときは夢でないことを示していた。上半身も包帯を大きく巻かれ、壁に凭せ掛けられている。 「他の者たちも同じだったよ」  リズンテールは淡々と何か喋っているがほとんど聞いてはいない。天井と壁の境目を凝視しているだけだった。地平線と空の交わりが見える村の風景に重ねて。 「暫く彼は眠るだろうな」 「オレは、餌だ…チェントに会わ…せろ…」  辺りを見回して引っ掻き傷が残っている腕に繋がれたら透明な紐に苛ついた。鉛が括られてるのではないかと思うほど重い腕を上げて引き抜く。 「変なもの流す、な!チェントが、飲むんだ…」  視界の外にあった液体の入った袋を吊るす棒をチューブを引っ張って倒す。 「君が彼を守りたいように彼も君を…」 「やめ、ろ。独り善がりでい、い。見たくねぇんだよ」  リズンテールはへリッシュが倒した器具を戻す。目の前に立って顔を覗き込まれる。 「君は馬鹿だ」  言葉の割りに愛しげに言われた。何も抵抗する気が起きず、チェントだけに捧げた唇を赦してしまう。 「…ぁ、」  触れ、抵抗を忘れ、離れる。恋人はチェントのはずだ。だが恋人のような甘々とした雰囲気を醸し出して普段は人を喰った態度のリズンテールが人懐こげに微笑む。もう一度唇を包む。生温かい感触が口腔に入り込む。動かないへリッシュの舌を掬い、くすぐる。チェントとの口腔の体温の差に悲しくなって涙が滲んだ。嗚咽にリズンテールは離れていく。溢れた雫を指で拭われた。 「なんでだ、なんで…何か悪ぃことしたかよ…」  チェントには見せられない。他者の心配をさせてはいけない。 「違うよな、悪ぃことなんもしなくても、クジ引きみたいに死んでいくんだよな…?」  でなければあの村が滅ぶわけがない。 「…本来は僕の務めだった。けれど僕は、先祖の咎で、あの地神とは相入れなかった」  リズンテールは静かに語り、右手を覆う手袋を外した。乾いた樹皮そのもののような色と肌をしていた。張りが失われて固くなっている。爪だけがへリッシュと同様に透き通って光っている。 「すまなかった」 「ぁうっ、ぐっ…く…ぅ、」  苦しくなる。分からない。何もかも。理解することを拒む。近くにあったコップを手に取り、中の水をぶち撒ける。リズンテールはそれを受け入れ、微動だにせず水滴を垂らす。全ての謗りに耐える姿に苛立ちがさらに増し、コップも投げつけた。鈍い音がして、銀髪の奥に赤が滲む。 「謝られてぇんじゃねぇんだよ!」  白い顔に血が流れて、床を汚した。 「消えてくれ、オレの目の前から。消えてくれ…」  頭を抱えて、何となく分かるのはただリズンテールの姿を視界に入れたくないということだけだった。言われるままに、また来ると告げて部屋から去っていく。リズンテールの邸宅だ。目の前から消えるべきは自身だ。破綻した主張にまた苛立った。ふらふらとする視界の中で起き上がり転がるコップを拾う。他の奴等がああなればよかった?チェントはどう思う。仮定の話など無駄だ。この現状からきっと逃れられない。仮定に逃避するほど、果たして現実を理解しているか?理解したくない。コップを逆さにして残った水を床に落とす。豪奢なばかりで実用性に欠けた殺風景な室内を探す。机の上に置かれたオルゴールの陶器でできた人形が目に入った。鷲掴み机に叩きつける。派手な音を立て割れた。破片が飛び散る。手首を机に晒し、割れた人形を掴む手を振り上げる。息を詰める。 「…っつ、」  破片が皮膚を貫く。熱が痛みに変わる前に歯を食い縛って引く。鋭さはないため、上手く裂けずにいた。だが深さがあるため、血が噴き出す。コップを当てた。一滴も無駄にしたくない。汗が浮き、肩で息をする。チェントに運ばなければ。だが身体が言うことを利かない。扉までどうにか向かい、開くと警備がいた。へリッシュの姿に驚愕している。 「た、のむ。チェントに、たの…む」  勢いをなくしていく血。足らない。この警備から搾り取るか。思考が働かないが体力的に捩じ伏せられることだけは分かった。コップを差し出すのに精一杯だった。警備がそれを受け取るのを確認して、扉を閉めると崩れ落ちる。分からないわけではなかった。この感覚だ。この感情だ。全て同じ形で全て同じ方向性で全て同じ深さとは思わない。それでも湧き起こる怒りが納得というものでは鎮まらず、また鎮まる方法があるのか皆目見当もつかない。押さえた手の下で血が止まっていく。生きねばならない。チェントに食われねば。浅く呼吸をする。壁と天井の境目をまた見つめる。視界がぼやけはじめた。 「好…き、ずっと…好き…」  譫言を繰り返す。色を失った唇が声を失ってただ開閉する。寒さに青白い身体が震え、歯がカチカチと鳴った。眼球が引っ張られ、瞼が降ろされる。  