45 / 55
呉越同舟
今塗っているのは所謂切れ痔の軟膏薬だ。帰りのバスに乗る前に時間があったので中学校の近くにある薬局まで走った。
こじんまりとしたそこは昔からの老舗で、無口な老婆が一人で切り盛りしている。噂によると隣の市のドラッグストアに押されているらしい。
が、侑としては助かった。詮索しない店員は、買いにくさ満点の商品を何も言わず少年に売ってくれた。ちょうど客も侑以外おらず誰にも見られていない。
しかし小遣いでこんなものを買わなきゃいけない虚しさにへこむ。
傷に地味に滲みるのがまた嫌だ。本当に何故こんな目に遭わなきゃいけないんだ、と侑は個室の中で天を仰いだ。
「あら、帰ってたの」
トイレから出ると居間から東雲が顔を出した。
「うん、ただいま」と侑がそちらを見ると、襖の隙間から母親の他に車イスに座っている女性が目に入る。
栗色の緩いウエーブがかかった長髪、さながらフランス人形のように綺麗な顔で白い肌も透き通るようだ。
彼女は境木 ほづる。年齢は三十代半ばで、カイの母親だ。にっこりと美しく侑に微笑んでくる。
「こんにちは、ほづるさん」
侑も笑って応じる。しかし、ほづるはにこにこするだけだ。
彼女に悪意はなく、先天性な問題でもない。ただ、数年前に事故に遭い言葉を失った。
感情はある。声も発せる。だけど、コミュニケーションが取れない。生まれたての赤子の如く退行してしまったのだ。
ともだちにシェアしよう!