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第16話 拾った責任

 顔に水が流れてこないようにだろう。和真の大きな掌が亜樹の髪を撫で付ける。  頭の中を占めるのは、「なんで」という言葉だった。答えが全く見つからず、問い掛けたとしても答えてもらえるのかさえわからない。 (それなのに、考え続けても意味がないんだろうな)  疲れ果てた頭の中で、そんなことが思い浮かぶ。 (理由がなんだろうと、俺が出ていくことには変わりないもんな……)  何をこんなに悩んでいたのか。我に返ったように焦りのような感情が静まっていた。 (本当に、ものすごくカッコ悪い……)  口元に浮かべようとした笑みもまた、形になる前に消えていく。  期待をしたらダメだと知っていた。  いやそれさえも、結局は知っているつもりだったって事だろう。  期待もしていなければ、結果が変わらない事の理由なんて、気にもしないはずなのだから。  手早く身体も洗い上げた和真が、俯いたままの亜樹へ何も言わずに抱き上げた。  再び感じた浮遊感に思わず身構えた身体が、浴槽の温かいお湯の中へ降ろされる。和真の掌がすくったお湯が、そのまま肩口から背中にかけて流れていく。何度も繰り返されるその仕草も、時折掠める指先の感触も全てが優しくて、どうしても心はしぶとく痛んだ。  そこまで分かったとしても。揺れる弱さはなかなか捨てられない。だから。 「要らないのに、優しくしないで」  声が震えなかったのは、今の自分にしては上出来だったと思う。小さいながらもハッキリとしたその音は和真の耳にも届いたのだろう。繰り返されていた動きがピタリと止まった。  その直後、肌を優しく掠めていった指先が、痛みを感じる強さでグイッと顔を引き上げる。  逃れられないように顎先を捕まれ、顔を和真の方へ向けられれば、あんなに避けていたはずの視線が絡まり合った。  向けられた顔には不機嫌そうな目。苛立ちを感じるその目に亜樹の体がビクッと震えた。 「俺は要らないと言った覚えはないんだがな」  それならあの時の和真は何を考えていたのだろう。 (でも、勘違いだっていうなら……)  指先を和真の方へそっと伸ばす。   「……なんで」  俺から伸ばした指を避けるのだろう。  確かに言葉では言われていない。でもあの時の目や態度が、そう語っているのに。 「……ムリしなくて良いよ、和真」 「無理?何の話しだ」 「拾っちゃった責任なんて感じなくていい」 「……」  睨みつけるだけだった視線が一瞬だけ大きく開いたのを亜樹は見逃さなかった。  苛立ちだけだった視線に混ざり込んだ感情は、言い当てられた気まずさによるものだろうか。まっすぐに重ねられた視線は、こちらを探ってるようにも見えてくる。   (やっぱり、捨て猫を拾った飼い主みたいな責任を感じてたんだ……)  それならちゃんと伝えるべきなんだろう。 「途中でペットを捨てたって、俺だもの。誰も飼い主だった和真を責めたりしない」  でも本当は、自分の口からは言いたくなかった。結局こうやって自分の心を自分で抉るような状況に、泣き出したくなってくる。 「俺だって和真を恨んだりなんかしないし」  それでもやっぱり、悲しすぎて、泣き出すことはできなかった。 「ペットとして捨てられて、それでお前は恨まないと」  そんなことを心配していたんだろうか。訝しそうな和真の声に亜樹は大きく頷いた。 「恨む訳がないよ。俺はずっと和真が好きだからね」  本心からのその言葉には、亜樹の口角が自然と上がった。 「もういい、話にならない」  要らないと捨てたはずの相手からは、思われ続けることさえ負担なのか。そういった和真が浴室から出て行った。

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