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第18話
噂は表立っては囁かれなかったが、水面下ではいつまでも流れていた。
誉さんは社外の人からも『おめでとうございます』と祝福されることが増えたようで、対外的には『ありがとうございます』と笑顔で返しているが、一歩自社フロアに入った途端に『何に対するおめでとうだ?』と低く毒づいている。
くるりと周囲を見渡す誉さんの視線は凍てついたままで、賢明な者はひゃっと背筋を跳ねて目を逸らす。有能で上質なΩは強い。そして怖い。
そういうわけで、最近の社内はあまりいい空気とは言えなかった。これまでが風通しのいい会社だっただけにとても残念だ。
「誉には『妊娠おめでとう、元気な子を産めよ』って意味だと思って受け入れろって言ってるんだけど、難しいよなあ」
電子タバコを弄びながら祐吾さんがぼやく。
誉さんは今日は有給休暇を取っていた。
あまりにもイライラしている誉さんを見かねて、気分転換してこい、と祐吾さんが無理矢理休ませたそうだ。
「誉さん、大丈夫ですか?」
「まあこうなるっていうのはある程度予想してたわけだし、どうにか折り合いをつけるしかないよな」
そうして祐吾さんは「そっちは?」と水を向けてくる。
「吉成くんのところはどう?間宮の御曹司は何も言わないの?」
「あー…」
最近の間宮の様子を思い返してみた。
「あいつはとっくに気付いていると思うんですが、何も言わないです。でも…」
やたら気恥ずかしかったあの朝から一転、夜は噂のせいで暗い顔をしていたオレに間宮は一瞬だけ眉を上げて、けれどこちらのテンションなど関係なく甘えてじゃれついてきた。
『吉成、好き!好き!』とそればかりで、琉くんと言わないと達かせてくれない遊びも覚えたが、あの夜からやたらに穏やかなセックスを挑んでくる。
αの情交は過激なので、こちらのペースに合わせてくれるのは助かるがβのやり方で抑えているような気もしていた。
だって、オレは散々イかされるのに、間宮は出さないで終わる夜もある。
αの射精コントロールが巧みだとか、そういうのとも違って、あれは単純に刺激が足りなくて達せていないんじゃないだろうか。消耗したオレを見て間宮は嬉しそうに髪を撫でてきたりするけれど、本当は物足りないのでは――?
オレがもやもやと悩み考えていると、目の前の男が「はあ」と大きく溜息をついた。
「オレさ、自分のこと結構絶倫だと思ってたのよ」
「はあ…?」
いきなりどうした。
突然の祐吾さんの告白にオレは目を丸くした。
―――ちなみに、これらの会話は昼休憩のおしゃれなカフェで行われている。
誉さんがいない中『お昼に行こう』と祐吾さんに誘われて、『また噂になりませんか?』と聞いたら『今更だろう?』と返された。
それもそうだと男β二人で、ランチプレートを前に下世話な話題。周囲の客は意図的にこちらから目を逸らしているような気がした。
「オレは勃ちもいいし、体力もある。Ωの相手も問題ないと思ってた。けど所詮はβだ。Ωにとっては力不足なわけ」
祐吾さんは平然と食事をしながら続ける。
「何でもないときはいいんだ。オレは精子が空っぽになるけど、まあいい。――問題は誉がヒートの間。お互いわけわかんなくなってこっちも泣きみて、それでも誉は最後には抑制剤を飲んでた。薬になんて頼らないのがいいに決まってるけど、Ωのヒートを落ち着けるのって、結局はセックスじゃなくてαのフェロモンなんだろ?そんなのどうしようもないじゃん?」
「……そうですね」
「そんなオレと誉がさ、子供作ろうと思ったわけ。もう地獄見たよね」
「ぐふっ」
申し訳ないけどちょっと笑ってしまった。
祐吾さんは一度ちらりと視線を上げてオレを見ると、目の端を緩めて先を話す。
「ただでさえ発情期には抑制剤使ってたのに、代わりに促進剤を飲んで、玩具と精力剤めいっぱい揃えてさ。なのにオレは最初の半日で精も根も尽き果てて、誉は三日三晩泣き続ける。かわいそうでどうにかしてやりたくても、こっちももう勃たないんだよ。αってすげえなって心底思った」
「…わかります。よく無事に妊娠できましたね」
「そこはすごい計算した。どうせオレが先にバテるのはわかってたから、三日目にあわせて精力剤飲みまくった。あ、コックリングもはじめて使ったな」
「ちょ、祐吾さん、赤裸々すぎ」
「いいじゃん、聞いてよ。三日間耐久で計算してたから、これが四日目に延長するようだったら今回は諦めようと思ってた。でも誉ががんばってくれたから。オレもうふつうに泣いたよね」
だからさあ、と祐吾さんは静かにカトラリーを置いた。
「いま誉の腹の中にいる子は、オレと誉の愛と努力の結晶なんだよ。絶対無事に生まれてきてもらう」
「祐吾さん」
「必要だと思ったら、オレは誉に前倒しで産休取らせるし、それに」
力強い視線がオレを射抜く。
「吉成くんと琉の結婚にも手を回すから」
どきっとした。
「…肝に銘じておきます」
オレはそうとしか答えられない。
どくどくと鼓動がやけに大きく聞こえた。
「――ところで」
食後のコーヒーを飲みながら祐吾さんが訊ねる。
「オレの誉はΩだけど、吉成くんのところは相手がαじゃん?実際どうなの?」
祐吾さんの訊きたいことは大体分かる。
―――この人、案外俗物だな。とてもβらしい。
ごくりとコーヒーを飲み下して口を開いた。
「オレ、2回死にかけてます」
「ぶはっ!?」
祐吾さんは顔を背けて盛大に噎せた。
「そりゃ、強烈だな…っ?」
「そうです。本気のαなんて野生動物ですよ」
どうにか呼吸を整えた後、祐吾さんは穏やかに微笑った。
「――それはΩも同じだよ」
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