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第3話
「はー食べたー。美味しかったー」
「コンビニ弁当ですけどね」
「それでもちゃんと食べたの、数日振りだからさー」
「……そりゃあ良かったです」
俺は学習した筈なんだ。
なのに部屋に上げて、餌付けまでして。こんな会話を交わしてしまっている。
言っておくけど俺は別に、人間嫌いでもないし社交性がないわけでもないし、それなりに義理とか人情とかいうものも持ち合わせているつもりだ。
だから余計にだ。
絆されてはいけない。情が沸く前に、さっさと追い出さないと。
明日になったら、可哀相だから何万か握らせて、さっさと追い出そう。そうしよう。
「それじゃ、お腹もいっぱいになったところで」
「っ」
そんな俺の決意など知ってか知らずか、弁当とインスタント味噌汁を空にするなり、俺は卯月さんに押し倒されていた。
「ヤろ?」
そんな事じゃないかとは思った。
信じらんね。
食うだけ食ったら、次はセックスだあ?
ホントこの人、見境ない。
「…………相変わらずですね」
「もーね、治んないみたい。あ、安心して? シャワーだけはね、一応毎日浴びてたから。最近のネカフェって便利だよねー」
そう言いながら、俺に跨った卯月さんは既にシャツを脱ぎ始めている。
確かに帰る家がないという割に、清潔感はあった。シャツも草臥れてはいるけれど、臭いはない。
ゲイバーでビール1杯で粘るくせに、そういうところには金かけてんのかよ。どうせ男引っ掛ける為だろ? セックスに必要だからだろ?
あの頃と変わらない大胆さで、卯月さんはあっさりとシャツを脱ぎ捨てる。
ただその薄い布切れの下は、俺の知っている体とは随分違った。
「……ね、見てよ。俺の体。惨めでしょ」
上半身を露にした卯月さんは、珍しく自嘲気味に笑った。
服の上からでも肉が落ちている事や、年齢相応に肌がくすんでいる事は分かった。あれから10年も経ったんだ。体型が崩れても無理はない。
しかし現実は、俺の想像の遥か上を行った。
「ええ、想像以上に」
肩から手首まで、絡まり合う蛇の刺青があった。右も左も。それだけじゃない。
胸も腹も、裂傷と火傷の痕だらけだった。あちこちの皮膚が引き攣れて、ケロイドがあって、変色があった。どこの戦地からの帰りだと言いたくなるくらいに。勿論この人は軍人でも自衛隊員でもない。
青っ白い肌と、肋骨の浮いた貧相な体、トドメは普通の男ならそんなに目立つ筈のない乳首。
向かって右側は異様に赤くて、肥大していて、体中の傷に引けを取らないグロテスクぶりだ。下手な女より酷い。
そして反対側はといえば、存在していなかった。
その部分だけ、数針分の縫合痕が残るのみだった。
「こんな骨と皮ばっかりのジジイなんて、そりゃ余るよ。今じゃ縋ったって、俺を抱いてくれる人なんてそういない」
「問題は骨と皮と年齢だけじゃないと思いますけどね」
「ああ、引いた?」
「……別に。ビッチに加えて、ドM属性まで身につけたんだなあって」
「えへへー……まあね?」
何がまあねだ。
そうだよなあ、引いていいところだよな、こんな体。
でも俺は10年前に別れを決めた時から、この人に期待を持つという事を、やめてしまった。
だから今こんな冷めた目で、この裸を見ているんだろう。
……はあ。勃つかなあ。
ホラー映画とか好きだし、グロ耐性はあるけど、この体が趣味でない事は確かだ。
気が重いっていうのに、卯月さんはさっさと下も脱ぎ始める。上半身がこれで、下半身が無事なわけはなかった。
ちらっと見ただけで、太腿は多少肉があるものの腹や胸と似たり寄ったりな状態だし、陰毛が不自然に剃られてるのかと思えばこれも火傷。そこ一帯は毛根も汗腺も死滅したようで、作り物みたいな皮膚が性器の根元付近まで広がっていた。
一体どういうプレイしてんだよ。
んで、なんで勝手に脱いで、勝手に傷だらけの裸晒して、勃ってんのこの人。
異常だろ。
軽蔑してやるつもりで、後孔に触れる。案の定少し擦っただけでも、散々に拡げられているのが分かった。
「なにこの穴。ゆるゆる。がばがば」
「ふあ、あ」
「喘いでんじゃねえよ。俺こんなところに突っ込んでも、気持ち良くない」
なんで濡れんの。腸液? すっかりマンコになっちまってまあ。あ、昔からか。
それでももうちょっと人体として正しい姿をしてた筈なんだけど。中指と人差し指を縁に引っ掛けて縦に拡げると、2本の指は簡単に数センチ離れた。
あれから何本、咥え込んだんだか。突っ込まれたのは、チンコや玩具だけじゃねえんだろうな。
「っは、和成くん、さ、言うようになったね」
「誰かさんのお陰で随分打たれ強くなったんで。文句あるならやめますけど」
淡々と喋る事が、得意になったのは事実だ。
