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第13話
誉さんと祐吾さんが立ち上げた会社は、ビルのワンフロアがすべてだ。
間宮グループの傘下からすると小さな会社なのだろうが、オレからすれば十分に大きな会社のように思う。
会社のトップである誉さんがΩで、公私ともにパートナーである祐吾さんがβということで、かなり社員に手厚い。バース性問わず、自身やパートナーのヒート休暇には柔軟に対応し、もちろん産休や育休も希望が通りやすい。
すると社員は自然にΩ、β、αと均等の雇用となった。実力があればどんな性別だって役職がつく。
…優秀であればバース性は問わないところは、間宮グループからの継承でもあるそうだ。
「僕が僕のために、僕にとって働きやすい環境を整えたら、みんなももっと楽かなって思ったんだよ」
「バース性によるトラブルはないですか?」
「いまのところはないね」
もちろん会社側は社員のバース性を把握している。だが、公表するか否かは個人の判断に委ねている。隠すものでもないため、みんな聞かれたら答えるが、知らなくても寛容なのだとか。
「オレがβであることは公表した方がいいと思いますか?」
「うーん、申し訳ないけど、βの人は公にしても特段メリットがないかな」
誉さんはそう言って苦笑した。
「吉成くんの場合はそれより――…」
***
―――間宮の機嫌が悪い。
このところ家で顔をあわせると、間宮は甘えるか、威圧してくるかのどちらかだ。
どちらにしろ最後は抱き潰されており、平日は間宮を避けている。
間宮自身もわかっているのか、平日は遅く帰ってくることが多く、反動で金曜や土曜の夜は酷い。ベッドから降りられない日もあった。
オレはそれを口では文句を言いながら――なぜだろう。どこか仄暗く喜んでいた。
「吉成くん、琉の匂いがする」
その日、迎えに来てくれた祐吾さんの車に乗り込むと、助手席にいた誉さんがそう言って顔を顰めた。
「え、間宮の香水ですか?あれ?昨夜は会ってないですよ」
「香水じゃなくて、フェロモンかな」
誉さんがそう告げた途端、祐吾さんの機嫌が一気に下降する。
「間宮のお坊っちゃまのフェロモンがなんだって?オレにはわかんねーな」
言い捨てながらも、彼のステアリングは誉さんを慮ってとても丁寧だ。
誉さんは祐吾さんと結婚しているが、番にはなれないため、αのフェロモンを感じることができる。
「大丈夫だよ、ヒートになったりしないって。それよりこのフェロモン…」
誉さんは手で鼻と口を覆って、オレを振り返った。
「琉ときちんと話してる?」
「まあ、最近はよく顔会わせてますし…」
かなり翻弄されているとはいえ、最後は身体も繋げている。以前より一緒にいる時間は格段に多くなったと思う。
「疲れてるのか、不機嫌なことも多いですけど、いつも最後には落ち着いてますよ」
「昨日は会ってないんだよね?」
「はい、そうです」
オレが頷くと誉さんは前に向き直った。
その横顔はひどく青褪めていた。
会社に着くや、誉さんは社長室に飛び込み、いつもはフルオープンのガラスの壁にシェードカーテンを下げてしまった。
閉め出された形の祐吾さんは、驚いた様子で肩の高さで諸手を上げる。降参の形だ。同じくびっくりしてしまったオレも軽く頷いた。
「おはようございます」
「おはようございます」
デスクに向かいながら、すれ違う人に挨拶をする。ところが、今日に限って一部の人から不可解な反応を返される。
「おはっ、おはよう、瀧くんだよな…?」
「え、はい、瀧です。おはようございます」
青褪めて及び腰の人もいれば。
「…おはよう。朝からそれどうしたの?」
「おはようございます。え…?」
やたらと視線に険を乗せてくる人がいたり。
なんだろうと目を瞬かせて首を傾げてしまった。
「自分で気付いていないわけ?」
そう言ってますます視線を尖らせるのは、首にネックガードをしたきれいな顔立ちの男性社員だった。
―――この人、Ωだ。
そう思った瞬間、さわりと肌を撫でる不快感。
間宮と出会ってからこちら、あまりΩにいい印象がない。もちろん仕事で接する人にそんな感情はおくびにも出さないけれど。
「社長命令!今日は急ぎの仕事がない人は帰っていいよ!むしろ帰ってください!!」
社長室から飛び出してきた誉さんが、フロア全体に向けて、突然そんなことを叫んだ。
全員がキョトンとした後、社員たちは各々に吹き出した。
「社長、いきなり帰っていいとか…」
「急ぎの仕事かあ、残念いっぱいあるなあ」
「えーじゃあオレは帰ろうかな」
「ダメだろ、昨日頼んだのはどうなったよ」
フロアは一気に騒々しくなるが、帰り支度をはじめるような人は誰もいなかった。
「だよね、そうなるよね…!」
頭を抱える誉さんの側に祐吾さんが駆け寄る。
「なんだよ、どうした?」
「…琉が来るよ」
「はあ?間宮のお坊っちゃまが?ここに?」
何のために、と繋げようとした祐吾さんの視線が、オレを見る。
「――災害レベルの威圧のフェロモン撒き散らして、琉が来る」
だから、耐性のないΩとαとβの人は帰ってください。あと、吉成くんは帰っちゃダメ。
真っ白な顔をした誉さんはそう呟いた。
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