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第7話

 爪をなくしたのは、左右の中指と人差し指の計4か所だった。  これでよく風呂になんて入れたな。  呼んでくれれば手伝うくらいしたのに。  だってきっと難儀した筈だ。  その証拠に、無精髭のなくなった頬に、剃刀の滑った痕跡があった。  それでも俺を呼ばなかったのは意地なのかなんなのか。  指先の手当てをしている間、ずっと震えていたのは寒さからか。  まさか俺が怖いだなんて、そんな事、ないですよねえ?  常に俺を振り回す側だった卯月さんが、まさか、そんな、ねえ?  でも少しくらい怖いものがあった方が、無茶もしなくなると思うんですよ。なんなら俺が、その抑止力になってもいいかな、なんて考え始めていた。 「はい。ゆっくり食べて下さいね」 「……ん」  その手じゃスプーンも持ちづらいだろうから、ネットでレシピを調べて作ったお粥を手ずから食べさせる。  下着1枚穿いた上に毛布を被っただけの卯月さんに、こんな事をしていると、なんだか甲斐甲斐しく病人の看病でもしている気分だ。  恋人だった頃に卯月さんが風邪でもひいていたら、こんな光景も有り得ただろうか。いや、ないか。卯月さんの部屋って行った事ないし、多分今みたいに誰かの家に住みついていたに違いないから。  体調不良の恋人の世話をするだなんて、なかなかに和むシチュエーションなんじゃないかなあ。  それを今になって、こんな風に味わうなんてな。  きっと俺がしたかった付き合いは、こういう関係だった。なかなかどうして、満更じゃない。 「はい。あーん」 「……ん」  卯月さんは大人しくスプーンに齧り付く。そうしてると、結構可愛い。  ムカついたり苛立ったり呆れたりしても、俺はこの人の事を嫌いになった事なんて1度もないわけで、大分老けはしたけれど、そんな感情を抱いても不思議なないってものだ。  勿論恋に恋していたあの頃と同じ熱情はないが、何より、他の男の話をしない卯月さんというのは、うん、悪くない。 「これでお終いですよ」 「ん」  最後の一口を卯月さんの口に運ぶ。綺麗に完食だ。  手料理振る舞ったのも、これが初めてだ。俺が憧れた恋人とは、こういうものだった筈だ。それが満たされたのだから、気分はいい。  確かに10年前、俺は今よりずっとガキだった。力不足だった。何もかもが足りなかった。だから思うような結果を得られなかった。卯月さんのせいだけじゃない。  今なら俺だってもう少し、上手くやれる筈だ。  ただ相手はあの卯月さんだからな、ちょっと強引な手段にはなるけれども。  だって外になんて出したら、また他の男と寝るでしょ? 「さて、腹も膨れたところで、少し寝ます?」 「あ……あの部屋で……?」 「そうですけど、何か問題でも? 俺は最初から、納戸なら使っていいって、言いましたよね」 「じゃ、じゃあ、カギは……かけ、ないで……」 「はあ。嫌ならかけませんよ」 「ほっ、本当に?」 「嘘吐いてどうするんですか。あと今日、パイプベッドですけど、届く手筈になってますんで、そこで寝て下さい」 「あぁ……うん」  卯月さんは露骨にほっとした。  いつだって翻弄するのは卯月さんだった。それがたった数日で立場が逆転すれば、決してサディストなんかじゃない俺だって機嫌は良くなる。  本当は増え続ける資料を入れる予定だった物置を卯月さんの為に提供しても構わないくらいには、俺はまだ情もあるみたいだし。 「……ベッド、いつ何時頃届くの?」 「夕方以降らしいんで、まだ4、5時間は先ですが」 「じゃ、じゃあさ」  風呂を浴びて胃に食べ物を入れて、随分と元気になった様子の卯月さんはよく喋った。  それでもまだ本調子ではない筈だろうに、卯月さんは、卯月さんだった。 「ベッド届くまで、しよう?」 「……はあ?」  わけ分かんないんですけど。  すっかり発情したような顔で、毛布を剥いで半裸の卯月さんが擦り寄ってきた。  さっきまで瀕死だったくせに、ちょっと体力が回復したらセックス? 頭沸いてんじゃないの、この人。 「寂しかったんだよ……? 真っ暗で、誰もいなくて、腹は減るし、なんにも見えないし」  そこまでは分かる、俺がそう仕向けた。でも。 「そのうち生きてんだか死んでんだか分からなくなってきてさ、でも爪、剥げたら痛くて、まだ生きてるのが分かって」  じりじりと、卯月さんは俺に迫る。  確かに俺は彼を、怖がらせたかった。そうすれば少しは懲りるんじゃないかって。  なのに、なんで。 「何度も何度も、指噛んでたら、気持ち良くなってきて、でも誰もいないしさ。ねえもう、焦らさないでよ、ね? ねえ? しようよ、和成くん、しよう?」  なんで、俺が怯えてんの。  何を考えてんだ、この人。  おかしくなった? たった数日で?  そんな事──── 「んっ……!」  動じているうちに、唇を捕らえられた。噛み付くようなキスに、口腔を貪られる。  反射的に、俺は卯月さんの頬を叩いていた。 「っ……サカってんじゃねえよ、この変態」  たったそれだけの衝撃で、華奢を通り過ぎてしまった体は跳ね飛ばされた。  なんでだよ。なんで?  主導権は、俺が握っていた筈だろう? あの頃とは、違う筈だろ?  あれだけして、まだ懲りてないの? 俺はまた、見縊られるの? 「はは……和成くんに罵られると、クるなあ……」  卯月さんは頬を抑え、そして笑い、めげずに腕を伸ばす。  俺の胸元を撫で、腹を撫で、股間を撫でた。  丁寧に貼ってあげた絆創膏に血を滲ませて、ファスナーを下ろし始める。 「いいよ、もっと酷くしていい。だからヤろうよ、和成くん」  この人は何故そうまでして、寝たがるんだ。  俺が何をしたか分かってんの? ちょっと世話焼いたからもう忘れたの? それともあの頃の、他愛のないガキのままなの?  なんで? 「ぅ……」 「ね、ちゃんと気持ち良くするからさ。下はちょっと緩いかもだけど、口ですんのは上手いでしょ? 俺」  固形物の食事すら出来ない唇が、またあっさりとペニスにしゃぶりつく。  ……ああ、ダメだこの人。  思ったより、重症だ。  分かったよ、他の男と寝る理由。  足りねえんだ、この人。  1人が背負うには、重過ぎるんだ、この人。  でも、俺の前に現れた以上は。自分から、近付いてきた以上は。  二度とあんな思いはしないって、決めてるから。 「……いいですよ、そんなに欲しいなら。これでもあんたよりは、今でも体力ありますから」  褪せた髪を掴んで、まずは喉を、犯した。

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