唇が柔らかく包まれ心地良さが訪れる。温かさに身を委ねることにした。重なった掌。指の股に絡む誰かの指。チェントだ。チェント以外にいない。 「好きだ…」  誰の声だか判別しなかった。文字列だけが頭に入り込む。 「どこにも行かないで…」  微弱な痺れが広がる口付けの合間に紡がれる弱々しい声音に胸がきつく痛んだ。離れようとした舌を追う。もっと欲しい。唾液を相手の下に塗り付ける。 「ぁ、ぅ…っ、ぅぅン…」 「…っ、は、ぁ、」  気持ちいい。角度が変わって、舌の触れられる面積も変わる。蕩ける。吸い上げて、根元から絡ませ、溜まった蜜をこくりと嚥下する。甘い。胸や脇腹を撫でられて、陰茎をなぞられる。 「や、…だ、チェント…」  柔らかく濡れた中に包まれ、腰が浮いた。ざらざらした表面が茎を辿り、筋を突く。滑らかに扱かれて、本能のままもっと奥へ進もうとした。 「チェン…ト、ぁあ…、きも…ちぃ…っ」  先端が絞まる。腰骨が溶けてしまいそうだ。口寂しくなって下唇を吸う。根元を擦られると堪らない快楽に、きゅっと双珠が引き攣る。 「あ…ァ、い、い…」  チェント、チェント。さらさらの髪を撫でたい。チェントのことも気持ち良くしたい。快楽に蕩けて、普段の気品をかなぐり捨てて乱れ、シーツに皺を寄せるチェントの細くも引き締まった裸体を眺めたい。抱きしめたい。 「イ、くよ…?」  柔らかく速やかな動きに促されるまま精を放つ。優しい余韻に浸りながら身体が弛緩した。チェントは毎回飲んでしまう。好きな人のだからいいのだと言う。照れもせず真顔で言うから何度も惚れてしまう。何度もチェントのひとつをひとつを知るたびに恋に落ちてしまう。愛しているのに一目惚れを続けてしまう。 「チェント…好きだよ…」  掌に触れた髪を撫でる。伸びていたはずの髪は思ったより短かった。さらさらの毛が慣れたものよりわすかな差異で固く感じるのは離れていた時間のせいか。どうせ、夢なのだ。もう戻らない。明日は外に行きたい。チェントと、2人で。花を見よう。晴れていた方がいいが、雨でも曇天でもいい。隣にいるのがチェントであれば、どの天気も全てが愛しい。くだらない話をしよう。チェントが助けたかった世界の片隅の話をしよう。チェント、チェント。悲しくなって目が開く。嫌いな男の姿が真っ先に視界に入った。だが親しさの篭った熱っぽい瞳を向けられている。頭を怪我したらしい。そうだ、自分がやったのだと思い出す。眼球が沁みて乾いた瞬きを重く繰り返す。まだ眠い。唇に白い指が触れた。女が紅を差すように下唇をなぞられる。 「どこにも行くな」  アイスグレーの眼差し。囁きであるのに力強い。何故。償いのつもりか。 「ふ…ざけ…ッ」  裂けてガーゼを当てられた頬に手袋の感触。顎に柔肌。固定され上からキスされる。混乱した。何故。そのような素振りはなかった。リズンテールは何を考えている?幾度か啄まれ、深まっていく。苦くしょっぱい風味。知っている。チェントのものしか知らないが。麗らかな夢の内容が殺伐とし枯渇したものへと塗り替えられていく。 「あ…っ、ぅ、ぐっ!」  口腔を蹂躙する舌を噛んだ。不快な音と歯に伝わる触感。鉄の味がする。血の味は嫌いだった。注がれて血が混じった唾液が飲み込めずだらだらと口の端から溢れ出ていく。ぐるりと最後に掻き回されて、口の端をまた唾液が流れ落ちた。リズンテールは口元の血を拭った。へリッシュは嚥下を拒否し咽せそうになると体勢を変えて口から血の混じった唾液を垂れ流す。 「どうゆうつもりなんだよ…!」 「馬鹿な真似はやめてくれないか」 「…馬鹿な真似?お仲間見殺すこと?それとも関係ない村巻き込むことか?」 「何故色々なものを諦めた彼の選択を尊重しない?愛する者が已むなく下した決断をどうしてそう反故にする?理想通りにはなれない。そういう不条理のもとに生きているんだ、僕たちは」  色々なものを諦めた。そうだ。未来も可能性も。あのままチェントがその身に宿した悪神と共に生き絶えることでやっと勇者一行は勇者一行たりえる。 「オレは賛同出来ない。…チェントだから」  他の連中ならばどうだっていい。心を痛めることもない。 「自己犠牲の果てに悲しむやつもいる。悲しまないやつもいる。でもオレは、気に入らない。オレのこと顧みてくれなかったチェントも、あんたらも、チェントに全て背負わせたことも知らずに悦に浸ってる奴等も。だから否定すんだよ、こんな虚しいこと尊重して!自己犠牲、はい素晴らしいですね!って…オレは言いたくねぇぞ。なら馬鹿の真似した方がずっとずっと立派だ」  リズンテールは昏い瞳を向ける。

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