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第五章・悲痛な叫び。(2)
彼はあまりにも急いでいたため、今が人間界でいうところの日中だということも忘れていた。それほどの焦燥感がライオネルを襲っていたのだ。
アマデウスの姿が少しばかり見えなくなっただけだ。そうやって宥めるのに、自分はいったいどうしてしまったのだろう。彼が恐ろしい事件に巻き込まれているのかもしれないと懸念してしまう。
「兄さん、待って!」
あまりにも急いていたライオネルが悪魔界にやって来た当初の軽装で人間界に戻ろうとすれば、ニヴィアとコルベルに呼び止められた。フードが付いた厚手のコートと手袋を渡される。
「あと、こちらも持って行ってくださる?」
『お守りですの』ニヴィアは鎖が付いた金のロケットを手渡した。
お守りはいいとして、正直、これを着ている暇はない。こうしている間にも深い喪失感がライオネルを貫く。それでも彼は逸る気持ちを抑え、装備も完璧にするとやっとのことで人間界へ戻った。
悪魔界から人間界に戻るには悪魔界の地場を捉え、鏡の前で少しばかり空間を歪めてやればいいだけのことだ。
鏡は写る世界とは別の世界を写し出す。ライオネルほどの魔力を持っていれば空間を行き来するには造作もないことだった。
――ここは数日前まで同業者のシンクレアと同居していた屋敷だ。
二階にはシンクレアの寝室とグランドピアノが置いてある客間があり、一階は談合室件リビングになっている。談合の場所であった一階へ移動すると、今はもう手に入れることさえ出来ない貴重なローズウッドでできた四人掛け用のテーブルに書き置きは何もない。地下に潜っても同じで、ただライオネルの黒く狭い棺桶があるばかりだった。
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