本心なんて表に出さない。この無残な体に引きはしないが、呆れてる事も、教えてやらない。
「それは、困るな。ああ、あのね、ここ、腰の火傷、あるでしょ」
ここ、と指したのは尾てい骨の辺り。
アナルから手を離し、のろのろと上体を起こして覗き込むと、そこにも痛々しいケロイドがあった。そして背中も、ボロボロだった。
「これですか」
妙につるつるとした肌を、爪の先でなぞる。
「っあ、うん……そこ、思い切り、引っ掻いて」
「この期に及んでまだ手間かけさせようと」
「違っ……そしたら、締まる、みたいだから……」
「へー……」
みたいだからって事は、誰かにそう指摘されたって事か。
マジで変わってねえな、この人。俺の目の前で他の男咥え込んで喘いでた頃と一緒。平気で他の男の話をする。
もう嫉妬心すら湧かない。この人はこういう人だ。
「いっ……!」
「ねえこんなんでホントに締まるんですか? すっげーチンコ反応してるけど。卯月さんが気持ちいだけじゃなくて?」
「それ、だけじゃ、ないと、思う……けど……」
ご要望通り力いっぱい爪を立ててやれば、先走りを垂らしながらペニスが撥ねた。アナルには触れていなかったから、実際のところはどうだか分からない。
別にどうだっていいけれど、卯月さんだけ気持ち良くて、バイブ代わりにされるのはムカつく。恋人でもない相手に、奉仕してやるつもりはない。
「まあいいけど。舐めてよ卯月さん」
変化らしい変化のない俺に比べ、既に随分と1人で盛り上がってらっしゃる相手に命じる。
両手をついて、卯月さんはずるずると後退る。体を支えて伸び縮みする腕の蛇は、汚らしい傷痕の数々に比べれば幾らか蠱惑的に見えた。
でも綺麗に見えたのも腕だけだ。左手の小指と薬指は、第一関節から上がなくなっているのに気付いてしまった。
左の指先2箇所と、右の乳首。それをこの10年の間に、卯月さんは失ったらしい。
ますます、風貌は堅気から遠ざかった。
本当に、どんな生活してるんだか。さぞ爛れた日常なんでしょうね。
この軟弱な体で反社会勢力に属してますって事もないだろうけど、職務質問されたら困る程度には真っ当な道ってものから外れているに違いない。
「んはっ……ここも、成長した気がする」
うわキモイ。
人の股間に話しかけてるし。笑ってるし。
俺なんでこんな人と付き合ってたんだろう。
「ホント、久し振り」
「んっ……」
そうだな、原因のひとつとして、コレはあるかもな。そりゃ上手いもん、こういう事。
これだけ乗り気じゃなかった筈なのに、いきなり反応しちゃうくらいのテクニックはお持ちだ。
卯月さんと別れてから、こういう事はそれなりの人数にして貰ったけど、これほど躊躇のない人間はいなかった。フェラ自体にって言うんじゃない。喉の奥まで平気で咥えてしまうところや、タマだの尻だのまで舐め始めるところ。それも別に下克上狙ってるわけじゃなくて、ただただ相手を気持ち良くさせるのが上手い。
その理由を俺は知っている。そうすれば、自分もいい思いを出来るからだ。
この人はそんな風にしか考えていない。
だから体はやっぱり気持ちいいけれど、なんか冷めてしまう。
「ねえ卯月さん、俺と知り合う前も含めて、一体何人咥えてんですか」
訊けなかったなあ、昔はこんな事。
遊び人なのは察してても、具体的にどれくらいだなんて、知る勇気はなかった。
あの頃は無知で無力な高校生と、その思い人だった。でも今は、それなりに世間ずれした大人と、昔の知り合い、それだけだ。
負い目も引け目もある筈がなかった。
「んんー……わかんない。3桁は確実だろうけど」
予想通りの爛れた答えを貰っても、なんの感慨もない。
「あ、でも病気とかは平気。ちゃんと定期的にチェックしてるし」
それから、そこまで訊いてない。
要するにセックスに絡んだ事にだけは全力っていうか真面目っていうか。
俺が言えた事じゃないが、下半身重視過ぎるだろ。ヤりたい盛りの高校時代ですら同じ感想抱くくらいに。
「なるほど。それじゃあ俺の名前なんて、覚えてられませんよねえ」
ヤれれば誰でも良かった。口実があればなんでも良かった。
この人にとっては、俺の価値なんてそんなもの。
「そんな事ないって、ちょっとド忘れしただけで……」
どうだか。
会話を切り上げると、卯月さんはまたすぐ口淫に戻った。
俺も目を閉じる。感覚としてはとても上出来で、実に巧みで、がちがちになるまではあっという間だった。
彼にとって必要な状態になったというのに、それでもまだ舌を這わせ唇を這わせる。焦らすようにじっくりと、それでいて果ててしまわないように。
気持ちはいい。そりゃあね。
でも同時に、イライラする。
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